極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

「ロ・マン」で見えたもの

 先日の10月6日(土)、7日(日)に新潟県十日町市松代において、「第17回24時間耐久リレーマラソンinまつだい」が開催された。
 その名も「ロ・マン24」。
 その名の通り、1チームは10数名から構成され、正午12時に各チーム一斉にスタートした後は1周2.13キロのアップダウンの激しいコースを次の日の12時までチームメンバーでたすきを回し、最終的に何周回れるかを競うという過酷かつ忍耐力を要するイベントなのだ。
 私も今年初めてこのマラソン大会に出場してみた。
 参加チームは全部で32チーム。先の中越沖地震の影響でチーム数は例年より若干減ったそうだが、それでも最も大きな被害を受けた柏崎市からも4チームがエントリーし、1日も早い復興を願う人々の強い精神力が見えた。
 私がこの貴重な経験をできたのは、ウラジオストク在住時代に親交を深めた新潟市役所Y氏並びに新潟県庁H氏が以前から参加に向けて声を掛けてくれていたからであった。私自身以前から一度参加してみたいと思っていたので、今年意を決して参加することにした。
 こちらの両名はこの大会にもう7年も前から参加しているとの事で、チームは新潟県庁、新潟市役所、富山県庁からウラジオストクに研修で1年間派遣されていた人達がメンバーの中心となっている。加えて毎年ウラジオストクから来日しているロシア人が数名チームに加わっている。このウラジオストクに関わりの深い日ロ混成チームの名も「Ура(ウラー)!じお」となかなか粋なネーミングである。
 各チーム決まった区画にテントを設営し、食事を作り、暖を取り、体育館に寝袋を持ち込み交替で仮眠を取り、また走り出す…。我がチーム「Ура!じお」はその食事メニューもオリジナリティが効いていた。定番のカレーなどに加えてロシア人が作るピロシキ、ボルシチも並ぶ。みんなロシアでの日々を思い出していたに違いない。
 今大会のエピソードではないが、以前新潟市役所Y氏が1周走り終えて戻ってきたら、次に走るはずのランナーがいなかったということがあったらしい。どうやらそのランナーは食事中だったらしく、Y氏はたすきを誰にも渡す事ができず、泣く泣くまた2周目に向かって足取り重く去って行ったとか。そして身も心も疲れ果て、ようやく2周走り終えて戻って来たY氏は、物凄い形相で次の遅れてきたランナーを睨みつけたという。その時遅れてきたランナーはY氏の目に殺意を感じたというコメントを残したそうだ。普段温厚な人柄で知られるY氏がここまで怒りを表現することは珍しい、と知る人ぞ知る伝説になっている。それほどまでにこの大会は過酷であり、「うっかり」が許されないのだ。
 我がチーム「Ура!じお」も他のチーム同様、みんながそれぞれにベストを尽くしたかいあって、無事フィナーレを迎えることができた。フィナーレは感動的だった。24時間はスタートされた時から刻一刻とカウント・ダウンされて行くのだが、全32チーム中終了の合図と同時にフィニッシュのゴールをくぐったのはチーム「Ура!じお」のみであった。ロシア人美女のランナーがドラマチックにフィニッシュする姿に観客の皆さんは拍手喝采だったし、私たちは皆、誇らしげに喜びを分かち合った。
 そして大会終了後は「また来年会いましょう!」と別れて行った。私はそのまま新潟、富山、ロシア人の皆さんと一緒に温泉旅館に一泊して次の日函館に戻って来たのであった。温泉旅館での楽しいエピソードは残念ながら今回はブログの趣旨からも外れているので割愛させてもらおう。
 
 新潟県庁、新潟市役所、富山県庁のウラジオストク派遣職員の方々は皆さんロシアでの1年間ないし2年間の思い出をとても大切にしている。それぞれにロシアで素晴らしい時間を過ごしたのであろう。会えば昔話に花を咲かせ、笑い話が尽きない。私自身もロシア時代は公私共々大変お世話になり、今でも仕事で新潟市に行くと、忙しい中にも時間を作って会ってもらっている。彼らはロシアではロシア人との交流にも、ロシア語の勉強にも積極的な姿勢の人達が多く、同じ寮に住む多くの留学生にとっても良き相談役であり模範であった。
 新潟県も富山県も地理的にロシアとの交流が欠かせない地域だ。
 富山に来ているロシア人の研修員も新潟に来ているロシア人留学生もそれぞれに「富山が好き」「新潟に住みたい」と語っていた。
 彼らはウラジオストクでの研修後も自分達の県を越えて、派遣されていた研修時期を越えて横に固い絆で結ばれており、今回のマラソン大会のように来日するロシア人へよい思い出をプレゼントしているのであろう。
 もちろん残念ながら、組織の中で全員がロシアに係わる業務に就いている訳ではないようだが、彼らは新潟、富山の日ロ交流を陰で支え、そしてよい物に作り上げて行くための一つの力であることは真実であろう。

ロシア極東国立総合大学函館校 講師 工 藤 久 栄