極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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バイカル民話集3 オームリの樽

オームリの樽
Омулевая бочка

 これは大昔のことだ。ロシア人の漁民はバイカルの海に来て、以前からその地に住んできた民族のブリャートとエヴェンキにも負けない位いい漁師になっていた。
 ロシア人漁民のなかで一番腕のいい漁師はサベリイ爺さんだった。サベリイ爺さんは子供の頃からバイカルの海で生活し、何十年も漁民組合の親方を勤めてきた。漁のことなら、知らないことはなにもない位だった。漁場も、漁に相応しい時間だって、誰よりもよく知っていて、いつも大漁だった。
 サベリイ爺さんの一番好きな漁場はバルグジン湾で、よくそこで漁をしていた。しかし、オームリの群れを探すには、もっと遠いところに行かなければいけない時もあった。ずっと同じ場所で留まれば、何もとれないからだ。
 ある日、バルグジン湾で漁をしていた昼休みのことだった。漁師たちは新鮮なオームリのスープを食べ、熱い紅茶を飲みながら岸で休んでいた。そして、魚やバイカルについての話をしていた。
 組合の中にガラーニカという若者がいた。彼は勉強好きで経験豊かな漁師の話を聞くことが大好きだった。漁のことは何もかも知りたがって、もし気になることがあれば、夜も眠れないくらいであった。だからいつもサベリイ爺さんの近くにいて、質問ばかりしていたが、サベリイ爺さんはなんでも詳しく説明してあげた。
 さて、ガラーニカはサベリイ爺さんのそばに座って、面白そうに話を聞いていた。そして、突然聞いた。
「ね、お爺さん。この辺の風は魚を操る力があるって本当?」
 サベリイ爺さんはすぐに答えず、驚いたような目でガラーニカを見て聞いた。
「あの樽の話かい?」
 今度は、ガラーニカの方がびっくりした。
「え?樽って何のこと?」
「あるんだよ。『オームリの樽』という、魔法の樽なんだ」
 ガラーニカはそれを聞くと息が止まりそうだった。
「ね、爺さん!どういうことか教えて、話してよ!」
 サベリイ爺さんは笑ったが、断れなかった。パイプにタバコを詰め込み、炭で火をつけた。そしてガラーニカだけでなく、他の漁師達も耳をすましているとわかったサベリイ爺さんはゆっくりと語り始めた。
―この話はいつからあって、いつ人に知られたかワシには分からん。長老たちから聞いたことをお前らに話そう。昔、この海の魚はすべて二人の兄弟の風に使われていたそうだ。二人の名は「クルトゥック」と「バルグジン」。二人とも巨人で、怖い顔をして、長い髪を乱し、おまけに暴れん坊だった。海の上を飛ぶと、空は真っ暗になる。最初、二人は仲良しで、一緒に遊ぶことが大好きだった。そして、バイカル様からお土産に貰った不思議な玩具を持っていたんだ。それは『オームリの樽』という物だった。
 一見すれば、ごく普通の樽、オームリの塩漬けのために使うのとそっくりだ。しかし、あの樽には魔法の力があった。どこに流されても、その周りにオームリの群れが集まってくるのだ。まるで、あの樽に自分から入りたいかのように。二人はそれをとても楽しんでいた。バルグジンはクルトゥックにぶつかって、樽を海に投げて威張るのだ。「ほら見ろ、俺様は魚をいっぱい集めたぞ!お前にはできないだろう」
 しばらくすると、今度はクルトゥックが樽を奪って、海に流して叫ぶ。「お前こそ見てみろ。おいらの方が沢山集めたぞ」こうやっていつも遊んでいた。二人はその魚を食べたり、自分の富だと思ったりすることはなかったので、考えてみれば、その遊びはとても楽しいとは思えないけれど、なぜかあきなかった。このように、本当なら今でも樽ごっこをやっていたはずだろうが、やめざるを得なくなった。あることが起きてな・・・。
 オリホン島はバイカルを二つに分け、岸と島の間は「内海」、島の外は「外海」と呼ばれるのだ。その内海の主は風の女神サルマだった。サルマは自分勝手で、クルトゥックとバルグジンよりずっと強い風だ。深い谷から突然飛び出すと大変な嵐を起こすのだ。二人はサルマ様に憧れていた。ある日、バルグジンは「俺はサルマを嫁にもらって見せるぞ」と言うと、クルトゥックは「そう早まるな。俺だって彼女と結婚したいのだから、勝負しよう」と答えた。二人ともサルマに媒酌人を送って、答えを待つことにした。まもなく、サルマの使者であるウミウが飛んできて、サルマの言葉を伝えた。
「わたしはまだ結婚を考えていないが、まず婿の候補者はどういうものか確かめたいのだ。二人とも陽気だし、いい男に見える。だから、勝負しなさい。私の内海を魚でいっぱいにしたい。だから、オームリの樽を先に持ってきたものと結婚しよう」
 ウミウが飛び去るとすぐに、クルトゥックとバルグジンは樽を奪い合い始めた。しかし、二人とも大変な力持ちで、どっちも勝てないのだ。例えバルグジンが樽を手にしても、あっという間にそれはクルトゥックに奪われた。クルトゥックが樽を持って逃げようとすると、次の瞬間にもうバルグジンがそれを奪い取った。どちらも負けたくないのだ。二人のうなり声がバイカルのどこまでも聞こえて、海には大変な嵐が吹いた。樽自体もどうやら大変な目にあったようだ。きーきーと軋んで、飛び回っているばかりだ。二人は興奮して、オームリの樽をいったん放っておいて、格闘で勝負しようとした。だけど、力が同じだからいくら戦っても勝負が決まらないのだ。
 二人は疲れて、休むことにした。そこで周りを見ると、なんと・・・樽はどこだ!いくら探しても、どこにもない。ひょっとして、少し待てばそのまま戻ってくるかと思って、待つことにした。けれども、何週間も何ヶ月も何年も樽は戻ってこなかった。二人はとても落ち込んでいた。だって嫁ももらえなかったし、おまけにお気に入りの玩具を失ったじゃないか。やがて二人は分かった、それはバイカルからの罰だと思った。バイカル様は二人の争いに怒って、お土産を取り返したのではないかと・・・。
 サルマはしばらく勝負の決着を待ったが、やがてウミウを送って「お前たちと結婚するより、一人暮らしの方がましよ」と伝えた。
 それ以来、外海には魚が前より少なくなった。オームリの樽がまた現れてくるといいが、それは無理だろう。
 サベリイ爺さんは話を終えて息をついた。ガラーニカもほっとした。彼はいつも、物語を聞いているときは、何か分からなくても質問を後にして、話が終わるとすぐに沢山の質問をする癖があった。
「ね、ね、お爺さん。ひょっとしてサルマがあの樽を二人から盗んだんじゃない?二人が格闘していた間に」
「それは分からないさ。サルマって、バイカルの一番強い風だ。おまけに自分勝手だな。ほら、いきなり襲ってきて、いつの間にか止むだろ」
 それ以来、ガラーニカは夢を持った。
「あのオームリの樽を見つけて、いつも大漁できればいいな」
 しばらく後、サベリイ爺さんの組合はまたバルグジン湾に漁をしに来た。皆はがんばって元気に働いていたが、魚はほとんどとれなかった。何度も網を打ったが、漁はほんのわずかだった。
サベリイ爺さんは顔をしかめた。「困ったなぁ」
 すると、ガラーニカは「内海に行ってみようよ」と聞いた。それにサベリイ爺さんは「そうだ、行ってみよう。クルクット湾に行けばとれるかもしれない」と答えた。他の漁師達も賛成した。
 内海のクルクット湾に着くと、白樺の皮のテントを建て、つり道具を用意した。
 確かにすばらしい漁場だった。周りに高い崖がそびえて、密林が広がって、水面の上にカモメやウミウたちが鳴きながら飛び回っている。青空にお日様がやさしく輝いて、空気が実においしい。
 しかし、サベリイ爺さんは不安そうだった。
「今日はうまくいかないな。ほら、谷間にあの丸い雲が見えるかい。きっと、今日はサルマが吹いてくるぞ」
 ガラーニカはびっくりした。
「まさか、あのサルマ様が来るの?」
「間違いないな」
 とサベリイ爺さんが言って、全ての道具と荷物を岩の溝に隠して、テントを解体するように命じた。どうせサルマが壊してしまうのだから。皆は言うとおりにした後、まもなく山の方から強い風が吹いてきて、あっという間にあたりは真っ暗になった。内海が荒れて、大きな木は音をたて、崖の上から大きな石が次々と水に崩れ落ちる。
 ガラーニカはいくら怖くても、どうなっているのかどうしても見たくて、隠れ場から頭を出して外を覗いた。見ると、海の上に煙で出来たような大きな女性の顔が浮かんでいる。乱れた灰色の髪の毛に白髪が混ざって、ほおがゆれて、口は雲を噴出している。実に恐ろしい顔だ。高い波が音を立ててお互いにぶつかっている。
 ガラーニカは「すごい力だ!」と思って、また隠れ場に戻ると、サベリイ爺さんが笑って聞いた。
「どうだ。サルマは美人だったのかい?」
「いや、もう二度と見たくない顔だよ」
「それはお前にとってな。クルトゥックとバルグジンから見ると、彼女はきっとすばらしい美女に見えるだろう」
 サルマはしばらく暴れ続けたが、やがて止んだ。空が晴れて、漁師たちは隠れ場から出た。周りを見ると、なんと浅瀬に怪しそうな樽が波に流されてきて、その樽の上に炭のように真っ黒なウミウが降りている。ウミウがまもなく飛び去ると、今度は真っ白なカモメが飛んできて、樽の上に降りて嘴で翼の掃除をする。
 もちろん、漁師達は驚いた。だって皆は「ひょっとしてあの樽か」と思ったに違いない。しかし、それを言い出すことなく、親方のサベリイ爺さんが何を言うか待ったが、ガラーニカだけが待ちきれず尋ねた。
「ね、爺さん・・・。もしかしてあれは・・・」
 しかし、サベリイ爺さんも黙ってじっとして、驚いた目で樽を見つめる。やがて決心したようで、こう指示をした。
「みんな、ついて来い」
 浅瀬に来ると、カモメが鳴いて飛び出した。すぐに、他のカモメやウミウが空も見えなくなるほど沢山集まってきた。鳥たちが高い泣き声を立て、海に飛び込んで魚を捕まえてどんどん食べ始めた。
「大漁の兆しだな」とサベリイ爺さんが言った。
 樽に近づいて見ると、間違いなく特別な樽だと分かった。驚くほどよく作られたもので、普通の樽よりずっときれいに見えるものだから。その香りだって特別で、香ばしくて美味しそうだ。
「お前の言ったとおりだな、ガラーニカ君」とサベリイ爺さんが言い、海を眺めた。バイカルの様子を見ると、水面の模様が変わったことが分かる。バイカル湖の水面を遠くから見ると、そこに大きく線が伸びている。色の濃い線は水が冷たくて、そこから魚が逃げる。色が薄いと、水が暖かく魚が集まってくるところだ。今は、水面は滑らかで全部一定の薄い色になっている。それは、大漁の兆しだった。サベリイ爺さんは皆に「今日こそ大漁になるぞ!餌もいらないかも」と自信満々で言った。
 早速、漁師たちは仕事に取り組んだ。道具を積んで、船を海に出した。ゆっくりと走りながら、網を少しずつ水に下ろす。全部下ろすと、サベリイは岸の方に向かって「引け!」と叫ぶ。船の舵をしっかり握って、顔だけがにっこりと輝いている。親方を見た他の漁師も歌い出したい位嬉しい気分だ。しかし、すぐに本音は出さない。岸にいる漁師達はウインチを回して、網を引いたが、突然仕事をやめた。船の漁師は「何だよ、引っかかったのか」と叫ぶ。
「違う」と岸の人が答える。「重くて、もう引けないんだよ」、「なに?困ったなぁ」親方のサベリイが驚いた。「手伝いに行かないと」、今度は皆で網を引っ張った。「引け・・・」
 しかし、網は一寸も進まない。一体、どういうことなのだ。漁師たちは不安を感じた。
「無理だな」と親方が言い、悔しそうに頭を掻いた。確かに大漁にはなったが、網を引き揚げなければ、まったく意味がない。
「どう見ても、無理だ。どうする?」
 仕方がなかった。網を切って、魚を逃がすことにした。空っぽの網を引き揚げて、夜までなんとか直した。ここで、あきらめの悪いサベリイ爺さんは「またやってみようじゃないか」と言い出した。漁師達は口を出せず言うとおりにした。しかし、今度も同じ結果だった。また、網を切って魚を逃がすほかなかった。そして、そのまま岸で一夜を過ごした。翌朝、親方は船を出さなかったが、そのまま何もとれずに帰るわけには行かないと思った。
 皆で打ち合わせをした。サベリイ爺さんは「魔法の樽を海に流そう。そうすると全てが元通りになる。それでいいか?」と提案した。
 ここでガラーニカが怒って叫んだ。「そんな宝物捨ててもいいのかい!今、幸運を手に握っているのに。あの樽があれば、誰でも腹いっぱい食えるじゃないか。幸せを海に流すなんて、そんなバカな!」
 サベリイ爺さんはガラーニカの言葉を冷静に聞いて、そして落ち着いてこう答えた。
「やっぱり若いな、ガラーニカ君。魚が多くても手に入らないなら、どこが幸せだよ。少なくても手に入るなら、その方がマシだ。だから、けちなサルマの真似をするな。ほら、彼女はあの樽にあきて、そいつをわざと我らに持たせて困らせるつもりだったと思う」
 
 こうして、樽を海に流すことにした。もう一度その姿を眺めた後、力を合わせて水に押し出した。サベリイ爺さんは手を振った。
「これでいいよ。あの樽はずっと一ヶ所にとどまるとよくないのだ。これで、余計な魚が内海から外海に戻る。我らは漁師の腕と技がある限り、必ず魚をとれるのだ」
 ガラーニカは悲しい顔で、波に流される樽を見送っていた。
 突然、海はまた暗くなって、空に黒い雲が浮いた。高い波がうねって、樽がもう見えなくなった。
 サベリイ爺さんは顔をしかめた。
「バルグジンが吹いたから船を出せない。皆、しばらく休むがよい」
 ガラーニカはバルグジンのことを耳にすると、一瞬で悲しみを忘れた。
「バルグジンも現れるのかい?」
「海を見れば分かるだろう」
 ガラーニカは海を見て、ぞっとした。遠い水平線の上に雲の中から巨人が現れて、大きな手を海に伸ばした。次の瞬間にその手の中に魔法のオームリの樽が現れた。雷のような声が響いた「ハハハハー!」次の瞬間に巨人が樽を遠くに投げて雲の中に消えた。あっという間に空が晴れて、お日様が輝いた。
 サベリイ爺さんは微笑んだ。
「お気に入りの玩具が見つかったか。今度はクルトゥックが答えてくるに違いない」
「本当?」とガラーニカが聞くと、また海も空も真っ暗になって、山のような大きな波が上がった。その波の中からもう一人の巨人が立ち上がった。また海の上に「ハハハハー!」と大きな声が響いた。巨人は海に手を伸ばすと、直ぐに水の中から魔法の樽をすくった。そして、手を上げて樽を水平線の向こうに投げた。
 ガラーニカは「すごいな、これからどうなるんだろう」と思った。
 しかし、どうにもならなかった。クルトゥックが姿を消すと直ぐに海が静かになり、お日様が青い波を照らした。サベリイ爺さんの顔も明るくなった。
「よかったな、二人は争いをやめたみたい。これで、魔法の樽も自然に流されて、魚の群も海に広がるだろう。サルマの内海は樽がなくても豊かだし。・・・さ、みんな働こう」
 そのとき水面が変わって、色が濃い冷たい水の線と色の薄い温かい線が見えてきたが、サベリイ爺さんはそれを気にしない。
「いつもの様に漁をしよう。皆でがんばって働けばきっと大漁だ。午後から船をだすぞ」
 午後になると、サベリイ爺さんはまた舵を握った。網を水に下ろして、岸に戻った。そして皆で引っ張り始めた・・・。
 あの日はどれだけの大漁だったか、言葉では伝えられない。それは自分の目で確かめなければ分からないだろう。
 漁師たちは、大変喜んでいた。サベリイ爺さんはにこにこして「どうだ、あの魔法の樽を逃がして、まだ悔しいかい?」と聞くと、ガラーニカは陽気な声で答える。
「いや、悔しくなんかない。だって、お爺さんの腕こそ本当の魔法なんだから」

訳:ロシア極東国立総合大学函館校

講師 デルカーチ・フョードル