ウラジオストク訪問記 3
<3日目>
朝食をとりにホテルのレストランへ行くと、バイキングは昨日と全く同じメニューだった。
この日は、朝一番でウラジオストク市役所を表敬訪問した。プシカリョフ市長不在とのことで、ズブリツキー副市長が対応してくれた。ズブリツキー氏は極東大学副学長から転身した若い副市長で、イリイン校長の東洋学部時代の教え子(ただし韓国語が専門)。この夏、函館で開催された日ロ沿岸市長会にも出席しているので、私たちにはなじみが深い。前日に函館市から研修派遣されている中学生と交流した話や、ウラジオストクと函館との深いつながりについて話がはずんだ。
ズブリツキー氏は、「実を言うと、3つある日本の姉妹都市(函館・新潟・秋田)の中で一番親しみを感じるのは函館です」と言った。ウラジオストクと函館、二つの都市はいろいろと共通点があるけれど、どちらも極東大学があることが街の誇りだと言うのだ。ひいき目でも嬉しい。
ズブリツキー氏は40歳そこそこ。プシカリョフ市長は30代半ばという若さ。今のロシアでは、ソ連時代にとらわれない若い世代が世の中を動かしているようだ。
ところで、ウラジオで表敬訪問をする際、テーブルの上には2種類のミネラルウォーターが置かれていることが多い。ガス入りとガスなしだ。ロシア人はガス入りを好み、外国人はガスなしを好むからとの気遣いなのだろう。昔は水と言えば、黙ってガス入りが出てくるのが普通だったそうだ。
お昼はレストラン「二人のグルジア人」でグルジア料理を頂く。グルジア料理と言えばハルチョー。トマトベースの、ちょっとスパイシーなスープだ。それと中にチーズが入った熱々の薄焼きパン、ハチャプリ。シャシリクやなすびのピーナツ和えなども、とてもおいしかった。もう一つ、グルジアと言えばワインが有名だが、残念ながら関係が悪化しているロシアでは、もうほとんどグルジアワインは買うことができない。したがって、これも名物だという赤い木の実のジュースを飲む。甘くて、シロップのようだった。
午後からは東洋学大学の建物へ向かう。まずは日本の中学・高校にあたる附属カレッジで日本語を勉強しているという女子生徒が二人、歓迎の挨拶で迎えてくれた。紙を読みながらのたどたどしい挨拶がとてもかわいい。
部屋に案内されると、テーブルいっぱいに美しく盛り付けられたブリヌイやクッキーやお茶が用意されている。これがロシア流のもてなしだ。グルジア料理をたらふく食べた直後のため、あまり食が進まなかったが、ブリヌイにハチミツをつけて食べたらとてもおいしかった。沿海地方は良質なハチミツが採れることで有名だ。濃くて、甘くて、香りがよい。やはり甘いものは別腹。
引き続き日本学部長室を訪問。シュネルコ学部長と、以前函館校で働いていたコルビナ・リュドミラ先生が待っていてくれた。コルビナ先生としばし再会を喜ぶ。
さらに昨年・一昨年と函館校に留学していた女子学生2名が待っていてくれた。この日は大学が休みなのに、我々のためにわざわざ集まってくれたのだ。函館のことなどを語り合ったが、今の学生たちはスカイプなどで気軽に日本の学生たちと会話を楽しんでいるらしい。昨日も話しましたよ、などという。函館での出来事は、思い出というよりまだ現在進行中なのだ。もしかしたら、函館の今の様子や流行のものなどは、私より詳しいかもしれない。みんな、会話がより一層上手になっていて、日本語を勉強する学生を支援する函館での留学プログラムは、とてもいいものだと再認識する。
それから庭に出て、函館市の中学生海外派遣事業で滞在中の生徒21名と合流する。この事業は、広い視野と国際感覚を備えた人材育成のため、2000年から市が実施しているもので、函館市の姉妹都市を中心に行われている。今年は各中学校から選ばれた生徒たちがウラジオストクに1週間滞在し、ホームステイをしながらロシア語を勉強したり、合唱を披露したりして交流を図る。ロシアはもちろん、海外旅行自体初めての子も多いだろうに、みんな片言の英語や身ぶり手ぶりでホストファミリーと会話をし、楽しく元気に過ごしているようだ。ウラジオストクは“日本から一番近いヨーロッパ”。言葉は聞いたこともないロシア語だ。感受性豊かな中学生にとっては、今後の人生を左右するかもしれない経験だと思う。
中学生チームは我々公式訪問団より2日先に、韓国・仁川空港経由でウラジオ入りしている。大韓航空の函館-ソウル便を利用し、ソウルで1泊してからウラジオに飛ぶというのが、移動も少なく料金もそう高くないので、最近は便利なパターンだ。ソウルでは観光もしたらしい。アジアとヨーロッパ、一度に二つの全く違う文化に触れる経験をした子どもたちは、何を感じ、何を日本に持ち帰ったのだろう。
派遣中学生の中に、通訳ガイドのアーニャが昨年函館に留学した時、ホストファミリーとなった家の女の子がいた。二人はウラジオでの偶然の再会を喜んだ。もしかしたら彼女は、去年のアーニャとの生活をきっかけにロシアと出会い、この派遣事業に手を挙げたのかもしれない。ここでもまた、再会の輪がつながった。
東洋学大学の前庭には、与謝野晶子の歌碑がある。1912年、パリにいる夫・鉄幹を追いかけて、ウラジオストクからシベリア鉄道に乗ったことを記念しているのだ。その時代に女ひとりでシベリア鉄道に乗るなんて、やはり晶子は情熱の女だ。
歌碑のあるところは“友好並木”と名づけられており、そこに中学生と一緒に白樺を植樹する。ロシアを象徴する木・白樺が風雪に耐えて、子どもたちの成長とともに大きく育ちますように。
記念植樹の場面では、函館校からカリキュラムで留学中のロシア地域学科2名とロシア語科3名の学生や、昨年卒業し、現在極東大学ロシア文学部に留学中の卒業生と久しぶりに顔を合わせる。日本の食事が懐かしかろうと、持参した五島軒のレトルトカレーをお土産に渡す。元気な様子で安心した。みんな、勉強は大変だが、ロシアの生活を楽しんでいるようだ。
夕方とは言え、+2時間の時差があるウラジオは、まだまだ日が高い。極東大学のそばにあるウラジオストク最大の教会の屋根と木々の黄色い葉が、夕日に映えて美しい。
本日の仕事はこれで終了。一度ホテルに戻り、食事に出かける。ロシア料理の予定だったが、お米が食べたいという希望が出て、急遽ちょっと離れたところにあるがおいしいと評判の中華料理店に行くことになった。
ところが、である。これが裏目に出た。恐ろしいほどの夕方の渋滞にすっかり巻き込まれてしまったのだ。ホテルを出てから次の角を曲がるまで、数センチずつしか進まない。溢れんばかりの日本の中古車が、車線など無視して隙あらば無理やり割り込むものだから、ちっとも進まないのだ。電車軌道も信号も無視、無法地帯だ。話には聞いていたが、こんなにひどい渋滞が毎日起きているとは。こんなことなら、歩いて行けるロシア料理店に黙って行けばよかった……。でも、それは言ってはいけない。結局中華料理店に着いたのは、1時間半後、通常なら20分くらいで着く距離なのだそうだ。すっかり日も暮れてしまった。
赤い中国風のちょうちんが飾られた玄関をくぐり2階へ上がると、結構な広さでロシア人のお客さんもたくさんいた。しかし、ロシア語と中国語のメニューを見ても、なんだかよくわからない。チャーハンや餃子など、一般的なものを頼んだつもりだが、出てきたものを見ると、日本の中華料理とは明らかに違う。量も恐ろしいほど多く、みんなでげんなりする。やっぱり「ノスタルジア」のロシア料理のほうがよかったな。
帰りは渋滞も収まり、スムーズに車は進んだが、すっかり疲れてしまった。今日もよく眠れそうだ。