ペテルブルク・モスクワ旅行記7
<7日目>
そしてモスクワを離れる日となった。昨日でインターンシップの予定はすべて終了しているので、空港に向けてホテルを出発する15時まで自由行動となる。開場と同時にクレムリンに入るため、朝食とチェックアウトを済ませホテルに荷物を預けたら地下鉄で街の中心部に向かう。
モスクワの地下鉄は非常に便利であるが、中心部では路線が交錯しているため降りる駅を勘違いしてしまい、またしても道を尋ねながらクレムリンまで少し歩いた。しかし偶然にもチャイコフスキー像のあるモスクワ音楽院の前を通ることができたのはラッキーであった。
クレムリン周辺にはモスクワの見るべき建物が集まっている。最初の目的は武器庫を見ること。ガイドブックによればクレムリン内部の共通入場券とは別に武器庫の入場券を買わなくてはいけない、販売時間も決まっており、人気があるので売り切れてしまうこともあるそうな。まずはチケット売り場に並ぶ。すると私の前のロシア人客が窓口の怖そうなおばさんにえらく怒鳴られている。きちんと注文しないと怒られそうだ。二つ合わせて1,200ルーブルをおつりのないように用意する。私の番となり、意を決して「武器……」まで言うと、黙ってクレムリンと武器庫2枚のチケットをバンバンと出してくれた。外国人観光客にはやさしい(?)ということか。
金属探知機をくぐり、早速クレムリンに入場したら、まずは武器庫に向かう。物騒な名前であるが、中身は歴史博物館である。歴代皇帝の王冠やダイヤモンドが散りばめられた玉座、エカテリーナ2世が戴冠式に着用したというドレスが見もの。ドレスはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が全面に刺しゅうされ、後ろに長く裾を引いている、権力者が着るにふさわしい手の込んだもの。圧巻なのは馬車がぎゅうぎゅうに並べられた部屋。部屋いっぱいにたくさんの馬車が押し付け合って並べられていて、文化財保護の観点から見れば、もうちょっと隙間を開けて展示しないと傷むのでは、と心配してしまう。
武器庫を出たら聖堂広場に移動する。共通入場券ではここにある5つの教会と宮殿に入ることができる。ロシア皇帝が戴冠式に臨むウスペンスキー大聖堂には祭壇に向かいイワン雷帝と皇后の玉座が置かれている。ロシア皇帝の墓所となっているアルハンゲルスキー聖堂には48もの棺が安置されている。フレスコ画が美しかったり、それぞれに特徴があるため、全部入った方がいい。どこかの教会に入る時、武器庫のチケットも一緒に出したら「武器庫は入る時間が決まっているから先にそっちに行け」と言われた。よく見るとたしかに10時開始と書いてある。しかしその時間前でも入れてくれたということだろう。もう見てきた、と言うと「早いな」と驚かれた。
クレムリンを出たら赤の広場を抜けて、ワシリー寺院に行く。私のイメージでは赤の広場はだだっ広い荒涼な印象だったが、夏のこととあって広場内に仮設のスタジアムが建設されていたので、ソ連崩壊時に激動の歴史の象徴としてテレビに映し出されたあの感慨はまったくなかった。サッカーの試合でもするのだろう。
スタジアムの周りには物産展のテントが立ち並び、お菓子や民芸品などが販売されている。その中に日本の緑茶を試飲させるテントがあり、日本人が日本人にお茶を勧めていた。
ロシアで最も有名な教会といっても過言ではないワシリー寺院の周辺は混雑していた。ところがチケットを買うために窓口に行くと閉まっている。その隣の券売機も動いていない。どうすればいいんだ、ここまで来てワシリー寺院に入れないのか、あまりにも悔しい!もうあまり時間はなかったが、ほかのお客さんとともにしばらく待ってみると、窓口のおばさんがのっそりと戻ってきて何事もなかったかのようにチケット販売を開始した。休憩に行っていただけなのか、それとも入場制限でチケットを売らなかったのかはわからないが、ともかく内部に入ることができた。
ワシリー寺院は純ロシア式の教会で、外観はサンクトペテルブルクの血の上の救世主教会と似ているが、こちらのほうが歴史が古く、中に入ると印象は異なる。9つあるクーポラの一つひとつが教会になっているため、迷路のような階段を上がったり下りたりしてアーチをくぐるとイコノスタスが現れたりする。一つの教会では聖歌隊がお祈りを捧げている場面に遭遇した。建物自体がすごく古くて照明も暗い。内部の天井や壁には文様が施され、歴史を感じる趣がある。
駆け足だったがモスクワの名所を見学できてよかった。急いでまた地下鉄でホテルそばのパルチザンスカヤ駅に戻る。今回の大事なミッションは、ロシアの民族衣装など学校で使用する物品を購入すること。これはロシアでも簡単に手に入るものではないが、偶然私たちが泊まったホテルのすぐそばに民芸品がたくさん売っている市場があるということで、そこに行くのが実は本日最大の使命。ホテルの部屋から見えるディズニーランドのような一帯、あれは何だろう?と思っていたら、そこがその市場「ヴェルニサージュ」であった。モスクワ在住の日本の方に聞いてもみなさん、おみやげを買うなら種類も豊富で値段も安いあそこがいいよ、と勧めてくれた。
平日のことで開いていないお店も多かったが、マトショーシカや毛皮の帽子を売るテント屋根の小さな屋台が両脇に連なり、それが3列ほど並んでいた。お目当てのものはなかなか見つからない。絵付けに使う白木のマトリョーシカを探したが、扱っているのは1店舗のみで、店前には3個しかないという。もっと欲しいと言うと、こっちに来いとテントの裏の方へ少し歩いて案内される。そこにはテントではない実店舗があり、白木の木工品ばかりが売られていた。しかしやっぱり必要な数はそろえられず、明日工場から持ってくるからもう一度来いと言われた。いや、今日の飛行機で日本に帰るんだと答えて、ある分だけ購入した。
次に民族衣装を探す。学校では行事の際、民族衣装試着体験でお客様に来てもらったり、合唱サークルが着て歌ったりするためのもの。普通の洋服しか売っていない店で尋ねたところ、民族衣装のみを扱う店は市場の中でも1店しかないといって、そこに案内してくれた。
その店には感じのいいお兄さんが一人いて、いろいろと見せてくれる。だがロシア人サイズでどれも丈が長いので、もう少し身長が低い人用のものが欲しいなどあれこれ言うと、ちょっと待ってろとママを連れてきた。ママもたいそう感じがいい。息子がサラファン(女性用のドレス)に合うココーシニク(頭飾り)を選んでくれる。しかしここでも数がそろわず、明日持ってくるからまた来い、と言われる。今日帰らなくちゃいけないんだ、と断り、赤いサラファン3枚と赤と青のココーシニクを買ったところ、ママに「青のココーシニクはこの衣装には合わない」と言われたが、そうじゃなくてすでに持っている青いサラファンに合わせるのだ、と答えると息子が「ママ、この娘(ロシアではいくつになっても娘さんと呼ばれる)はわかっている、心配いらない」などと会話している。領収書をくれと頼むと手書きでいいか、と明細まで丁寧な筆記体で書いて渡してくれた。また来てねー、明るい親子とのなかなかいい出会いであった。
そして自分用に毛皮の帽子も買う。ロシアで毛皮の帽子なんてベタなこと、自分がするとは思っていなかった。しかし青空の下、ラックにずらりと帽子が掛けられ、興味をそそる。一つ手に取るごとにおじさんが「チンチラ」、「ミンク」と毛皮の種類を教えてくれる。品質がいいか、値段も適当かはわからないがすごく柔らかくて暖かそう。チンチラの毛皮がバラのように巻かれてできた帽子を被ると、「おお、一番美しいのを選んだな」と言われ、頭頂部が少しふくらんでいるのは女性の髪の毛をアップにして入れるためだと教えてくれた。こんな帽子は日本では売っていないだろうと思い、そのまま買ってしまった。とても楽しいヴェルニサージュ市場であったが、たくさんのお店が開く土日はもっと楽しいだろうな。
しかしもうタイムリミットである。ホテルに戻って預けていた荷物を受け取り、ロビーで空港までの送迎車を待つ。運転手のゲンナジーさんは韓国系ロシア人であった。カタコトの日本語を話すので不思議に思ったら、娘さんが結婚して横浜に住んでおり、日本にも行ったことがあるという。
それにしても聞きしに勝るモスクワの渋滞。4車線もある広い道路でも少しの隙間があれば車線変更し割り込み、進もうとする。みんながそれをするので危ないし、結局のところあまり進まない。2時間も前にホテルを出たのに。到着した時は空港からホテルまで40分くらいだったのに。金曜日の夕方は特に混むとのことで止むを得ないが、ちゃんと飛行機に乗れるのか、ゲンナジーさんは次の仕事に間に合うのか、お互い次第に無口になり道路の隙間を縫う。そしてギリギリで何とか到着。スーツケースをボンボンと下ろして、お別れもそこそこ、ゲンナジーさんは次の仕事に向かい、私たちはアエロフロートの長蛇のチェックインカウンターに並ぶ。結果、空港で水を買う時間もトイレに行く暇もないまま帰国便に乗り込んだ。余韻に浸る間もなく、慌ただしくロシアの地を離れることとなってしまった。
アエロフロートの機内ではおいしいブリヌイの食事が提供された。英語で話しかけるキャビンアテンダントにはロシア語で応答する。そのまま寝てしまい、起きるとシートの前ポケットに英語の税関申告書が挟まれていた。隣の日本人は日本語の申告書をもらっていた。私はヘンなロシア語をしゃべる韓国人か中国人かわからないヤツだと思われたのだろう。
帰りの便は夜間飛行だったので、天気が良ければシベリア上空からは暗闇に油田から上がる炎がポッ、ポッ、と見えてとてもきれいだと聞いた。しかし残念ながら席は窓際ではなかったので何も見えなかった。次の機会のお楽しみ。
1週間でペテルブルクとモスクワを知るにはあまりに短すぎるが、今回は仕事とはいえ、とてもいい経験をさせてもらうことができた。この機会を与えていただきお世話になったみなさま、現地で出会ったすべての方々に感謝を申し上げます。(おわり)