ロシアのお茶
ロシア極東連邦総合大学函館校 教授 パドスーシヌィ・ワレリー
飲み物の中で何が一番好きかロシア人に訊いたなら、「もちろんお茶だよ!」と答えるだろう。 温かい国の植物の葉から作られるこの芳醇な液体は、どのようにしてロシアの国民的な飲み物となったのだろうか。
ロシアでのお茶の歴史は16世紀に始まる。1567年にペトロフとヤリシェフというロシアのコサックが、訪れた中国でお茶をごちそうになる。彼らがこの飲み物の最初の記述を残している。 1638年には、ヴァシーリー・スタルコフ大使が、皇帝ミハイル・フョードロヴィチからモンゴル高官への高価な贈り物を携えモンゴルへとやって来た。高官は、そのお礼にとロシア皇帝のための贈り物を渡した。その贈り物のひとつに乾燥した葉っぱらしきものがあった。「これは何ですか?」と訊ねるスタルコフに、高官は「皇帝陛下への最も高価な贈り物なのです!」と答えた。皇帝ミハイル・フョードロヴィチはお茶をたいへん気に入った。しかしモンゴルの茶葉はじきに無くなり、お茶のことはしばらくの間忘れられていた。
1665年、在中国ロシア大使イヴァン・ペルフィリエフが再びロシアにお茶を持ってやって来た。 新しい皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチは中国の飲み物の味と香りを高く評価した。それに加えて、茶は皇帝の腹痛を治すのにも役立ったようである。
1679年、ロシアは中国とのあいだでお茶の供給に関する初めての条約を締結し、10年後にはお茶の隊商が行き交うようになる。中国から西ロシアまでの道は「偉大な茶の道」と名付けられ、その長さは1万1千キロメートルに及ぶ。歩き通すには1年以上の年月を要するほどの距離である。
フランスの作家アレクサンドル・デュマは、「ロシア、とりわけサンクト・ペテルブルグでは、美味しいお茶を飲むことができる」と書いている。その理由として、ヨーロッパへは航路で茶が運ばれるために長い航海の間に茶葉は湿気を帯びて本来の美味しさが損なわれてしまうのに比べ、ロシアへは中国から直接陸路で運び込まれるので茶葉の品質が格段に良いからなのだ、と彼は説明する。
ロシアでは最初のころお茶は高価で、それを飲むことができたのは裕福な人たちだけであった。やっと19世紀中頃になって、インドやセイロンからそれほど値の張らない紅茶が持ち込まれるようになる。手頃な値段の品種の茶葉がロシア帝国内全ての人々に飲まれるようになり、お茶は瞬く間にロシアの国民的な飲み物となる。大きな都市だけではなく、小さな村々でもお茶を飲むようになった。
お茶を飲むことが国民的かつ伝統的な習慣となったのである。17世紀末には、お茶のための特別な金属製器具サモワールが発明される。最も品質の良いサモワールは、モスクワからほど近い町トゥーラ製で、現在も作られている。19世紀中頃のトゥーラには20のサモワール工場があり、年間12万台のサモワールを生産していた。それと同時に、お茶のための特別な茶器としてのロシア陶磁器が生まれたのである。
淹れたてのお茶には蜂蜜やミルクを加えていた。その後レモンや砂糖を入れたお茶がより一般的になる。お茶請けにはクラッカーや菓子パン、チーズケーキ、蜂蜜菓子、パイや様々な種類の果物のジャムなどが必ず添えられる。
一日に何度もお茶を飲んだ。宮殿でも貧しい家でも、一日はお茶に始まりお茶で終わるのである。お茶を飲みながら家庭内の問題を解決し、仕事の話をしたのだ。徐々にロシア独自のお茶の作法が形成されていった。友人知人同士で「お茶を飲みにいらしてください!」とお客を招くようになる。給仕や御者などが受け取るちょっとした報酬を「お茶代」と呼ぶようになるほど、お茶は一般に広まったのである。
1870年代には、パイや菓子と一緒に淹れたての熱いお茶を飲むことのできる、レストランより規模の小さい「喫茶店」が登場する。
お茶の人気は1917年のロシア革命以後も変わることがなかった。ソビエト時代にはグルジアと北カフカスでお茶の栽培が始まる。グルジア紅茶は、ソビエト連邦のなかで最も広く普及した。
最近の20年、ロシアでは世界各国の様々な種類のお茶が登場し、お茶を商うロシアの会社が設立された。かくして今ではお茶が最も愛される飲み物となったのである。
留学実習
ウラジオストク留学実習
9月4日(木)より、ロシア語科2年生の3名がウラジオストクにて留学生活を送っています。
学生たちは1ヶ月間、本学付属の外国人のためのロシア語学校で勉強をします。
語学だけでなく現地で学び得るたくさんのことを吸収し、帰国するよう願います。
学務課お知らせ
АБВГ-Day開催
11月12日、第7回АБВГ-Day(アーベーヴェーゲーデイ)を開催します。これは学年問わず全学生が集う「言語のお祭り」です。函館校で学ぶ日本人学生はロシア語で、本学より留学中のロシア人学生は日本語で日ごろの学習の成果を発表しあいます。
当日、授業は午前のみとし、午後1時より2部構成で行われます。第1部では個人が自由な発表内容と形式で発表を行い、第2部ではチームに分かれ、クイズやゲームでロシア語の能力を競い合います。
学年の垣根を取り払い、学習成果を試し、かつ舞台度胸をつけるチャンスです。すぐに準備にとりかかりましょう。
冬季休業
今年度の冬季休業は、12月15日(月)から1月9日(金)までです。
期間中、平日は事務局での各種手続き、図書室の利用は可能です。
12月29日(月)~1月5日(月)は、年末年始休業のため校舎を閉鎖します。
後期授業再開日は1月13日(火)です。
お知らせ
ロシア人留学生が来函します
今年も、ロシア極東大学留学生支援実行委員会の招きにより、ウラジオストク本学で日本語を学んでいる学生が函館校に留学します。日本語を学び、日本文化を体験するこの事業は今年で18回目を迎えました。
留学生は、ホストファミリー、函館校の学生との生活を通して、生きた日本語や、実際に日本を訪れなければわからない日本の文化・習慣を直接肌で感じ取ります。
函館校の学生は留学生と合同授業が行われ、また、一緒に学校行事に参加します。積極的に話しかけ仲良くしてください。
◎期間:10月29日(水)~11月16日(日)
◎留学生のお名前
ヤーナ・ボフトゥノワ 3年生
クリスチーナ・ネケシェワ 3年生
ダリア・パニナ 3年生
ナタリヤ・ルブリョワ 1年生
本学よりイワニェツ学長来校
9月27日(土)、ロシアにある極東連邦総合大学本学よりイワニェツ・セルゲイ学長が昨年7月に就任以来、初めて来校し、ロシアセンターに集まった学生及び教職員と1時間ほど歓談しました。
学生は緊張しながらも、イワニェツ学長にロシア語で自己紹介や質問をしました。
一生懸命話す学生の姿を見て、学長からは語学を習得することの大変さと大切さについてお話がありました。学生は、これからの学生生活で経験する留学実習だけでなく、将来のことを見据えてロシア語の勉強を今まで以上に頑張ろうと感じたようです。
学生からの投稿
「北方四島交流事業」報告
ロシア地域学科1年 小泉 文哉
私は8月28日から9月1日に実施された四島交流訪問事業で国後島へ行ってきました。
返還要求者という形で参加したにも関わらず、国後島に住むロシア人の方々はとても優しくフレンドリーな方々ばかりでした。
島は日本の面影は余りなく、道も建物も振興計画が進んでいました。
はじめに友好の家に向かいました。道中、ロシア人の運転手アナトリィさんに銀行、幼稚園について説明してもらいました。
中等学校にも行きました。ロシアの学校は教師の数はおよそ30人で、男性が二割だそうです。見学した学校は、男性教師が一人だけでしたが、今年の夏から新しく二人採用するらしいです。この時期から、日本でいう部活動が始まることから、男性の先生を採用するとのことでした。しかし、体育館は校舎の中にあり、とても狭く体育の授業や部活動をするには大変だろうなぁと思いました。
そのほかには消防署に行きました。消防署で働く方は7人しかおらず、私が見学に行った時は3人がいました。しかし、それで人数が足りていると言っていたので、それだけ災害が少なく平和なんだなぁと思いました。また、消防署の服を着させてもらったのですが重いため、着るのも、走るのも困難でした。
ダーチャは自分が知っていた丸太でできたものはあまりなく、立派かボロボロかで分かれていました。木材で作られていました。
夜にはコンサートがあり、なかでもピアニストの鈴木飛鳥さんが演奏した剣の舞にとても感動しました。中学生以来こんな演奏は聞いたことがなかったので、とても良かったです。
その後の意見交換会では、ロシア人と国後島訪問に参加した人でA班からD班の4班に分かれて国後島民の生活について、話し合いました。参加したのはC班で主にロシア人の6~9歳の子どもたちを中心に朝から夜にかけて何をしているか、習い事は何をしているかなど、通訳の力を借りて質問したり意見を言ったりしました。
国後島に行って思ったのは、自分のロシア語の未熟さです。私はまだ一年生で、ロシア語を勉強して半年ほどしかたっていないためロシア語が全部理解できたわけではありません。聞き取るのも話すのもやっとだったので、もっと勉強したい!と改めて思いました。そして、目標もできました。今度は学生通訳として派遣されたいです。次にロシア人と話すときは自分の力で話ができるよう、これから後期の授業を頑張りたいです。
△国後島でのホームビジットの様子
JT奨学金夏季短期インターンシップ
ロシア語科1年 渋谷 えり
私がこの「夏季休暇短期インターンシップ」に参加した主な目的は、⑴ロシアで働くことを知る、⑵ロシアでの生活を味わい知る、⑶ロシアの魅力を再発見するという3点でした。
まず、ロシアで働くということに関しては企業訪問を通じて学ぶことができました。訪問企業は、メーカー、物流、商社と多岐にわたっており、それぞれの業務におけるやりがいと苦労を企業の方から聞き、大変勉強になりました。
次にロシア人の生活については、街の様子に目を向けることで少しばかり伺い知ることができました。スーパーマーケットでは、お菓子もジャムも何でも売っているのですが、ロシア人はよく、ママがお菓子を焼いてくれるとか、祖母がワインを作るとか、実家のヴァレーニエ(ジャム)が絶品だとか言うのです。日本では消えつつある「家庭の味」が未だ根強く残っているのだと思うと心がほっこりします。そしてその理由はきっと、家族を何よりも愛するロシア人の気質と、モスクワの高すぎる物価(!)にあるのではないかと…。
そして最後に、再発見したロシアの魅力、それはやはりロシア人の優しさです。ロシア人は冷たいなんて言われるけれど、出会ったロシア人の人懐っこさと優しさに何度も助けられました。レストランの場所を調べてくれるカップル、いきなり話しかけてくるおじさん、絡んでくる酔っ払い、切符を買ってくれたお婆さん、神学校の学生、ロシア料理のファーストフード店「クローシュカカルトーシュカ」のおばさん、みんなの懐の温かさが何よりもロシアの魅力だと感じました。
こんな素晴らしい機会を提供してくださった皆様に改めて感謝いたします。
JT奨学金夏季短期インターンシップ
ロシア地域学科1年 金子 智昭
私は今夏JT奨学金インターンシップ研修でペテルブルク、モスクワへ行かせていただきましたので、ここでご報告申し上げます。
ペテルブルクではJTIペトロ工場を見学致しました。ここはロシア国内及び国外向けにタバコを製造する工場で社員の方々はそのほとんどがロシア人であります。皆とても親切に接してくださいましたが、私のロシア語、英語が能力不足な為に大変苦労を致しました。外国語能力の重要性を改めて思い知らされました。
また、ペテルブルクでは「JTIペトロ」の訪問だけでなく、JT様の計らいでエルミタージュ美術館をガイド付きで見学。自由時間にはエカテリーナ、ペテルゴフ両宮殿を見学する事もできました。
モスクワでは「東洋トランスモスクワ」、「双日ロシア会社」、「モスクワ日本センター」を訪問、個人的にクレムリン、歴史博物館、聖ワシリー寺院、ロマノフの家博物館、トルストイの家博物館等モスクワ市内の名所旧跡など、あちこち見物もしました。
観光中も言語での苦労は多々ありましたが、これといって大きなトラブルも無く、無事に帰る事ができました。こうした貴重な機会を与えてくださった事に改めて感謝致しますと共に、今後もロシア語学習に精を出して参りたいと思います。
JT奨学金夏季短期インターンシップ
ロシア地域学科2年 三好拓
この夏、インターンシップでロシアを訪れた。昼12時に成田空港を出発し、モスクワのシェレメーチェヴォ空港を経由して現地時間午後8時半ごろペテルブルクに到着した。その間、機内食も出た。時差は5時間ほど。白夜のためか、まだ夕暮れで、8月にもかかわらず季節はすっかり秋めいている。旅行会社の現地職員二人に、車でホテルまで送ってもらう。ペテルブルク郊外から市街地までは一時間ほどかかるらしい。地平線の果てまで土地が拓けていて、空がやたら大きく感じられた。
宿泊するホテルはネフスキー大通りの東端にあった。ネフスキー大通りはペテルブルクを東西に横切っている主要な通りで、長さは四キロほどある。観光名所は主に西側に多くある。ホテル到着後、荷物を置いて、周辺を散歩した。
このインターンシップでは、様々な企業を訪問させもらった。JTの方には、エルミタージュ美術館の入場チケットを手配してもらい、さらには英語ガイドの人まで手配してもらった。今後、JTには足を向けて寝ることができない。
インターンシップではあるが思いの外、いろいろな場所を見て周ることができた。最も行ってよかったと思えた場所は、エカテリーナ宮殿である。エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクから南に約25キロ、ピョートル大帝の妃、エカテリーナ一世のために建設された。外壁は青い塗装がされており、青空ともよくマッチしていて、とても涼やかに見えた。中へ入ると、大きな窓から入った光が、鏡や、金色の彫刻、磨かれた床などに反射して、まばゆいばかりだった。この大広間は、大黒屋光太夫がエカテリーナ二世に拝謁し、帰国の許可を得た場所でもあった。他に印象に残ったものは、壁一面が琥珀のパネルで覆われた琥珀の間である。この部屋は第二次大戦時にナチス・ドイツ軍によって略奪されたのち、行方が知れなかったのだが、11年前に、職人たちの手によって現代へ受け継がれた。そもそもこの宮殿の床と壁を除くほとんどは一度破壊されており、それを本来の形に修復する過程は気の遠くなるものだっただろう。
それゆえに、この宮殿は私の目には一層素晴らしいものに映ったのである。インターンシップに参加させてもらってよかったと心から思う。
函館日ロ親善協会からのお知らせ
7~9月までの主な活動実績
○ 7月16日(木)
平成26年度函館日ロ親善協会総会・懇親会を開催しました。
総会では、6月6日に逝去された倉崎六利会長の後任として、松本満隆専務理事が会長に就任し、時期役員改選期までは専務理事を空席とする人事案が承認されました。
総会では、松本新会長の議事進行により25年度の事業報告および決算、26年度の事業計画案と予算案が提案され、全会一致で承認が得られました。
続いて開かれた懇親会には来賓として函館市企画部本吉次長、在札幌ロシア総領事館函館事務所ウスチノフ所長のお二方にご出席いただき、新入会員であるロシア極東大函館校の卒業生2名をご紹介するなど、会員相互の懇親を深めました。
○ 9月6日(土)、7日(日)
「はこだてグルメサーカス2014」に協会として出店いたしました。
例年好評のピロシキとボルシチを昨年よりも数量を増やして販売いたしましたが、ピロシキは開店2時間ほどで、ボルシチもお昼過ぎに完売してしまう盛況ぶりでした。
多くの皆様のご来場、誠にありがとうございます。
9月27日からは初代駐日ロシア領事ゴシケヴィッチ生誕200年を記念したパネル展、フォーラム、ベラルーシ(ゴシケヴィッチの出身地)と極東大学函館校の学生同士による交流事業など、一連の行事が開催されました。
また12月上旬には協会恒例のクリスマスパーティーを予定しておりますが、今年は当協会設立25周年にあたることから、関係機関との連携のうえ皆様にもよりお楽しみいただけるようなパーティーを企画中です。内容が決まりましたらご案内いたしますので是非ご参加ください。
≪係りより≫
本号は北方四島やJT夏季休暇短期インターンシップでペテルブルク、モスクワを訪問した学生の体験記をご紹介しています。ロシア語学習意欲が高まっただけでなく、ロシアそしてロシア人を理解する上でも貴重な体験となりました。在学中にできるだけ色々な経験をして、一人ひとりが大きく成長していくことを期待しています。そして、快く受入れていただいた企業の皆さまに感謝申し上げます。(倉田)