No.53 2007.10"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

私とロシア

ロシア極東国立総合大学函館校 図書館司書 吉崎 侑

10年前、私は33年間の教職員生活を定年退職して、さて、第二の人生を何をして過ごそうか?取り敢えずは年老いた父母の介護かなと考えているところに、ロシア極東国立総合大学函館校の図書室で司書の仕事を手伝ってみる気はありませんかというS先生からの思いもかけないお電話。この世で一番と言っても良いほど好きな図書の仕事が出来る、二つ返事で私は大学の玄関をくぐった。あの日から早や10年。
司書の仕事が始まって間もなくの頃、元外交官として旧ソ連の国々を廻った方のご家族から八百余冊の本の寄贈があった。その本を見て私は吃驚仰天!半分以上がロシア語の原書ではないか!その時になって私は初めて、ここで司書の仕事を続けるならせめてロシア文字が読めて、書くことができなくてはならないと気が付いたのだった。早速私はロシア語市民講座の入門クラスを受講することになった。私とロシアの出会いである。
生まれて初めて見るキリル文字。でも33文字覚えればいいのだ、漢字を覚えることを考えれば楽ではないかと高を括ってはみたが、とんでもない!発音が難しくて勉強は遅々として進まず、頭の中をいつもロシア状態にしておく事ができないので辛かった。でもとても熱心に教えてくださる美人のイリーナ・バランスカヤ先生の授業は楽しかった。バランスカヤ先生には、その後時折、ロシア語だけではなく、お料理の事、ファッションの事、ロシアの暮らしの事など語るほど仲良くして頂き、今も懐かしく思い出されまたいつかお会い出来たらいいなと思っている。
さて、寄贈された原書のダンボールの山は、とても私の手には負えない。私がロシア文字で受け入れ業務が出来る日まで、私をこの図書室に紹介して下さったS先生の助けが必要である。そこで先生のお宅にダンボール箱ごと運び、原簿に記入、カード書きなどして頂き、後日それを受け取りに行く。そして次のダンボール箱を置いてくる。司書とは名ばかり、なんとも情けない運び屋稼業がしばらく続いた。私の拙いロシア文字が原簿に表れるのはおよそ1年後である。それからは時々S先生に点検して頂きながら独立して行く私。
市民講座の受講の前期が終わる頃ちょっと大きな交通事故に見舞われた私は、父母の介護が必要になり始めたこともあり受講が不可能になりロシア語の学習はこの時点で頓挫してしまった。文法が判らない、暗記力が衰えていく一方なので語彙が増えない、直ぐ忘れる。この世で一番難しい言語と言われるロシア語に挑戦する気力はもう私には無さそうである。とても悔しいけど。
その後この10年の間に数多くの原書が図書館に寄贈、あるいは購入され、その数は二千冊に近い。これほどのロシアの本が揃っている図書室は全国でも珍しいのではないだろうか。原書は勿論の事、
日本の出版物も殆どがロシア関係の書物である。大袈裟に言えば、函館の財産の一つとして自慢していいかと思う。
 ところでロシア語習得を放棄した私が、後悔の念とともに今もって困っているのは本の内容が読み取れない事。本は一冊ごとに分類記号を決めラベルを貼付しなくてはならないが、分類記号は内容によって異なるのでそれを決めるのが一仕事なのである。簡単なのは本のタイトルで決定できるが、タイトルだけでは文学なのか科学読み物なのか判らないというような時、内容を読まなければならないがそれが私には不可能なのだ。そこで私が強力な助っ人としてお願いするのがアニケーエフ先生である。先生のお時間のある時、先生は快く図書室に寄って下さり、本の内容、タイトル、作者や編者等を解説してくださる。そんな時先生と交わす会話が私はとても楽しい。ロシアと日本の文化の違いなど話しながら私なりにロシアを知る縁にしている。
ある時、先生が私の書いたカードをご覧になり「ロシア人は活字体では書きません。それはまだ良く字の書けない子供か判らない大人です。」びっくり!私としてはてっきり丁寧な整った字で書いていたつもりだったのに、きっと日本でいえば平仮名だけで書いていたようなものだったんだろうか。でも、背表紙は殆ど活字体で書いてある様なのになぜだろう?まだ先生に確かめてはいない。勿論その日から原簿もカードも全て筆記体で書いている。流れるように書く事が難しくなかなか上達しないが、この頃では日本の書物のそれを漢字交じりで書くより楽に感じている。
間もなく今年もロシアまつりが行われる。私もきっとお手伝いさせていただけるのではとわくわくしながら待っている。この年になって若い学生さん達の仲間に入れていただくなんて、それだけで気分が若やぐようである。それも皆んな10年前にこのロシア極東国立総合大学函館校に勤める事が出来たから。キリル文字を知り、沢山の心優しいロシア人の先生方と言葉を交わし(勿論日本語で)、ロシアのお料理を好きになり、5日間だけだけだがウラジオストクに行く事も出来、ロシアが大好きな学生さん方と話す事が出来、家ではグジェーリのお皿で焼き魚を食べる。そして何より多くのロシアの本に囲まれての仕事。私の生活はもうロシアを抜きにしては考えられなくなってしまった。

第10回はこだてロシアまつり
今年のテーマは「ロシアの民話」

ロシアには「大きなかぶ」をはじめ、日本でもおなじみの民話がたくさんあります。今年のはこだてロシアまつりでは、そんなロシア民話の世界へ皆様をご案内します。新作の人形劇も上演しますので、どうぞご期待ください。
詳細は、近くなりましたら学校HP上でお知らせします。 
今年もたくさんの皆様のご来場をお待ちしております。

○ 日 時:平成19年11月10日(土)10:00~15:00(予定)
○ 予定されている催し物:
・ロシア料理レストラン・カフェ
・キオスク・ステージショー
・人形劇・チェスコーナー・講演会 
・民族衣装試着・ロシア語教室

留学実習

ロシア地域学科3年生が留学出発
9月13日、ロシア地域学科3年生の2名が3ヶ月間の留学のためウラジオストクへ出発しました。出発前は、海外での生活に対する期待と不安が入り混じった面持ちの2名でしたが、今では現地の生活にも慣れつつあるようです。
函館校においてロシア語習得に努力を惜しまなかった彼らは、この留学期間を存分に活かして、ロシアを直接肌で体験し、実力を伸ばしてくことでしょう。
また、様々な国や地域からやってきた外国人留学生たちともロシア語で交流し、刺激を受けたり、日本について改めて考えてみたりもするかもしれません。楽しく実り多き留学生活となるよう願います。
このように学生にとってウラジオストク留学は函館校での自分の学習の成果を試す絶好の機会です。普段の学習への取り組み方が留学の成否を左右すると言っても言い過ぎではありません。これから留学実習を控えている学生はぜひこの点を心に留めておき、日頃の努力が充実した留学生活につながっていくことを意識してみて下さい。

教務課より

中間試験日程
下記を中間試験期間とします。この期間は通常の時間割どおりに授業が行われますが、科目により試験を実施します。   
試験の有無・実施方法は各科目担当教員がお知らせします。
 12月3日(月)~12月7日(金)

論文中間報告会日程
ロシア地域学科4年生対象の論文中間報告会を、年内は下記の日程で行います。
なお下記は予定日です。日時と教室が決まりましたら改めて校内掲示板でお知らせしますので、確認してください。
 第3回報告会:11月22日(木) 14:40~
 第4回報告会:12月 6日(木) 14:40~

学生課より

留学実習説明会開催
ロシア語科1年生を対象に第1回目の留学説明会を行います。今回の内容は、留学までの準備日程や、実習についての大まかな説明です。
説明会の日時は、11月30日(金)14時40分からを予定していますが、後日改めて日時場所等を掲示しますので確認してください。
まだパスポートを持っていない学生は、遅くとも冬休み中に取得しておく必要があります。年末年始はパスポートの申請・発給が混み合うことが予想されますので日数に余裕を持って早めに手続きをしてください。
又、現時点でパスポートの有効期間が1年に満たない学生は、学生係まで申し出てください。
函館でパスポートを申請する場合は、渡島支庁(函館市美原4丁目6番16号 ℡47-9000)で手続きをしてください。なお、申請用紙は事務局にもありますので、利用してください。

ТРКИ受験案内
今年もロシア連邦教育科学省認定 「外国人のためのロシア語能力検定試験 (略称=ТРКИ)」 を実施します。
ТРКИとは、ロシア語を学んでいる外国人のロシア語能力(ロシア語コミュニケーション能力)を証明するもので、日本国内での受験は2000年度よりロシア極東国立総合大学函館校で可能となりました。函館校では基礎テスト、1級、2級の試験を実施しており、毎年、本校学生のほか、道内外の学生や社会人も受験されています。
今年度の試験は12月8日(土)、9日(日)で、試験会場は、ロシア極東国立総合大学函館校です。
実施要項と願書の配布については、函館校学生へは事務局で行います。函館校学生以外の方は下記の電話か、学校ホームページからご請求ください。後日郵送いたします。
 
ロシア極東国立総合大学函館校事務局 テルキ(ТРКИ)係
電話:0138-26-6523
http://www.fesu.ac.jp/

冬季休業
冬季休業は、12月10日(月)から1月11日(金)までです。この期間、平日は事務局や図書室などの利用は可能ですが、12月31日(月)から1月4日(金)まで事務局は休業となりますので、校舎内への立ち入りはできません。
授業開始は、1月14日(月)は成人の日で祝日のため、1月15日(火)からとなります。

お知らせ

今年も留学生がやって来ます
本学付属東洋学大学日本語学部から5名の学生が日本語と日本文化や歴史等を学ぶために函館校に留学します。今年は、10月22日(月)函館に到着し、11月17日(土)に函館を離れます。この間、前半の7日間はホームステイし、残りの期間はホテルに滞在します。
「はこだてロシアまつり」にも参加します。積極的に交流をはかり親睦を深めましょう。

≪留学生≫
 ドロシュ・ユーリヤ(女)
 マスラコーワ・アナスタシヤ(女)
 ボガツキー・アレクサンドル(男)
 ワシーリエワ・ダリヤ(女)
 パーシェンコ・セルゲイ(男)

学生からの投稿

第9回青少年サハリン北海道「体験・友情」の船に参加して
ロシア地域学科4年 豊留 大和(学生通訳)

今年8月1日から8日に開催された青少年サハリン・北海道「体験・友情」の船に、私は学生通訳として参加しました。この事業は今年で9回目を数え、毎年日本とサハリンの青少年たちが共同生活など様々な体験を通して交流を深めています。すでに夏休みに入っていたこともあり、正直なところ嫌々参加した私ですが、この1週間はとても忘れ難いものになりました。
函館→札幌→稚内→サハリンというように3日間の移動を経てようやく到着しました。2時間近くかかった入国審査を抜けると、サハリン学生による熱烈な歓迎が待っていました。日本の子どもたちはというと、そこにいた近所の子どもたちと早くも友達になり走り回っています。言葉も解らずに仲良くなっている彼らを見て、自分も見習わなくてはと感心した後、宿泊先へ向かいました。パトカーに護られながらまた1時間以上移動してやっと到着しました。予約を取るのも難しいと聞いていたそのホテルは、着いてみると実は老人ホームという、いかにもロシアっぽい小話で到着早々に心を折られながらも、サハリンでの生活が始まりました。
3日の予定は観光でした。博物館や美術館を見て回り、説明を通訳しました。子どもたちはほとんど聞いていませんでしたが・・・。午後はサハリン側の方とのスケジュール確認の通訳をしました。これは今後の予定に係わる国家レベルの仕事だと勝手に思い込んで、終わったときには緊張で疲れ果ててしまいました。
4日の午前中は、日本語を勉強しているサハリンの子どもたちと日本の子どもたちの交流会でした。やはりこの年齢の子どもたちに通訳の必要はほとんどなく、テレビ局のインタビューを通訳するだけでした。ちゃっかり自分も出演しました。午後からは湖の畔でバーベキューの後、スポーツや料理をして交流し、この日も終わりました。
5日と6日はホームステイでした。私もアニワという町にホームステイする子どもたちについて行きました。市役所で市長の通訳をし、子どもたちをホストファミリーに預けた後は特に仕事もなく、買い物をしたり、海に行って泳いだりバーベキューをしたり、私がお世話になった家は漁師だったこともあり、ロシアで漁をするなど、とても貴重な体験をさせていただきました。
7日、ホームステイから戻ってきた子どもたちは、出発前に不安そうな顔をしていたことが信じられないほど生き生きとした顔をしていました。彼らもきっと私と同じようにいろいろな体験をし、楽しくこの2日間を過ごせたのだと思います。この日の午後は閉会式があり、ゲームをしたりダンスをしたりと、みんな別れを惜しんでいました。
こうして短いようでとても長かったサハリンでの1週間を終え、8日に私達は帰国しました。こうして振り返りながら書いていると、長々となって、まとまりのないものになってしまっていますが、それだけこの1週間は内容が濃く、充実したものだったとご理解ください。不明な点がございましたら、来年この青少年サハリン・北海道「体験・友情」の船に参加されてみてはいかがでしょうか。

ロシア語科1年 古屋 千尋(一般参加)

私がこの企画に参加した理由は、3年前に我が家にホームステイしたサハリン出身の女の子の影響でサハリンに興味を持ち、憧れ、訪れてみたいと思っていたのと、その子に会えたらいいなぁと淡い期待を持っていたのと、ロシア語を学び始めて間もないけれどもロシア語の実践をしてみたかったことです。
私が想像したサハリンは、大草原が続き、大きな家々が点々としている、どこか田舎のような感じだと思っていましたが、実際は、近代的な街並みで、建物が大きく、道路には多数の日本車が走っていて、また、日本語を学ぶ学生が多かった事が印象的でした。また、滞在したサナトリウムはとても大きな建物で、出てくる食事は薄味のものが多かったのですが、定番のボルシチを食せたし、ピクルスの美味しさには驚きました。ロシアの食文化の一端に触れる事ができたことが何よりも嬉しかったです。
この旅で一番驚いた事は、3年前に我が家にホームステイした女の子とばったり出会ったことです。滞在3日目の歓迎式で交流会を終えた後、たまたま私がフロントにいたとき、ロシア民謡を披露してくれたグループが通って行きました。その中に見覚えのある顔があったので、もしやと思い声をかけたら何とその彼女でした。奇跡的な再会でした。
市内観光で訪れた旧樺太庁の建物をそのまま利用した郷土博物館にはアイヌ民族の衣装などが飾ってあり、美術館では日本の仏壇が展示したあり、昔日本であった歴史を物語っていました。
また、サハリンでは、私の想像以上に朝鮮系の人たちが多く、私のホストファミリーも韓国の方でした。
ホームステイ中は、主に、韓国料理が出されました。家族はサハリンに住んでいながらも韓国のライフスタイルを重んじた生活を送っていると感じました。彼らは伝統を守るため、韓国人としか結婚を許されないことをホームステイ先の娘
さんから聞きました。不満そうな顔をして話していたのが印象的でした。また、日本からの手土産として鐘の形をした風鈴を渡した際に、父のサーシャから、40年前に韓国からサハリンに移住し、日本人学校に通わせられたときに見たのとそっくりで、音までも同じで懐かしいということと、いまだに故郷の韓国には帰国できないと聞かされたとき、何かグッとこみ上げてくるものを感じました。
私は、以前、サハリンは日本の領土で朝鮮の方々が強制的に連れて行かれたということから、日本人に対する印象が悪いのではないかと不安でした。しかし、ホストファミリーの方々はとてもよくしてくれたし、デパートの朝鮮人の店員には、昔日本語を習っていたとか、同じアジア系なのに色白だねなどと気さくに話しかけてくれました。また、ロシア人の小太りのおばさんには、「まぁなんて小さい女の子なの。かばん開けて。」と言い、私のカバンの中にチョコや飴を入れてくれました。ロシア人の女の子には、「どうして色白なの?」と聞かれることが度々ありましたが、逆に私の方から、どうしてロシア人は白人なのに私たち日本人より黒く焼けているのかと聞きたいくらいでした。
この1週間の滞在を通して、私は、日本人として以前に自国が何をしてきたのかについてもっと知らなければならないことともっともっとロシア語を学ぶ必要性に気付きました。これからの学習の方向性を掴むことのできた旅でした。
このような機会を与えて下さった学校はじめ関係者に感謝申し上げます。

「北方四島青少年受入事業(根室市)」に参加して
ロシア地域学科4年 笠原 勇次

「北方四島から青少年30名が根室に交流に来るので、ボランティア通訳として参加してみないか?」
私はこの話を受けた時、タダで旅行ができる!子供の相手は初めてじゃないし、なんて楽なんだろう! と勘違いしていました。我が校からは私を含めて3人の学生、札幌大学から5人が意気揚々と根室支庁に到着。ブリーフィングが始まった頃からだんだんと意気消沈。予想をはるかに上回るハードスケジュール。その日は現地で合流した札大の学生達と団結式を近くの居酒屋でおこない、最後までやり抜くことを皆で誓い合いました。
しかし!その誓いも初日でくずれそうになりました。なぜなら、四島の青年達のほとんどに独特の訛りがあったからです。しかも、遠慮無くまくし立てるので、普段の授業では得ることの出来ない貴重な実践練習でした。
市街地での自由時間(主に買い物)も、想像を絶する厳しさでした。島では日用品が慢性的に不足しているらしく、家族や知り合いからお使いを頼まれている人ばかりでした。私は子供達と結構仲が良かったので引っ張りだこで買い物に付き合わされていました。中心部ではお店がたくさんあったので、色々な買い物をしました。補聴器や糖尿検査紙、ゲルマニウムリング、ライター、箸、コップetc.etc.ホントに大変でした。
プログラムでは日本文化の書道体験や元島民の講話、地元の学生達と「友好の旗」の作成などがありました。書道体験の時には、飽きてくるとお約束の落書きや似顔絵描きなど…。やっぱりどこの国でも子供は一緒だなとしみじみ思いました。 
そんな感じで9日間が過ぎ、いよいよお別れの時に、子供達がなんと私に内緒で描いていた似顔絵をくれました。へたくそで似てませんでしたが、今でも私の大事な宝物です。
再会を約束しましたが内心「北方領土へは行けないよなぁ」と諦めていました。
ところが先月、学校事務局に呼ばれ行ってみると、北方四島推進委員会から元島民のビザ無し交流のお手伝いをしないか?との事。私はありがたくこのお話を受け、9月27日から10月1日まで色丹島に行くことになりました。
今度は気を引き締めて全力で頑張ってきます!

函館日ロ親善協会からのお知らせ

函館日ロ親善協会ユジノサハリンスク姉妹都市提携10周年記念訪問
函館日ロ親善協会事務局 中村 勇人

訪問メンバーは松本専務理事、西岡会員、事務局中村の3名。
函館市公式訪問団(西尾市長、阿部議長、函館市企画部高橋次長、国際課倉田主査)の訪問に合わせ、9月7日から11日までの日程でユジノサハリンスク市を訪問しました。以下、報告と所感を綴らせていただきます。

(報 告)

9月7日(金)
10:30函館空港集合。倉崎会長、極東大学函館校小笠原事務局長が見送りに来てくださる。11:15出発式。12:20定期便で出発。約1時間後、ユジノサハリンスク空港着。東京より近い感じ。石油開発関係者で空港が混雑し、入国手続きに1時間半。18:00ホテルチェックイン。ホテルはオーストラリア資本出資の今年春オープンしたパシフィック・プラザ・サハリン。部屋の設備はドライヤーまで用意されていて日本のシティホテルと遜色無し。
夜は松本専務が公式訪問団の夕食会に参加。西岡会員と中村は極東大学函館校関係者との懇親会に参加。関係者とは極東大学函館校でロシア語を学んだOB、研修修了者達。
秦氏は北洋銀行から北海道庁に出向し4月からサハリンの北海道ビジネスセンターに派遣。サハリンでの道内企業のビジネスマッチング等に従事。板橋氏は昨年ケー・エフ・イーに入社し、サハリンで重機の営業販売を行なっている。秦氏、板橋氏は事務所に日本人は1人で、文化や考え方の違いでロシア人同僚とのコミュニケーションにおいて苦労が多いとのこと。函館校での想い出話を肴に楽しい夜を過ごした。

9月8日(土) 
10:30姉妹都市提携10周年記念函館市からユジノサハリンスク市立図書館への図書寄贈式参加。11:15サハリン州立美術館視察。建物は樺太時代の拓銀豊原支店。重厚な造りの見事な建築。西岡会員は拓銀出身で感慨深げ。12:15街の食堂で昼食。
14:30函館日ロ親善協会からユジノサハリンスク経済法律情報大学への辞典寄贈式。松本専務から15冊の和露・露和辞典をカン学長に寄贈。カン学長から、最新の辞典寄贈への謝辞が述べられた。寄贈式には西尾市長、阿部議長にも出席していただき、函館市全体として日ロ親善の思いを伝えることができた。国際関係担当副学長のカザコバ氏はサハリン露日親善協会会長とのこと。当協会との今後の交流について挨拶。
16:30サハリン州立郷土史博物館視察。旧樺太庁博物館。瓦作りで日本風の建築。手前に美しい噴水があり多くの市民がくつろいでいた。サハリンの動植物からアイヌ、ニブヒ等少数民族についての展示等充実。19:00レストランで食事。

△辞典寄贈式(右端:学長、女性:副学長)

9月9日(日)
10:30ガガーリン公園視察。子供向けの遊具、多くの露店、公園列車、白樺の森のある市民憩いの場。12:00ユジノサハリンスク市創建125周年記念式典参加。レーニン広場で開催され、パレードに始まり、ユジノサハリンスク市長、同市の著名人、姉妹都市市長(函館市長、旭川市長)からのスピーチが続き、式典は1時間10分程度。函館市訪問団、旭川市訪問団(約90人)も参列。以後はステージで夜まで歌や踊りが繰り広げられた。
13:30レーニン広場付近喫茶店で休憩、その後広場を散策。14:30戦勝記念公園視察。16:00函館市公式訪問団とともにユジノサハリンスク市長主催記念昼食会に参加。市長のスピーチに続き、市の著名人、姉妹都市市長からのスピーチで進行。室内楽と素晴らしい料理。出席できたいへん光栄。
在ユジノサハリンスク日本国総領事館夏井総領事、北海道サハリン事務所松村所長、旭川日ロ親善協会佐々木会長、サハリン露日親善協会プロジャーエワ元会長ご主人等とご挨拶を交わすことができた。

9月10日(月)
9:30ホテルにてサハリンメディアグループ編集者シャプカ・リュドミラ氏より極東大学函館校へ番組DVD贈呈。シャプカ氏は以前取材の折、函館校を2度訪問。今回は同グループが製作した「樺太時代のサハリン」「大韓航空機撃墜事件」2本のDVDを極東大学函館校に寄贈。DVDは図書館に保管するが、日本の報道関係者および日ロ交流史研究者等に広く周知し、活用していただきたいと考えている。
10:30北海道ビジネスセンター(秦チーフ)表敬訪問。同センターは函館市も法人会員。秦氏と3人のロシア人が働いている。訪問時は翌週ウラジオストクで行なわれる北海道企業の展示会(オブザーバー北海道開発局)の準備に追われていた。12:00みちのくビル内食堂で食事。13:00NHKサハリン(渡辺信記者)表敬訪問。
14:30ユジノサハリンスクからコルサコフを経由し車で約1時間程度のプリゴロドノエ(サハリン2天然ガス液化施設建設現場)視察。日本の千代田化工と東洋エンジニアリングが中核企業として参加。現在試運転中で、今年10月稼動。世界中から集まった8千人の人々が働いているが、稼動以後は減少するとのこと。使用重機はほとんどがコマツ、トラックは8割方いすゞ。
15:00プリゴロドノエから10分ほどの日露戦争日本軍上陸の碑視察。周りにゴミが目立ち、少し寂しげ。傍らにある日本兵の遺骨が納められているトーチカのような場所でお参りをした。15:15コルサコフ視察。16:30ユジノサハリンスク市内最大のオフィスビル「サヒンセンター」を視察。18:30函館市公式訪問団、中学生海外派遣事業の引率の方々、当協会会員であり株式会社函館国際貿易センターの山本専務とともに日本料理の「とよ原」で夕食会。
滞在日程が出発数日前に1日伸びたことから、ホテルの確保ができず、4日目夜の宿泊は駐在日本人の方々にお世話になり、中村は秦氏宅でご厄介になった。秦氏の部屋は市内中心部のアパートの5階(最上階)。3階までがロシア人居住区で、4、5階が日本人居住区。外見は古いが中は綺麗。部屋にたどり着くまで4つのカギ、ベランダにも格子の覆いがあり、防犯は厳重。暖房はソ連時代に普及したセントラルヒーティングで、冬は暖房を利用してお湯をつくるためお湯はふんだんだが、夏は不足するとのこと。

9月11日(火)
8:00秦氏宅発。8:40空港到着。国際線は空港に向って左側。免税店はないが、待合室に日本の駅のキオスク程度の売店がありお土産充実。11:15旭川行きチャーター便に乗りユジノサハリンスク空港発。12:00旭川空港着。13:45HACで旭川空港発。14:40函館空港着。解散。

△郷土史博物館(旧樺太庁)

以下、中村が気付いた点を何点か報告いたします。
○ 食事、水について
・2日目の昼食は食堂で、3人それぞれ紅茶1杯、ご飯にポークシチュウを掛けたもの、スープで約5百ルーブル(2千5百円)。一人約8百円。
・2日目の夕食はロシアレストランで、3人それぞれビール1杯、前菜、サラダ、スープ、肉料理、デザートとウォッカ1本で約4千5百ルーブル(2万2千5百円)。一人約7千5百円。
・3日目の夕食はロシアレストランで、3人それぞれビール1杯、魚か肉料理とウォッカ1本で2千8百ルーブル(1万4千円)。一人約4千7百円。
・4日目の昼食はみちのくビルの食堂で、お茶、ナムル、ご飯で650円。
全てロシア人が普通に利用している食堂とレストラン。地方都市の食費としては決して安くはなかった。
水はキオスクで購入したところ1リットル23ルーブル(115円)で日本より少し安め。

○ 自動車、道路について
自動車の交通量は函館よりも多く、混雑している印象。歩行者も多い。自動車は殆んどが日本製でトヨタが圧倒的。全体の3分の1程度が新車か程度の良い中古車と思われた。ランドクルーザーやクラウンも多い。幹線は舗装されているが脇道に1本入ると未舗装で、そのためすごく埃っぽい。車は大抵真っ黒である。

○ ロシア人について
大人、特に年配者はそうでもないが、街で出会う子供達、若者達は、我々が歩いていると微笑んだり、日本語で挨拶してくれるなどたいへん友好的。その彼らがレストランやキオスクでのサービスとなると、とたんに無愛想でぶっきら棒になってしまうのはどういうことだろう。

(所 感)
市長、議長にも同席していただき記念事業の辞典寄贈は滞りなく終了し、また、多くのユジノサハリンスク市民との交流を深めたことで、所期の目的を達成できた。
極東大学函館校の関係者としては、OB達がサハリンで日本と全く異なる環境のもと、ロシア語を駆使し公務、ビジネスに活躍しており、たいへん嬉しい思いがした。
ユジノサハリンスクには石油、天然ガス開発のため、世界中からヒトが集まっており、たいへん活気がある一方、彼らがオイルマネーで物価を押し上げていて、ルーブル値上がりのスピードが速いことと合わせ、日本人駐在員の生活は苦しくなってきているとのことだった。
食事の価格や車の話からもわかるように、サハリンには確実に富裕層が誕生している。ロシアは豊かになってきている。我々日本人は日ロ関係の構築から草の根交流にいたるまで、先入観から自由になりロシアの現在を正しく把握して対応する必要があると感じた。
終わりに、経済法律情報大学との仲立ちをして下さった阿部先生とサハリン会の野路社長、通訳の手配、宿泊等でたいへんお世話になった秦さん、板橋さんに心よりお礼申し上げます。有難うございました。

△ガガーリン公園 露店のおばさん 

≪係りより≫

『ミリオン・ズビョースト53号』をお届けします。みなさんのご協力のおかげで、予定通りの発行ができました。ありがとうございました。特に今年は、学生が外に出て活動する機会に恵まれ、一部ではありますがそこで体験したことをご紹介できたこと、さらには函館日ロ親善協会事務局長によるユジノサハリンスク市訪問記のおかげで厚みのあるものになったと考えます。今後、号を重ねるごとに一層存在感のある学報に育てて行きたいと思っておりますので、ご指導のほどどうぞよろしくお願いいたします。
次号54号は、1月15日発行を予定しております。ご期待下さい。(小笠原)