No.29 2001.10"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

New York,We love you more than ever

ロシア極東国立総合大学函館校 教授 パドスーシヌィ・ワレリー

「彼はニューヨークに恋していた。彼は度外れにニューヨークに惚れ込んでいたのだ。彼に言わせれば、どの季節であろうとニューヨークはモノクロに彩られ、偉大なガーシュインの音楽に脈打つ街なのだ。ごみごみした雑踏に揉まれ、忙しく行き交う車をよけながらも、彼はここで幸せなのだった。」
 ― ウッディ・アレン「マンハッタン」より

ニューヨーク、ある人はここを世界の首都と呼ぶ。また「決して眠らない街」と詩的に言い表す人もある。ここはブロードウェイの劇場群、メトロポリタン・ミュージアム・オブ・アート、エンパイア・ステート・ビルディング、そして国連ビルがある所。ここはまた、かつて数百万の人々が新天地を求めてアメリカへとやって来た、その入り口でもあった。
ブルックリンに住む私の友人が言ったことがある。「とにかくニューヨークには無関心ではいられない。大好きになるか大嫌いになるかのどちらかだ。どっちでもないってことはありえない」と。2001年の8月16日、私が妻とニューヨークに降り立った時、初めて友人の言葉の意味がわかった。本で読んだり映画やテレビで見たからといって、ニューヨークを結構わかったつもりになる人がいるものだ。しかし、いざここに来てみると、思っていたのと全く違う。本や映画の知識だけじゃ、本当のニューヨークを理解し始めるのだって難しい。ここはまさに、愛すべきところと憎むべきところが混在する場所なのだ。
ニューヨークはアメリカのどの街にも似ていない。いやむしろ世界中のどこにも似ていないと言える。これまでに私は、北はアラスカからワシントン州、南はメリーランドからウェスト・バージニア州と、北アメリカのあちこちを訪れた。首都ワシントンへも行ったし、中西部にはしばらく住んでみたことさえある。ニューヨークはそのどことも違っている。まるで別の国だ。まあ、ある意味でそれは真実とも言えるかもしれない。ニューヨークはそれ自体が1つの国。地球中のあらゆる人種、色、そして信条を持つ国民からなる1つの独立国家なのだ。
この街は訪れる人を驚かせて、楽しませて、息をつけなくした挙句に口もきけなくしてしまう。まずその大きさそのものに驚くだろう。そしてそそり立つ高層ビル群に、また街のあらゆるところで様々多様な言語をしゃべる人間達に。あるいはセントラルパークのしたたる緑に目を楽しませると同時に、ブルックリンの臭気を放つゴミの山に嫌悪するだろう。また5番街の洒落たブティックに目を見張った後で、イーストビレッジやチャイナタウンの汚らしい安食堂に吐き気を催しもする。
私は妻とこのニューヨークでこの夏の15日間を過ごした。様々な印象と大小の発見に満ち溢れた信じられない程長い15日間。私たちは2人で毎日のようにマンハッタン中を何時間も厭きずに歩き回って過ごした。足は痛んだが心は喜びに満ち満ちていた。私が大人になってからこれまでずっと、まるで大きな磁石のように私を引きつけて離さなかったあの街、私たちは今ついにそこにいるのだ。私たち2人に灯火を投げかけ続けてくれていた自由の女神。その自由の女神は、今まさに私たちの手の届かんとするところにある。フェリーに乗りさえすればいい。そしてもちろん私たちはそのフェリーにも乗った。多くの美術館が軒を連ねる美術館通りは、その荘厳さと格調高い佇まいで私たちを圧倒した。ブロードウェイはまさに聞きしに勝るものだった。グリニッジビレッジでは、サリバン通りを歩く女優のスーザン・サランドンと擦れ違った。彼女は立ち止まって見とれる私たちには、まるで気がついていないようだった。チャイナタウンではドブネズミの死骸を踏んづけて、妻が手を貸してくれなければ、転んでしまうところだった。何より、私たちが毎日のように驚きまた面白がりもしたのは、ニューヨーカー達が、耐えられないほどの暑さの不潔なニューヨークの地下鉄に、厭きもせず乗り込んでいく時のあの決意に満ちた憂鬱な苦悩の表情だった。
ニューヨーク滞在も7日目か8日目になる頃、私たちはついにあの奇跡中の奇跡、世界貿易センター、この国の繁栄と経済力の象徴であるニューヨークで最も高いあのビルを訪れた。日系アメリカ人建築家のヤマザキ・ミノル氏によって設計されたこのビルは、「ツインタワー」としても知られ、ニューヨーク港湾交通局の都市再開発事業の一環として1966年に建設が開始された。1970年に完成したこのビルは、そのまま世界の貿易と商業の中心となった。2つのタワーのそれぞれが110階建て、地上400メートルに聳えている。それぞれのタワーには100機以上のエレベーターが備え付けられ、22,000枚の窓がある。このセンターでは少なくとも70,000人が働き、一日に約7000人が訪れるという。
記事で読んだり百科事典やガイドブックの写真を見るだけでは、このビルを本当に知ることはできない。実際にこの目で見た私たちは、人間がこんなにも巨大なモノを作り上げることができたとは、にわかには信じることができなかったくらいである。2つのタワーは信じられない程に巨大なのに気品に溢れ、しかも非常に洗練されていた。1993年2月26日、このツインタワーの1つで、イスラム教徒のテロリストによって地下に仕掛けられた爆弾物が爆発して、数人の死者と数百人の負傷者を出した。しかしその後も2つのタワーは、それまでと変わらず誇り高く真っ直ぐに聳えつづけたのだった。まるで、いかなる悪党による破壊の試みにも動じないかのように。
私と妻は2001年9月1日にニューヨークを発った。モスクワ行きの飛行機がJ.F.ケネディ空港を離陸し上昇を始めた時、私たちがニューヨークで最後に目にしたのは、マンハッタンの南端に2人の巨人がそそり立つスカイラインだった。
2001年9月11日の午前8時45分、ハイジャックされた民間航空機が世界貿易センターの北側ビルに激突した。大きく口を開けた穴と燃え上がる炎と煙。その約18分後には、ハイジャックされたもう一機の飛行機が南側ビルに激突し爆発した。2つのビルは炎に包まれた。そして9時30分、南側ビルが下の通りに向かって一直線に崩壊して行った。膨大な埃と残骸の雲が巻き上がり、ビルのあった場所から広がり流れていった。さらに10時28分、北側ビルが屋上から下に向かって剥かれるように崩れ落ちて行った。そこにも残骸と煙の巨大な雲が巻き上がった。
今日、私たちはこの残酷で卑怯な攻撃の被害者のことを思う。彼等の心と身体と魂に平安がありますように。また現在行方不明の人々、あるいはもう亡くなってしまった人々へ、私たちはあなた方のことを思い、あなた方のために祈る。そして私はニューヨークをこれまで以上に愛し続けるだろう。
(原文英文 翻訳:鳥飼やよい)

人事

デルカーチ先生が退職
7月31日付でデルカーチ・フョードル先生が退職しました。平成9年4月から本校の教壇に立ち、通訳論・ロシア文化史・コンピューターなど幅広い科目を担当され、個性的な授業が人気でした。また、はこだてロシアまつりやマースレニッツァなど本校のイベントには欠かせない存在でした。9月から東京で新しい仕事に取り組まれているデルカーチ先生のご活躍をお祈りします。
また、デルカーチ先生の後任としてイリイン・ロマン先生が9月1日付で本学より派遣されました。担当科目は通訳論・ロシア文化史などです。

ロシアまつり

11月10日に第4回開催
恒例の「はこだてロシアまつり」は今年で4回目で11月10日(土)に予定されています。学生と教職員が協力して組織する実行委員会は9月25日に初会合を開き、実行委員長に福井眞治さんを選出。今回実施するイベントの概要や役割分担などを決めました。
今回は、「ロシア文学鉄道」をテーマに「芸能ステージ」「文学レストラン」「歌声喫茶」「パネル展」「チェスコーナー」「キオスク」「ロシア語講座」「講演会」を行います。
芸能ステージでは、民族衣装を身に着けてのロシア民謡合唱や踊りの披露をはじめ、学生バンドの演奏やクイズ、外部からのお客様もお迎えする予定です。
文学レストランは前回のテーマ「鉄道」を引き続き採用し、さらに文学の要素も盛り込んだものにする予定です。メニューはボルシチ、ペリメニ、ブリヌイ、シャシリクなど。
その他、キオスク、歌声喫茶など新しい試みも。
講演会は、函館日ロ交流史研究会のご協力を得て、ロシア文学者であり翻訳家の工藤精一郎氏を迎えて「ロシア文学」をテーマにお話しをいただきます。

留学生

今回は男性2人女性4人
10月29日にウラジオストクの極東国立総合大学から、次の6人の留学生がやってきます。
 Кравец Елена Николаевна(19)
 Климова Валерия Владимировна(19)
 Тоболова Ольга Сергеевна(19)
 Любанский Василий Александрович(19)
 Трофименко Владимир Сергеевич(21)
 Стратович Анастасия Михайловна(19)
6人はいずれも東洋大学日本学部の3年生で、留学生支援実行委員会の援助のもとに来日し、11月24日に函館を発つまでの間、本校で日本文化や日本語の研修を行うほか、市民の家庭でホームステイも経験します。学生の皆さんは積極的に話し掛け、友達になってください。

留学生説明会

12月4日に第1回説明会
来春、ウラジオストクへ留学するロシア語科1年生を対象とした第1回留学実習説明会を12月4日(火)午後2時30分から第6教室で行います。
留学手続きを進めるため、パスポートを持っていない学生は必ず、平成13年12月末までに取得しておいてください。発給されるまでには申請から約2週間かかるので、申請は早めに。
パスポートを函館で取得する場合は渡島支庁総務課(函館市美原4丁目6番16号、℡0138-47-9000)に窓口があります。
申請用紙は本校事務局にも用意してあります。

短信

好評!ロシア料理教室
9月12日、13日にロシア料理教室を開催しました。2日間で35名が参加し、アニケーエフ先生の指導により、ロシアで最も大衆的なスープであるボルシチを作りました。
ロシア料理には欠かせない食材であるスビョークラ(赤カブ)とキャベツ、ニンジン、じゃがいも、豚肉などをじっくり煮込み、鮮やかな赤色のスープの出来上がり。参加者はピロシキとともにロシア料理を堪能していました。  

今年度のТРКИは12月
外国人のためのロシア語能力検定試験(ТРКИ)を12月15日(土)、16日(日)に実施します。
この試験は、ロシア教育省附属ロシア語能力検定センターが主催しているもので、ロシアの大学で学ぼうとする外国人がロシア語の講義を理解する語学力があるかどうかを見極める目的で開発され、ロシア国内では1998年から実施されています。
試験は、ロシアの大学に入学する語学力があると認められる1級から、語学・文学系以外の大学編入資格があるか、卒業レベルと認められる2級、語学・文学系の大学卒業レベルで同系大学院への入学資格を有すると認められる3級、語学・文学系の大学院を卒業したロシア人と同レベルと認められる4級に分かれています。また、これとは別に日常会話の習熟度を測る初等テストと基礎的なロシア語能力を測る基礎テストがあります。
受験を希望される方は、事務局までお問合せください。

函館日ロ親善協会からのお知らせ

来年2002年は、ウラジオストク市との姉妹都市提携10周年、ユジノサハリンスク市との姉妹都市提携5周年を迎えることから、去る5月19日に開催した本年度定期総会で、記念事業を進めるための企画委員会を設置し、委員長には若山直副会長にご就任いただきました。
企画委員会はこれまでに4回の会合を開き、7月5日には来年の記念事業に向けてのプレイベントとして、気鋭の新星と将来を期待されるナターリャ・チェレポヴァさんをモスクワからお招きしてピアノリサイタルを開催しました。当日は多くのお客様にご来場いただき成功裡に終えることができました。あらためて協会会員はじめ関係者の方々に感謝いたします。
来年の記念事業としては、ウラジオストク市での桜の植樹、ユジノサハリンスク市への図書の寄贈、ロシアウィークの開催などの案があり、10月16日には理事会を開催してご検討いただくことにしています。会員の皆様からもご意見・アイディアをお寄せください。

≪7~9月までの協会の主な活動実績≫

7月5日(木)
 ナターリャ・チェレポヴァピアノリサイタル開催

7月16日(月)
 サハリン国立総合大学日本語履修学生
 函館プログラム歓迎会に倉崎会長出席

7月17日(火)
 青函カップヨットレースに出場するウラジオストクからのヨットマンとの交流会に事務局出席

8月6日(月)
 青森県鰺ヶ沢町在住の横山幸三郎氏より協会にロシア国旗寄贈

8月17日(金)
 ウラジオストク市教育・スポーツ交流団歓迎会に倉崎会長出席

<今後の予定>
12月上旬に在函ロシア人を招いてクリスマスパーティを開催します。詳細が決まり次第会員の皆様にお知らせします。
また、ロシアから来函される方々との交流は、随時役員と協議し対応させていただきます。

≪係りより≫

夏休みにニューヨークへ旅行されたパドスーシヌイ先生のお話、素敵ですね。事件で被害に遭われた方々には、安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを願います。
だんだん寒くなってきて、すっかり日も短くなってきた今日この頃。ストーブが恋しい季節になりました。季節の変わり目には体調管理をしっかりと。
次号のミリオン・ズビョーストは2002年1月発行です。皆さんからの投稿を募集しています。原稿締切は12月10日、楽しい話題・提案などを提供してください。(畠山)