No.1 1994.11"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

新島襄の精神に学ぶ

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 総務課長 渡辺 幸弘

新島は日本にとって必要な国際化とは何かにいち早く気づいた先駆者であった。チャレンジ精神をもってアメリカに渡り、かの地の創造の風土の中で、更にチャレンジ精神を育み、明治初期の日本に真の国際人を育てようとし、教育と伝導に献身した。
今ほど、日本は真の国際人としての資質、国際化を問われていることはない。 新島は当時の日本を少しずつ良くしようという考えではなく、将来のビジョン、夢を抱き、それを実現するために邁進した。その実現の仕方も決して相手を意識した競争で同志社を作ろうとしたのではなく、自分の道を切り開く開拓精神を持ちながら、リスクの大きい険しい道を、しかも戦いながら歩んだ。
本学は国際的視野に立った見識豊かなロシアのスペシャリストを育成することを目的に開校した。日々の勉学は決して楽ではない。しかし、自分の道を切り開いてほしいと思う。
新島の精神が百数十年の歳月を経ながらも、そのまま現代の日本に何が必要なのかを語りかけているように思えてならない。

-略歴-
1843(天保14)年  江戸で誕生。
1864(元治元)年  国禁を破って脱国を決意。函館から出航直前の米国商船の船長に米国での学問修得の希望や夢を熱く語り、渡米の快諾を得る。
1865年 ボストン着。米国フィリップ高校、アーモスト大学アンドヴァー神学校において9年間勉学。
1874(明治7)年  帰国。
1875(明治8)年  京都に同志社英学校を開校(現同志社大学)。
1890(明治23)年  47歳で永眠。