私にとってのロシアの印象と影響
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第6回目の講話内容です。
テーマ:私にとってのロシアの印象と影響
講 師:ウィリアムズ・マイケル(非常勤講師)
私は、アメリカ人です。先祖は、イギリスとフランスからの移民でした。私自身は、日本に来る前にアメリカで、シンガーソングライター、ミュージカル俳優として活動していました。しかし、これからの人生を考えたとき、歌手としてではなく、宣教師で生きることを決めました。そして、人生は方向性を変えました。過去に、東京や大阪にツアーで訪れたことがありました。その記憶が突然思い出され、どこの国で宣教師として活動するか決めなければならないときに、「日本だ!」と思いました。そして、私は今、日本で宣教師の活動の傍ら、高校や大学で学生たちに英語を教えています。また、日本人のある女性と出会い、結婚しました。二人の息子にも恵まれ、彼らも結婚し、日本にいます。
さて、今日はそんな私の実に個人的なロシアの印象と影響について、お話ししたいと思います。
私のロシアの最初のインプレッションは、ユーリー・ガガーリンでした。
小学生低学年の頃の話です。彼は、人類初の宇宙飛行士であり、人類で初めて月へ行きました。それは、私自身にとってだけでなく、世界的なニュースでした。その当時の世界中の人に驚きと感動を与える出来事でした。ロシアは科学の世界的リーダーであり、(アメリカにとって)ライバルでした。
次に影響を受けた部分は、音楽です。
最初のきっかけは、私の父方の祖父が最も愛する音楽家はラフマニノフでした。祖父はピアノを弾けるようになったらどんな犬でも飼ってあげるよと言ってくれたので、私はピアノを練習し、犬を飼ってもらいました。
そして私が尊敬する作曲家は、チャイコフスキーです。音楽活動をしている時に、一つのスタイルに凝り固まらずに作曲する、非常に多様な音楽性は、私の作詞作曲活動に大きな影響を与えました。
また、ジョージ・ガーシュウィンという、これはアメリカの作曲家ですが、彼の両親はともにロシアからの移民で、家の中ではロシアの文化に触れて生活したため、育ったアメリカの影響とミックスされた曲を作りました。彼の音楽は、私の歌手活動に影響がありました。
さて、次に映画やテレビドラマのお話しをします。
『ドクター・ジバゴ』という作品は、第一次世界大戦とロシア内戦中のロシアを舞台にした壮大な歴史ロマン映画です。映画の中では、広大な土地と美しい四季の描写があり、幼いながらにロシアという国の印象がこの映画でできたような気がします。
そして『007/危機一髪(原題:From Russia with Love)』は、皆さんお馴染みでしょう。
この映画のあと、スパイものが映画だけでなく、テレビドラマでも人気になりました。
『I Spy』や『Get Smart』、そして『ナポレオン・ソロ(原題:Man From U.N.C.L.E)』はアメリカ人とロシア人のスパイコンビのドラマで、アメリカとロシアが共通の敵(地球の侵略者)に立ち向かうという筋で、ロシア人の役名はイリヤ・クリヤキンと言います。イリヤ役の俳優はハリウッド史上最も多くのファンレターを受け取ったと言われています。ロシア人はなんて格好いいんだ!とアメリカ人の多くが思いました。そして私以上に感銘を受けたのは、私の兄で、兄はこのドラマをきっかけにロシア語の勉強を始めました!
そしてダンス、バレエも忘れてはなりません。
私の2番目の兄は、サンフランシスコ・バレエ団のダンサーをしていました。
アメリカでもロシアの有名なバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフ、ミハエル・バリシニコフが大変人気でした。現在のバレエが芸術として、技術的に確立されたのは、ロシアにおいてでした。ロシアのダンサーの技術と完成度に感服します。
さて最後にお見せするのは、『屋根の上のバイオリン弾き(原題:Fiddler On The Roof)』の一つの場面です。これはアメリカのミュージカルですが、ストーリーの設定は、帝政ロシア領となった街で暮らすユダヤ系ロシア人の生活を描いたものです。お見せするのは頭の上にガラス瓶を乗せて踊る、ボトルダンスのシーンです。ダンスはバレエを基礎にしています。
また、同じく『屋根の上のバイオリン弾き』の有名な劇中歌『Sunrise,Sunset』を歌って、今日は終わります。