ロシアのキリスト教の隆盛と衰退、そして再興
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第7回目の講話内容です。
テーマ:ロシアのキリスト教の隆盛と衰退、そして再興
講 師:ウィリアムズ・マイケル(非常勤講師)
それでは、キリスト教の起源からお話ししましょう。
まず、イエス・キリストの生きた時代についてですが、ローマ帝国の歴史的記録にその宗教活動と彼の死について書かれていることから、実在の人物と言えます。そしてキリスト教のメッセージは聖書に見ることができます。聖書にはユダヤ教の戒律の歴史や予言とともにイエスの人生と教え、さらにキリスト教の始まりやヨーロッパ南部への伝播が書かれています。イエス・キリストが33歳の時、彼は彼を妬む宗教者たちによって罪におとしめられ木材で作った十字架にはりつけにされました。聖書の記述によれば彼は死の3日後に神によって蘇生して彼の信徒たちや大勢の目撃者の前に現れたとされています。キリスト教徒はイエスへの信仰と彼の教えに従った生き方をすることにより罪を許されて、ある日、聖書が予言するようにイエス・キリストがこの世に帰ってくるときには彼らもまた永遠の生命として救われると信じています。
では、このキリスト教はどのようにロシアに行きついたのでしょうか。ロシアでは10世紀まで異教徒でした。当時の宗教の選択肢はイスラム教、ユダヤ教とキリスト教(東方正教)がありました。キエフのルーシ民族を統治していたウラジーミル大公は、イスラムは多くの制限があることで自由を好むロシアの精神には向かない、ユダヤ教はユダヤ人が自分の土地を守るのには役立たない、カトリックは厳しすぎる、として彼はキリスト教(東方正教)を選びました。これにより彼はキリスト教において「ロシアの父」と呼ばれるようになりました。このキリスト教はスラブ民族の異教の要素が含まれています。その後の400年の間にロシア正教会は大いに発展し、1448年にはヨーロッパにおける東方正教会(ビザンチン)から独立しています。
1917年共産主義の時代、ソビエト政府は全ての宗教を禁じました。教会はほぼ全ての所有をはく奪され、多くの修道士は修道院から退去させられました。
第二次世界大戦中には国民の愛国心を堅持させるために主な宗教の禁止を解きました。つまり、当時の政府はファシズム(ドイツ)に対する戦いのために、キリスト教やユダヤ教の信者の力を必要としたのです。そして戦後は、無神論を推し進めてキリスト教は弾圧されたのです。
しかし1980年後半から1990年にかけて、ペレストロイカがロシア正教に対する関心を呼び覚ましました。ミハイル・ゴルバチョフの「グラスノスチ」つまり開放政策により宗教の開放的実践が許容されるようになったのです。
2020年の憲法改正では「歴史における国としてのロシアの継続性を祖先の記憶を堅持する」ことで「神への理想と信仰」を祖先が伝えてくれるとした第67条を加えました。
そして現在、70%を超えるロシア国民がロシア正教の信者と自認しており、ロシアにはロシア正教会は約5000、プロテスタント教会は1000を超え、カトリック教会は約2000が存在しています。
最後になりますが、ロシア正教と言えば、その聖歌(讃美歌)が印象的です。正教は祈りの言葉が歌われたものです。礼拝では、聖職者も聖歌隊が交互に歌っているように聞こえます。
*講話の最後には、ウィリアムズ先生が有名な讃美歌の一つでもある「Amazing grace」をアカペラで披露し、終わりました。
*ベリョースカクラブ最終回には、毎年恒例の茶話会も行われます。今年は、ピロシキをご用意し、受講生の皆様と1年間を振り返りました。
*ベリョースカクラブは2025年度も開講します。新規受講生募集中です。
日程やテーマ、お申し込みについての詳細はこちらをご覧ください。