極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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「ボルシチ」を中国の上海で。

080327.jpg上海で? そう上海で。
上海では、洋食としてロシア料理が浸透していた。
レストランから家庭にまで普及し、根づいた洋食料理のひとつに「ボルシチ」がある。
祖界時代に、ロシア人から伝わったものだ。
中国語で「羅宋湯(ルオスンタン)」、ロシアのスープ=ボルシチとして伝わっている。
そのころ、洋食を口にした事のない中国の人々にとって、ハイカラなスープだったに違いない。
若者たちがデートでボルシチを食べに行き、また、親子の団らんの中にもボルシチがあったのだろう。
そして時の経過とともに、お洒落な洋食から家庭の味にもなった上海の洋食の1つである。
日本のカレーライスのような感覚なのかな?と思いつつ、ボルシチが上海の食文化に深く根づいていた事は今まで気が付かなかった。
上海の祖界時代中、フランス租界には、外国人として一番多く生活していたのがロシア人である。
街はロシア料理店が並び、人々が行き交い、またロシア語を大事にもしていたらしい。
今なお残るロシア教会が、その時を教えてくれるようだ。
がっ、しかし。ボルシチといえども、このスープ「羅宋湯」は、赤ビーツを使ったものではない。
「赤ビーツを使ってないならボルシチじゃないよ。」と言いたいところなのだが、私はあえて「羅宋湯」を「上海ボルシチ」と呼んでしまいたくなる。
本当に上海の「羅宋湯」に出会うまで、私は日本で赤ビーツを使わないボルシチが「ボルシチ」として提供されていることに違和感すらあった。
だが、旅の終わりとともにその違和感は、なんと綺麗さっぱりと消え去ってしまった。
各国のさまざまな店で、ボルシチをトマトベースで作っていることに対してさえ、やさしい眼差しに変わった。そんな「上海ボルシチ」との出会いであるのだ。
日本でも同じように、ボルシチはロシア人から伝わったもののはず。
今も作られつづけている上海のボルシチと日本のボルシチの味も似ている。
「トマトベースのボルシチとは、ロシア人が教えてくれたロシア風スープ」という大きい括りを勝手に作り、トマトベースのボルシチも「ボルシチ」であるとした今日この頃の私。
当時のことを考えると、上海でも日本でも赤ビーツの入手または栽培は、大変難しかったのではないだろうか? 租界で生活するロシア人でさえ、もしかすると赤ビーツのボルシチは口にはできなかったかもしれない。日本でもようやくビーツが周囲に認知され、栽培されはじめ、食卓にのぼりつつあるのだから。数十年も昔には赤ビーツは、アジアでは珍しいものだったに違いない。しかも赤ビーツは寒冷地野菜のイメージもある。上海は温かいと、こぎつけて思うのであった。
愛国心を一杯のスープに…、心の味、ビーツの味。心の色、ビーツの色…。
きっとそれをトマトに託したのであろう。
洋食が広まっていく中で、ロシア人から教えてもらった料理の一品に、ボルシチ(ロシア風スープ)として教えてもらったスープがあったのなら、それは「ボルシチ」なのだ。
たとえ、ビーツが入っていなかったとしても…、それでいいのだ。
トマトベースのボルシチを「ボルシチ」じゃないと思っていると、その流れを見失う。
文化の流れ、食の流れ。時の流れ。
もっと簡単に、日本国内で提供されているトマトベースのボルシチも「ボルシチ」であると考えて良かったのかもしれない。食の歴史は、自分の思考の時間よりも古くて長い。
ルーツは、はるか大陸から、そして島国へ…。
そう、そうなのである。ボルシチに、ビーツがあるなしを問うのではなく、両者を認めずして語れずといったところである。
もっと気持ちを整理するなら、例えば餃子がシルクロードを渡り、各地で形を変え名称を変え、独自に味が変わり民族の食卓に浸透していくように、「ペリメニ」を「ロシア風水餃子」なんて言ってみたりしているではないか。
そんな「ペリメニ」のように、「上海風ボルシチ」などとして「羅宋湯」をそう呼んでみようと思う。
赤ビーツを使ったボルシチを「ロシアンボルシチ」。トマトベースのボルシチを「上海風ボルシチ」。そんな感じだろうか…。
この「上海風ボルシチ」もまた美味である。牛肉ブイヨンにトマトベースの野菜スープ。
ポタージュまでのとろみはないが、シャバシャバした感じではない。
残念ながら、私が食べたかったお店は、万博に向けての改装工事地域内のようで、営業していなかったため、別のお店で「ボルシチ」をいただいた。
食しながら、「上海風ボルシチは、ロシアへのつながり。明日、日本へ帰ってからは日本のボルシチをも愛そうと…。ロシアへとつながるのだ…。などと考えていた…。どこで食べても、奥深い一品に変わりなく。」そう、思っていた。
作る人への感謝を込めて。これからも、いろんなレストランヘ足を運んでいきたい。

函館校卒業生 山 名 康 恵