極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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「少佐の見合い」の謎

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。
テーマ:「少佐の見合い」の謎
講 師:グラチェンコフ・アンドレイ(本校非常勤講師)
パーベル・フェドートフは19世紀中ごろのロシアの画家です。1815年モスクワの貧しい小貴族の家庭に生まれました。1826年、11歳でモスクワの陸軍幼年学校に入学、1832年に優秀な成績で卒業しました。得意科目は数学と科学でした。1843年に近衛隊に属するフィンランド連隊の少尉となりました。連隊で絵を描き始め、1844年に退任した後は画家となりました。1852年にペテルブルグで死去しています。
この有名な「少佐の見合い」の絵が発表された時、人々はこれを見て大笑いしました。この絵の中には、当時の世情に対する皮肉がたっぷりと込められていたからです。一つずつ謎解きをしてみましょう。
少佐は“ブルボン”と呼ばれる小貴族出身の軍人で、お金はない。一方、商人は経済力はあるが、身分は低く、娘をブルボンに嫁がせることによってその地位がほしい。
少佐は娘と母親に対して、礼儀である花束も持たずにいきなりやってきて、まだ準備のできていない仲人や花嫁の母を慌てさせます。仲人の女性はロシアで身分の低い女性が身につけるマントのような衣装を着ています。花嫁となる娘は、昼間には不似合いな、当時流行のフランス風の露出の高いドレスを着せられています。不相応な豪華なネックレスやブレスレットを付けられて、恥ずかしくて逃げ出そうとしているところを母親に抑えられています。母親はハンカチを持っているが、このような時に身分の高い女性にはお決まりの扇子は持っていない。頭巾も身分の高いロシア女性が被るような形のものではない。
食卓の料理やシャンデリア、テーブルクロスの色、見合いの場となった部屋の特色などにも、この見合いが非常に滑稽なものであるという皮肉が込められています。
フェドートフが亡くなる1年前、「私はあなたの少佐です」という人が現れました。これはこの絵のモデルという意味ではなく、自分もブルボンで、この絵とまったく同じ見合いをした、つまりこの時代にはよくある光景であった、という意味です。この人はこの絵の複製を自分たちの家にも飾っている、と言ったそうです。世情の皮肉が込められ、人々から笑われた絵ですが、「あなたの少佐」と名乗った人物は、見合いをした妻との間に5人の子どもをもうけ、とても幸せに暮らしている、とのことでした。