はこだて・ロシア交流史かるた大会
2月17日(金)、ロシア極東連邦総合大学函館校で恒例となっている冬を追い出す祭り「マースレニッツア」が行われた。それに合わせて、今年初めて、「はこだて・ロシア交流史かるた大会」が実施された。
北海道では、取り札が木製の「北海道かるた」(小倉百人一首)が有名だが、このたびのかるた大会に使われた「はこだて・ロシアいろはかるた」は、極東大函館校のゼミナール「北海道とロシア極東の交流の歴史」を受講した1年生のオリジナル作品だ。
函館校で年に1度の特別講義「函館とロシアの交流史」を担当するようになったのは4年前のこと。その特別講義を発展させた形で2010年からゼミナール「北海道とロシア極東の交流の歴史」が始まった。
今年度(前期)の受講生は1年生10名で、大半が函館市外(道外)の出身者で占められており、函館の歴史自体になじみのない学生ばかりだった。しかも学生の大半は、卒業後は函館を離れるに違いない。函館とロシアが深い歴史で結ばれていたことを実感すると同時に、函館を離れてからもいつまでも記憶に留めていてほしい、という思いから、ザチョット(試験)で「かるた」を作成させることを思いついた。
実は、これには、2009年に函館が開港150周年を迎えたことを記念して売り出された「函館いろはかるた」がヒントとなっている。謳い文句は、「遊んで学ぼう!」。その中には、「に ニコライの 鐘の音清く 正教会」、「ろ ロシアノイロハは 世界の珍本」など、開港五カ国の一つであるロシア関連の話題ももちろん含まれている。しかも絵札の裏にはテーマにゆかりのエピソードが書き添えられているため、豆知識も得られるのだ。
「はこだて・ロシア交流史イロハかるた」の方は、「北海道とロシア極東の交流の歴史」の授業で学んだことの中からテーマを選び(学んでいないことを選んだ学生が1名ほどいたが)、イロハ順に一人当たり平均4枚を割り当てた。絵札には写真を入れるも良し、自分で絵を描いても良し。そして絵札の裏には、「函館いろはかるた」のように、できるだけ関連するエピソードを書かせることにした。
紙製の縦10.5センチ、横7.5センチサイズの小さなものだが、読み札といい、絵札といい、なかなかの出来ばえだった。
「う 海渡り ニコライ来る 函館へ」
「あ 安政の 日本に降り立つ ゴシケーヴィチ」
「ゆ ユジノサハリンスク ウラジオに次ぐ ロシアの友」
「き 極東大 日本とロシア 結ぶ学び舎」
「ぬ 抜けそうな 古びた床でも美しい 幸坂の旧ロシア領事館」
「け 景色みて 思い巡らす 日露史を」
などといった気のきいたものから、
「な なんでも ダーダー 漁場通訳」
「ね ね? 知ってるでしょ ゴロヴニン」
「へ 変人か、修繕されても それ苦痛」
など独創的なものまで多種多様で、私にとっては、授業を教えている時にはわからなかった、各学生の個性や隠れた才能を知る機会にもなった。
完成した日、かるた大会を試しに1年生と行ってみた。ユニークな読み札に笑い合い、和気あいあいとした雰囲気に包まれた。
せっかく作った「イロハかるた」。このままお蔵入りさせるのは惜しまれた。また、1年生からも、何かの機会にかるた大会をやってみたい!との声が上がった。そのため、いずれは全学年を交えてかるた大会を開きたい、と思っていた。
そんな折、函館校で毎年2月半ばに行われている「マースレニッツア」に合わせて、学内でかるた大会を開いてもらえることになった。せっかくなので、このイベントが学生の知的好奇心を高めるきっかけとなればとの思いから、参加賞(ロシアで買って来たロシア語書籍、あるいはロシア関連の本、ロシア土産など)を設けた。
さて、「かるた大会」の当日。屋外駐車場での冬を追い出す儀式、マースレニッツアには欠かせないブリンヌィ(ロシアのクレープ)、そして教員と学生で500個用意したというペリメニ(シベリア風ぎょうざ)を食べ終わった後、学生自治会と大学事務の長谷川さんの仕切りにより、食堂後方の畳の上で始まった(当日の詳細は極東大函館校ホームページを参照)。
賞品が参加意欲を高めたのだろうか、多くの学生が参戦することになり、3チームに分かれて競技が行われた。あいにく、かるたをやっている現場には立ち会えなかったが、事前にお願いしていたとおり、絵札を取った学生には、裏面に書かれているエピソードが読み上げられるなど、まさに、「遊んで学ぶ」機会となったようだ。
今回は学内での大会だったが、来年夏の極東大函館校の「はこだてロシアまつり」で行ってみてはどうだろうか。個人的には、このイロハかるたを販売できないものかと夢が広がるが、それには改良も必要であろう。
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