アレクシーⅡ世総主教訃報に寄せて
12月5日(金)、ロシア正教会アレクシーⅡ世総主教が79歳で逝去した。長く心臓を患っていたとのことで、死因は心不全と伝えられた。その訃報は本校でも瞬く間に広がり、翌6日(土)には函館ハリストス正教会で旧ソビエト連邦時代にアレクシーⅡ世総主教の補祭を務め、現在は函館ハリストス正教会の司祭であるドミトリーエフ・ニコライ神父が追悼の式を静粛に執り行った。式にはイリイン・セルゲイ函館校校長やサプリン・ワシーリー総領事、ブロワレツ・アンドレイ領事などの関係者が集まった。しかしその日、この訃報に特別な哀しみを感じたのは私を含め、函館市にはまだ多くいたことと思われる。
信者の数が7500万人とも9000万人とも言われるロシア正教会。その首座主教に激動の1990年から第15代総主教に就任し、ソビエト時代に抑圧された正教会の政治への影響力、発言力を取り戻したのがアレクシーⅡ世総主教と言われている。
アレクシーⅡ世総主教は1929年、旧ソビエト連邦エストニアの首都タリンに生まれた。父も聖職者でアレクシーⅡ世総主教本人もレニングラード神学大学を卒業後、聖職の道へ入った。
対外的にも終始友好的な姿勢を取り続け、今年2008年8月のグルジア紛争では政権間同士の批判の最中、グルジア正教会とは良好な関係を維持することに努め、また昨年2007年5月にはアメリカ、ニューヨークに本部を置く在外ロシア正教会との再統合を実現、11世紀に分裂したカトリック教会との対話実現にも熱心だったという。
ロシア正教会ではアレクシーⅡ世総主教が逝去した後、半年間の間に第16代総主教を選出する。
そしてこのロシア正教会の頂点に立つアレクシーⅡ世総主教は今から8年以上も前の2000年5月に総主教としての初来日を実現し、天皇陛下と会見しただけではなく、函館市にも、さらには函館校にも来校した。
アレクシーⅡ世総主教が来校した2000年の当時、私はまだ函館校の学生だったが、大学全体の来校に備えた異様なまでの盛り上がりにただ事ではないと学生なりに感じていた。
怖いもの知らずで何気なく引き受けたアレクシーⅡ世総主教へ宛てた歓迎の挨拶。8年経った今でも学校関係者の方から「あの時挨拶したんだよなあ」と覚えていただいていることがある。ロシア語での挨拶をイリイン校長と一緒に準備し本番に臨んだが、挨拶を読み終わった後、アレクシーⅡ世総主教はロシア語を学ぶ一学生の手を固く握り続け、目を真っ直ぐに見ながら話しかけてくださった。
―何年生ですか?どうしてロシア語を勉強しているのですか?ロシア語は好きですか?
もちろん現実には、そのような貴重な経験ができたのは単純に運が良かっただけかもしれないが、最後の質問に「はい」と答えたその言葉はただの「はい」ではなかったとしてやって行きたい。
アレクシーⅡ世総主教は短い函館での滞在時間を使って、多くの函館市民にさまざまな形で大切な贈り物をしてくれたことだろう。また当時のことを覚えている私たちは今一度、8年前の時間に戻って、日ロ交流からつながる日ロ友好への道を考え直さなければならないと思う。