ゲオルギイ・グルジエフ
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第5回目の講話内容です。
テーマ: ゲオルギイ・グルジエフ
講 師: イリイン・ロマン(准教授)
「ゲオルギイ・グルジエフ」という名前を皆さんは、耳にしたことがあるでしょうか。彼は、小説家であり、作曲家でもあります。そのほか活動は多岐に渡りましたが、最も有名な活動は思想家だったことです。20世紀最大の神秘思想家と呼ばれています。
グルジエフは、当時ロシア領だったアルメニアでギリシア人の父と、アルメニア人の母の間に生まれました。家業は羊飼いで、吟遊詩人だったとも言われています。しかし、羊飼いの仕事は疫病のため、廃業せざるを得ず、その後工芸品の商いを行うようになったそうです。
1877年に起きたトルコとの戦争の影響で、カルスという町に引っ越します。グルジエフはそこで学校に通いながら、聖歌隊の一員として活動をしました。そこで出会った神父を師と仰ぎ、精神面への興味関心を持つようになりました。その出会いから、聖地や遺跡にも興味を持ち、長い旅へと出かけました。彼が一番長く滞在したのはチベットで、ダライ・ラマ13世と交流があったといわれています。
しかし、これまでの話は全て本当か分かりません。自伝的な本で少し書かれているだけで、信ぴょう性がないからです。物語のようにも思えます。
でも最も謎なのは、彼がこれから説明する思想をどこで学んだのか、何で思いついたのか、分からないことです。
それでは、グルジエフの思想について説明しましょう。
グルジエフは、旅を終え、モスクワで小さなグループを指導するようになります。すでに神秘思想家として有名だったピョートル・ウスペンスキーも一緒に活動をしました。グルジエフの思想は、彼のもとを離れたウスペンスキーが広めたとも言われています。
グルジエフの考えの一つは、「人間=機械」だというものです。“私たちの見る人、知っている人、知り合いになるかも知れない人々は皆機械だ。外からの影響だけで動いている機械なのだ。彼らは機械として生まれ、機械として死ぬ。しかし、機械であることをやめる可能性はある。” 人はありふれた状態においては、条件づけに支配されている機械のようだ、考えたのです。
次に、「人間はうそつき」という考えについてです。“真実を話すためには何よりもまず自己の中で、真実とは何か、嘘とは何かを知らなくてはならない。” グルジエフは、人間は常に嘘をつくもので、だから誰も自分も他人も理解できないのだ、と考えました。
更に、死後については、“人間=機械にはいかなる未来もない。埋葬されて、それで終わりだ。塵は塵に還る。来世のために、ある種の結晶か、人間の内的資質の融合、外的影響からの確固たる独立が必要だ。もし人間の中に、外的影響に抵抗できるものがあるとすれば、まさにそれ自身が、肉体の死にも抵抗できるかもしれない。”と考えました。
その他にもグルジエフは、人間機械の身体の動きは、脳によってではなく、おのおのが完全に独立し、別の機能と活動領域を与えられた複数の脳によって制御されていることを理解しなくてはいけないと言い、頭と心と体を三区分に分けて考えました。
そして、その三つに分けた区分を同時に使えるように訓練するムーヴメンツという舞踏や体操を作りました。これらの音楽もグルジエフが考えたものです。別の作曲者が考えたレパートリーも含めると200曲近くもあります。
グルジエフは、この訓練をするため、生徒たちと共同生活を送りました。ロシア革命のときには、コーカサス地方の山の中で共同生活を送りましたが、晩年はパリに移り住み、ムーブメンツの稽古や、内的なエクササイズの取組みなど活動を大きくしていきました。
グルジエフは1949年10月29日、パリのセーヌ川近くの病院で亡くなりました。彼の元生徒たち、弟子たちがグルジエフの教えをその後広め、今に至ります。
最後に、グルジエフの作曲した音楽に合わせて踊るムーブメンツの様子を見ましょう。