バイカル民話集2 ハルデイの妻
ハルデイの妻
Жена Хордея
昔々ある山の麓にハルデイという貧しい男が住んでいました。ハルデイは大金持ちの主人に雇われて、家畜の世話をしていました。ところが、主人はとてもケチな男だったのです。
そして1年が過ぎたある日、主人は一生懸命働いたハルデイに、わずか3枚の銅貨しか支払いませんでした。それに腹を立てたハルデイは、別の場所で幸せを探すことに決めました。
ハルデイにとってそれはそれは長い旅でした。深い森を抜け険しい山を越えて草原を渡り、ようやく、バイカル湖という大きな湖に辿り着きました。そしてそこからハルデイは小舟に乗って、湖の中にある一番大きな島、オリホン島へ渡りました。彼はとてもその島を気に入ったので、自分を占ってみる事にしました。「バイカルの神は誰でも好きなわけではない」、「供え物をあげても、受け取るとは限らない」ということをハルデイは知っていましたので、彼は賭けをしたのです。
「今、この3枚の銅貨を投げよう、もし、神が私を受け入れてくれるのであれば、銅貨を受け取ってくれるはずだ。それなら、私はここに残ろう。もしお金が戻ってきたら、違う場所を探そう」
そう言いながらハルデイはバイカル湖の沖の方へ銅貨を投げました。すると海は川のようにゴオゴオと鳴り響き、波立ってきました。ハルデイは岸辺の砂利を見回しましたが、ぶくぶくと泡だけがそこにあり、他には何も現れませんでした。貧乏なハルデイは神が受け入れてくれたことを知って喜び、この島で暮らす事を決めたのでした。
それから3年が経ちました。そこはハルデイにとってとても暮らしやすい所でした。湖ではたくさんの魚が捕れ、森も豊かでした。でもハルデイは一人でいるのが寂しくなりました。彼は妻が欲しくなったのです。
そうしたある日、ハルデイは、自分のつまらない一人暮らしに寂しさを募らせながら、湖の岸辺に座りカモメやウミウを眺めていました。
「鳥たちは自分より、こんなにも幸せそうにしている。それはきっと家族がいるからだ」
ハルデイはうらやましそうに深くため息を付いていました。すると突然、湖の波音の中に静かな声が聞こえました。
「嘆くな、ハルデイよ。君が惜しまず投げてくれた3枚の銅貨は無駄ではなかったのだ。3年前はここに住む場所をやったのだが、今回は妻を捜す手伝いをしてあげよう。夜明け前にここの岩の間に身を隠して待っていなさい。日が昇る頃に白鳥の群れがやってくる。白鳥達は白鳥のドレスを脱ぎ、綺麗な娘に変わる。そこで好みの娘を選ぶがいい。娘達が泳ぎ始めたら、その娘のドレスを隠しなさい。そうすればその娘は君の妻になるはずだ。おそらく娘はドレスを返すよう君に訴えてくるはずだ。だが、譲ってはいけない。後で彼女と一緒に住む事になっても、返してはいけない。もし私が言った事を忘れたのであれば、君は妻を失うであろう」
声はそこで途切れました。バイカルの神の声に戸惑ったのか、夢だと思ったのか、驚いたハルデイはじっと湖の岸辺に座っていました。でも覚えている事はとにかくやってみようと決意したのでした。
そして夜明けに彼は翼の羽ばたく大きな音を聞いて、岸に雪のような真っ白な白鳥達が舞い降りるのを見たのでした。白鳥達はドレスを脱ぎ、綺麗な女性へと変わりました。彼女達は子供のようにはしゃぎながら、泳いでいました。ハルデイの視線は彼女達に釘付けでした。特にその中で誰よりも美しく、誰よりも若い娘ホングにハルデイは心を奪われました。我に返ったハルデイは岩から飛び出し、その美しい娘のドレスを手にとり、それをすぐに洞窟に隠して、入り口を岩で塞ぎました。
太陽が昇り、海水浴に満足した美女達は岸から上がり、急いで着替えました。しかし一人だけ、その場にあったはずの自分のドレスを見つけられませんでした。彼女は驚き、震えた声で泣きそうにこう言いました。
「ねぇ、私の軽い羽のドレスはどこ?私の速く飛べる翼はどこ?いったい誰が盗んだっていうの?どうしよう、私って本当についてないわ・・・」
その時、彼女は一人の男が目に入りました。そう、ハルデイです。彼女はすぐにハルデイがやった事だと気づきました。彼の所に急ぎ足で向かい、膝をついて、目に涙を浮かべながらこう言いました。
「ねぇ、おにいさん、私のドレスを返してもらえませんか?返してもらえると大変嬉しいのですが。返していただけるのであれば、できることなら何でもしますから」
しかし、ハルデイはこう応えました。
「いいえ、綺麗なお嬢さん、私にはあなた以外何も、誰も必要としていません。私は、あなたが私の妻になってくれることが望みなのですから」
若い女性は泣き崩れました。自分を自由にしてくれるよう、さらに強く懇願しました。けれどもハルデイは聞き入れませんでした。
そうこうしている間に彼女の仲間たちは既に着替え終えて白鳥の姿に戻っていました。仲間達はホングを待つことはできませんでした。彼女達は空へと羽ばたき、別れのような悲しい鳴き声で飛び去っていったのです。ホングは仲間達に手を振っていましたが、顔を涙で濡らし、岩にしゃがみこんでしまいました。
ハルデイは彼女を元気付けようとこう囁きました。
「泣かないで、綺麗なお嬢さん。仲良く暮らせるさ。私は君を愛するし、大切にする」
「私にはもう何もないわ・・・」
ホングは気持ちを整理して、瞳から溢れ出ている涙を拭い、立ち上がり、ハルデイにこう言いました。
「わかったわ、これが私の運命なのね。あなたの妻になります。私をあなたの住む場所へ連れてって」
ハルデイは彼女の手をとり、家へと向かいました。
この日からハルデイはオリホン島で妻ホングと共に仲良く幸せに暮らしました。二人の間には11人の息子が生まれ、彼らは両親をよく助けてくれました。そして息子達にも家族ができ、孫達も生まれ、ハルデイにとって寂しいなんて思う日はありませんでした。年が過ぎても老けたように見えない妻ホングも自分の家族を見て、とても喜んでいました。彼女もまた孫をあやしたりするのが大好きでした。孫達に御伽話を聞かせたり、難しいなぞなぞを出したり、良い行いや親切な行い全てを教えました。そしてこう言い聞かせたりしました。
「人生は白鳥達のように互いを信じあうことですよ。きちんと覚えておいて。そしてあなた達が大きくなった時に、誓いというものがどういうものなのか、自分で理解しなさい」
ある日のことです。ホングは孫達を自分の家に呼んで、次のようなことを語りました。
「大切な私の子供達よ、私は自分の全生涯をお前たちのために捧げてきました。後はもう安らかに眠るだけです。私はもうすぐ死ぬでしょう。この身体は老いたとは感じないけれど、誓いを守らなければならなかった、いつしか切り離されてしまった元の身体が年老いてしまうでしょう。お前達が私を責めない事を信じていますよ」
祖母が何を話しているのか、何を考えているのか、孫達はほとんどわかりませんでした。でも夫ハルデイは気付いていました。綺麗な妻ホングはよく物思いにふけったり、考え込んでいたり、隠れて涙を流していたりしていたのでした。そして彼女は昔ハルデイが彼女のドレスを隠した場所によく通いつめていました。ホングは岩に座り、海を眺めて、押し寄せる波の音を聞いていました。そして空には薄暗い雲が浮かんでいて、その雲を寂しそうに目で追っていました。
ハルデイは彼女が悲しんでいる理由を何回も聞こうとしましたが、決心が揺らいでいるのか妻はいつも黙り込んでいました。
二人は家の中にある火の近くに座って、共にすごしてきた日々を思い出していました。そしてホングはこう言いました。
「ハルデイ、私はあなたとどのくらい共に暮らしてきたのでしょう。それに一度も喧嘩はしませんでしたね。私はあなたとの間に二人の血を継ぐ11人の子を産みました。でも私は人生の終わりになってもあなたから少しの慰めすら受けていません。どうしてですか?今もあなたは私のドレスを隠しているのですか?」
「君はなんのためにあのドレスが必要なんだい?」
ハルデイは尋ねました。
「もう一度白鳥になって、自分の若い頃を思い出したいの。だからお願い、ハルデイ、せめて少しの間だけでも以前の姿に戻りたいの」
ハルデイはしばらくの間その願いに首を頷かず、彼女を思いとどまらせました。しかし、自分の愛する妻が可哀想になり、彼女を慰めるために、ドレスを渡したのです。
ホングはどれほど喜んだでしょうか。そして彼女が自分のドレスを手にした時、彼女はより若く見え、顔にも明るさが戻り、せわしなく動き始めました。
使っていなかった羽を一生懸命手入れして、ホングは今か今かとドレスを着る準備をしていました。この時ハルデイはとても頑丈な鍋で羊肉を煮ていました。火の側に立ち、彼は愛する妻をじっと目で追っていました。ハルデイは妻ホングが嬉しそうに、そして満足そうにしているのを見て喜んでいましたが、同時になぜか不安を感じていました。
そして突然、ホングは白鳥の姿に戻ってしまいました。
「ギーギー!」
かん高い声を上げ、彼女はゆっくりと空へと羽ばたいていきました。高く高く。
この時ハルデイはバイカルの神が前もって彼に言っていた事を思い出しました。ハルデイは悲しみのあまり泣き出し、何とかして妻を家に連れ戻そうと、家の外に駆け出しました。しかし既に時は遅すぎました。白鳥は空を高く舞い、徐々に遠く離れていきました。彼女の後を目で追い、ハルデイは嘆きました。
「なぜ私はホングの言うことを聞いて、ドレスを渡したんだ?なんのために?」
しばらくハルデイは落ち込んでいました。けれども絶望を乗り越え、理性を取り戻した頃、彼は、辛いこととはいえ、実は妻の最後の喜びを奪う権利がなかったのではないかと悟りました。「白鳥として生まれてきた者は、死ぬときも白鳥であるべきで、騙して手に入れたものは、それ故にこそ失われて然るべきものなのだ」と。
どんな悲しみも、それを分かち合える相手がいれば、辛さは半分になると言われています。ハルデイは既に独りではありませんでした。息子達やその嫁、そしてたくさんの孫に囲まれて、年老いた今そこに慰みを見出していたのです。