極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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ピオネール キャンプについて

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第5回目の講話内容です。

テーマ:ピオネール キャンプについて
講 師:イリイン・ロマン(准教授)

「ピオネール」がどんなものかについては、ご存知の方もいるかもしれません。過去にこのベリョースカクラブでも触れたものです。その時、出席していなかった人もいますので、簡単に説明しますと、日本でいうボーイスカウトのようなものです。ピオネールは、ソ連時代の共産主義の少年団のことです。ピオネールの下位組織、7~10才までの児童が入るオクチャブリャータ。10~14才くらいの子どもが入るのがピオネールです。
この7才~14才までの子どもたちが、ピオネールのキャンプに参加することができました。「ピオネール・キャンプ」をそのままロシア語にすると「пионер лагерь(ピオネール・ラーゲリ)」となります。「ラーゲリ」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。「収容所」という意味でもありますが、本来は「キャンプ」を意味するもので、「合宿、宿泊施設」も意味します。
そのため、今回お話しする、ピオネール キャンプは、本当にテントを張ってキャンプ生活をするのではなく、合宿所での生活のお話しとなります。
ピオネール キャンプは、3カ月ある夏休みに行われます。3カ月全て参加する子どももいましたが、多くは1カ月間の参加で親元から離れて過ごしました。このピオネールのキャンプで使用されていた施設は、大変規模が大きなものでした。ソ連時代の末期には4万か所の施設が国内にあったといいます。ピオネールに入っている子どもたちはこの施設を、10%ほどの負担額で利用していました。ほぼ無料と言ってもいいくらいの負担です。年間1000万人の子どもたちが利用しました。
これらの施設の運営および費用は国が賄っていました。しかし当たり前ですが、ソ連が崩壊すると同時にこの施設も立ち行かなくなり、今ではその多くが廃墟となっています。
さて、当時のピオネールのキャンプの一日についてお話ししましょう。スケジュールは、8時起床・体操、8時40分旗揚げ。この時にラッパが鳴ります。9時に朝ご飯を食べて部屋の掃除をしたら、運動をします。13時にお昼ご飯を食べて、少しの休憩をします。昼寝をするように指示されましたが、子どもたちは遊びたいので、静かにトランプゲームしたり、読書したりして過ごしました。15時にまたアクティビティがあったあと、16時におやつの時間、そしてまたレクリエーションをし、17時半に夕食。18時半から自由時間。20時に夜のイベント。そして22時に就寝です。しかし、そんな早く寝るなんてもったいないですよね。枕投げではなく、枕で戦いごっこをしました。寝てしまった子どもには、歯磨き粉を顔に塗るいたずらをすることもしました。中でも夜のおたのしみと言えば、怖い話をすることでした。毎晩でなないけれど、子どもたちの楽しみでした。
この長いピオネール・キャンプの生活の中では、月に一回両親が施設に尋ねてくる日がありました。まだ子どもですから、それが楽しみの子もいましたし、会ったことでホームシックになる子もいました。
キャンプの最後の日は、キャンプファイヤーをします。キャンプファイヤーで使う薪は自分たちで2,3日前から集めます。薪の積み方もその集めた子どもたちが考え、作っていきます。大きく燃え上がる炎が印象的だったのを覚えています。
最後に一つ。このキャンプ中の食事で、週に1度か2度必ず出るものがありました。「スィールニキ」です。前回の「ロシア料理」の回で説明しましたが覚えていますか?中にカッテージチーズが入ったパンケーキのようなものです。ソフィア先生が今朝作りましたので、皆さんも持ち帰って、ピオネール キャンプに参加したつもりで食べてください。