極東の窓

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マッド・サイエンティスト~人と発見、ユーリー・クノロゾフ~

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第6回目の講話内容です。

テーマ:マッド・サイエンティスト~人と発見、ユーリー・クノロゾフ~
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(教授)

ロシアには、ロシアについてではなく、近隣諸国でもなく、遠い国のその文化・民俗・習慣を研究した人たちがいました。自分の国のことではなく、他国に興味関心を持ち、思いを馳せ、研究する学者たちを不思議に思います。どうしてそれに興味を持ち、研究するに至ったのか。そして、このような学者たちは、マッド・サイエンティストなのではないか、と私は思うのです。
その一人として、「ニコライ・ミクルーホ=マクライ(1846-1888)」を紹介しましょう。彼は、ロシアの研究者の中では南アジアを専門とし、1871年以降は、パプアニューギニア北東部へ単身で乗り込み、調査を始めました。人類学的に貴重な資料を数多く残しました。パプアニューギニアには、彼の名前に因んだ「マクライ海岸」があります。現在もその名が残っているほか、同国のマダンという街には、彼の名のついた通りがあるそうです。同じくロシアにも、彼の功績を称えた「ロシア科学アカデミー・ミクルーホ=マクライ記念民俗学・人類学研究所」やモスクワ南西部に「ミクルーホ=マクライ通り」があります。
さて、今回のテーマである「ユーリー・クノロゾフ(1922-1999)」について、話しましょう。彼は、インダス文字や千島列島を探検し、アイヌに関する論文も書いていますが、その功績は何と言っても、マヤ文字の解読でしょう。
クノロゾフが解読に使用したものは、1933年にグアテマラで出版された3つの写本を1冊にまとめた本でした。彼によれば、マヤ文字は表語文字と表音文字の混在した文字で、同じ文字が表音的にも表語的にも使われ、また読みを補助するために表音文字が加えられることが分かったとしています。この解読方法が発表された当時、この考えに反対した学者がいました。西側の代表的なマヤ文字研究者、ジョン・エリック・シドニー・トンプソンです。トンプソンは象形文字の音声要素を否定し、記号に意味があるとしていました。
しかし、クノロゾフは、長く綿密な計算を通じて、3つのマヤの写本すべてに約355の繰り返されない記号が含まれていることを立証しました。これらの研究は、彼がロシア科学アカデミー・ミクルーホ=マクライ記念民俗学・人類学研究所に勤務していた時に発表した論文の内容です。
解読に関する一連の研究から、クノロゾフは1977年にソビエト連邦国家賞を授与されました。マヤ文字の解読が彼に世界的な名声をもたらしたことは言うまでもありません。
長い間、研究してきましたが、晩年と言っていいでしょう。1990年に彼は初めて実際のマヤの遺跡を訪れました。そして1994年にメキシコでアステカ鷲勲章を授与されました。
現在、マヤ文字についての研究では、クノロゾフの解読結果は必ずしも正しいものではなかったことが分かりましたが、彼の法則に基づいて急速に解読が進んだことは事実です。
メキシコには、彼の栄誉を讃えた銅像があります。その彼の銅像の腕の中には猫が抱かれています。クノロゾフは、無類の猫好きでした。自分の著作に、愛猫のアーシャを共著者として書きましたが、編集者はいつも削除していたそうです。また著者写真にもアーシャと写っているものを使うと、これもまた編集者が切り取るので、彼はイライラしていたという逸話があります。この逸話に関するネット画像がロシアでは話題になり、私は彼にそしてマヤ文字に興味関心を持ちました。何に興味関心を持つのか、人って分かりませんね。