ロシアとロシア人
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第1回目の講話内容です。
テーマ:「ロシアとロシア人」
講 師:デルカーチ・フョードル(本校副校長)
私は経済などの専門家ではありませんが、今日はみなさんに一人のロシア人として見た国、行方、歴史、今の状況などをお話したいと思います。
まず、ロシアには大きな国、または寒い国というイメージがあるでしょう。水平に測ると約1万キロ、それでいて人口は日本とそんなに変わらない1億4千万人程度。人口密度は極めて低い。ゴルバチョフのペレストロイカ以降、人口流出がありました。90年代には1年間に100万人近く減少しました。最近はある程度収まりましたが、出生率が上がったわけではありません。
人口密度が低いということは歴史的な問題です。ロシアは国として出来た最初からそういう状況でした。ロシアの歴史、ロシア人のメンタリティー、経済状況は人口密度の低さによることです。
ロシアの領土を一つの長方形とすれば、角はバルト海・アラスカ・日本海・黒海。国のシルエットは走っている馬と言われています。大きく領土を分けると、西側半分はほとんど平地。大陸プレートがぶつかって盛り上がっているところがウラル山脈。それはヨーロッパとアジアの境にもなっています。ヨーロッパロシアは3分の1ほどです。
人口は3つに分かれます。1番多いのはヨーロッパロシア、2番目にシベリア、3番目が極東地域。西側に人口の4分の一が集まっています。シベリアに行くのは“島流し”の人か商人。帝政時代の頃から同じ町の中に、鎖につながれた囚人と金持ちの商人がいる社会でした。
なぜロシアの人口密度が低いか。宇宙から見ればロシアの領土はそのまま緑色に見える、つまり密林がほとんどです。北極圏は、暖かい時期は1年のうちたった3ヵ月。収穫は1年に2回できるところはまったくない。簡単にいうとプロテイン不足です。つまり森には人を養う限界があります。狩猟経済で、ある程度生活はできました。しかし大文明を作ることはできない。
西ロシアはいわゆる大陸農業地帯。天気が不安定で、昨日は30℃を超えたかと思うと、明日は急に10℃に下がる。あるいは大寒波の時期がやってくるとか。麦の収穫は非常に不安定なんですね。
また、インフラの問題があります。ロシア人は自分自身を批判してこう言います。「ロシアには二つの国民的・歴史的な問題がある。一つは道路が悪い、もう一つはバカが多い。」
2番目についてはどうだろう、よくわかりませんが、また問題は森なんです。少ない労働力で道路を作るのは何とか作れるが、管理はむずかしい。しかもかなりの温度の差がある気候。夏と冬ではプラス30℃、マイナス30℃。さらに昼と夜でかなりの差がある。常に修理をしても、すぐに傷だらけになってしまう。
モスクワの中心空港・ドモジェドヴォ空港からモスクワ市内までの大きな道があります。ソ連崩壊後、ロシアのアスファルトの技術がダメなのかな、ということで大きなドイツの会社が税金で雇われ、きれいな道路が作られましたが、2年後にまたダメになった。だから技術の問題ではないんです。大きな道路を管理するのがむずかしい。
人口が増えたとしても、今度は食糧不足になる。今はちょうどいい数が住んでいると言ってもいいでしょう。いろんな不便があるが、仕方がないことだと思います。ロシア人のメンタリティーは、極端な人も多いけれど、平均的にみると「仕方がない」というものの見方です。もうちょっとそれを捨ててほしいぐらいです。少なくとも役所の人とかは。
先に言ったように、道路の維持はむずかしい。アスファルトがなかったとき、石畳で多くの道路を作るのはむずかしいので、土の道路が多かった。シベリアのほうは沼だらけの湿地帯。農地としては悪くないし、特にロシアの中部はなかなかいい麦の収穫がある。南シベリアも悪くない。しかし夏が短い。秋になったら雨のシーズンに入り、道路はびしょびしょ、馬車が床まで沈んでしまい、あまり走らない。
19世紀に鉄道が誕生すると、皇帝からまずロシアには鉄道が必要ということが決められ、ヨーロッパにならい、シベリア横断鉄道が作られました。モスクワに始まってウラジオストクまで走っているのですが、向こうとこっちの人は自分たちのところから始まっている、お前たちが終点だろう、と言っている。私はこっちの人だから、モスクワが終点。
長さとして1万キロメートル近くなんですが、全部乗ると、6日間ちょっと。寝台車です。レールはセグメントをボルトで固定しています。温度の差があるから溶接によって作ると長持ちはしない。しかし普通の道路よりずっといい。少なくとも長持ちします。平均で60~50キロで走ります。長い間シベリア鉄道が唯一の輸送でした。ロシアの背骨と言って過言ではないでしょう。
シベリア鉄道がどこからできたかというと、中国への道なんですね。17世紀初めごろ、お茶がとてもロシア人の口に合って、ティーロードができました。中国に毛皮などを運んで、中国から絹と茶を運んだ。その間に住んでいる民族はほとんど遊牧民で、経済はほぼ強盗経済、商人からものを奪って生きていくんです。これには仕方がないところもあります。草原の民族はほとんどそういうふうに考えていた。もともと戦争とは大きな強盗です。
それで、町を作らなきゃいけない。町はそんなに大きくはないですが、木造の要塞がありました。少しずつ税金を支払う領域が広がって、税金によりインフラ整備がなされると、小民族たちも戦争をする必要性が少しずつなくなっていきました。ほとんどモンゴロイドの人が住んでいましたが、一部のモンゴロイドたちは町に入って正教徒になって、ロシア人に混じっていった。ティーロードに沿って大きな町が作られてきたのです。
一番資源があるところは北の方。町もありますが、とても生活はむずかしい。ヘリコプターでしか行けないところもあります。人は南の方に住んでいて、石油採取所などに交代で1~2ヵ月行ってお金を稼ぐ、交代式です。
シベリア鉄道に沿ったところは割と住みやすい地域です。シベリアは気候も良い。夏はあったかくて、冬は本格的な冬。唯一の問題はヨード不足になりやすいこと。学校では錠剤をもらって飲みます。だから昆布製品などは喜ばれます。ロシアでは昆布は缶詰になっています。
さらに、今日の天気を調べてみました。函館とそんなに変わらないです。モスクワの方が逆に暖かいくらい。北極圏はもちろんマイナスになったりしますが、モスクワは暑いときには28~30℃になることもあります。今、国民が一番心配しているのは山火事。始まったら心臓発作などいろんな面で健康被害が増えます。
日本には都道府県がありますが、ロシアの行政管区を見ると、州・地方・自治共和国と連邦共和国という制度があります。共和国になっているのは国として認められているものなんですね。連邦の中の国とされ、だいたい何かの民族が住んでいて、その民族は歴史的領土があって、文化が守られていて、場合によっては言語のメディアだってある。
有名なところではタタールスタン、もと大モンゴル帝国のかけらなんです。昔、ロシア人の間ですべてのモンゴル人はタタール人と呼ばれていました。ブリヤート共和国はバイカル湖の南側。モンゴルのひとつの部族と言っていいです。言語もモンゴル語の一つの方言。チベット系の仏教徒で、お寺はだいたいそこに集中しています。
ロシアには七つの連邦管区があり、それぞれには大統領全権代表という大使みたいな人がいて、中央政府とのさまざまな問題を仲介する役割を果たしています。ロシアでは中央政府の権力が非常に強い。それには客観的な理由もあります。一つは実体経済を作る国民自体が少ない。それはまた密度の問題です。広い国だから、取締りも難しい。
ロシア人って、どういうもの?ロシアに行ったら通りを歩く顔が三つに分かれます。とても民族が多い。151民族あって、一部は200人しかいないとか、消える民族もあります。そのなかでスラブ系ロシア人と呼ばれている者は、ウクライナとかベラルーシとかスラブ系の人が集まって、ロシア語をしゃべってこの社会の一員という考え方。北の人が多いです。顔を見たら、目が灰色とかブルー。茶髪というより少し金髪に傾いています。
だいたいシベリア鉄道に沿って住んでいて、領土を開拓することはスラブ系の民族を中心に行われました。現在、スラブ系ロシア人はロシアの人口の中で7割程度。ペレストロイカ以前は90%を超えていました。今はさらに多民族化が進んでいます。
長い間、ソ連という国、つまり連邦共和国がたくさんあって、そこに様々な民族が住んでいる。その中でロシア人はひとつの接着剤として考えられていて、とにかく自らの民族性を押さえていた。ロシア人が「これはわれわれロシア人の国だ」、という言い方をすると、国がつぶれちゃいます。その面では法律は極めて厳しくて、そのようなプロパガンダをする人はすぐに刑務所に入っちゃいます。
ソ連崩壊がなぜ起こったかというと、ロシアとそれぞれの共和国の関係が悪くなったという訳ではないのです。たとえば歴史的に長い間、コーカサス地帯のグルジアとアルメニアとアゼルバイジャン、中央アジアのウズベキスタン、キルギスタンなど、その間の関係が悪くなって、ロシアがそれぞれの取り締まりをできなくなったということなんです。ですから今はロシア人の位置づけが弱まっていると言ってもいいと思います。
二つ目の大きなルートはアジア系・モンゴル系の人々。大昔からロシアに住んでいた、さまざまな民族の人々。古い時代にはその文化的影響がありましたが、今はあまり感じられません。ロシア語の中にモンゴル系、タタール系、チュルク系の言葉がいっぱい混ざっていますが、お金とか靴とかコートとか、生活の言葉が多い。遊牧民の住居・ゲルは、下がカーペットになっています。ロシア人もまた、家の中で靴を脱ぎます。スリッパはあるけれど、土足ではない。それはその民族の影響です。
モンゴル系の人は、実際は町の中でしょっちゅう見るという訳ではありません。特に西ロシアでは。シベリアでは普通に半々とかです。だいたいアジア系の民族はほとんど少数民族が多いのですが、一つのまとまった文化はある。遊牧系のもの、草原系(ブリヤート系)、あるいはイヌイット系。
もう一つのグループは極めて活発なカフカス(コーカサス)系。ちょっとイラン系、インド系が入っている。スターリンはグルジア人です。その地域は南部の方にあります。コーカサス地帯というのは黒海とカスピ海の間にある、とても高い山。グルジア人は大昔、古いヨーロッパのひとつのかけらと呼ばれていた。何と言語はスペインのバスク地方とつながっているという説があります。インド・ヨーロッパ文明が広がる前からのもので、山の高いところに住んでいました。大昔、紀元後3世紀あたりからキリスト教になった民族で、ロシアの歴史の中で大きな役割を果たしてきました。
ロシアの帝国がコーカサスの辺りまで広がって、まず何をしたかというと、地方のエリートを首都に出世させることなんです。例えば有名なのは、ナポレオン戦争の時にモスクワを守る最後の戦いで英雄的に戦っていた人が侯爵バグラチオンという人でした。グルジア人です。その時に戦死したんです。そして第二次世界大戦の時に、西ロシアがほとんどドイツに占領されて、それを追い出す軍事作戦の名前がバグラチオン作戦と呼ばれるようになったぐらい。
カフカス系はとても自然に近い場所で育ってくる。暖かいし、果物も豊富。体が頑丈なんですね。体質的に強くて、子どもが多い。ロシア人の割合が下がったということはカフカス系が増えている。例えばチェチェン人はカフカス系の人々。カフカス地帯は世界で言語が一番多い地域と呼ばれていて、一つの村に一つの言語。非常に家族の絆を大事にする。ソ連時代からロシアのマフィアの親分はほとんどグルジア系、チェチェン系などカフカス人でした。大問題になっています。ロシアにはカフカスの踊りとか、料理とか、文化的にも影響が強い。カフカス料理はおいしいものが多いです。うちのロシアまつりで出す串焼き肉・シャシリクはカフカス料理です。帝政時代に入ってきました。
そのほかに、もう一つの大きなグループ、入国者です。一時的に働いてまた戻る、おもに旧ソ連の中央アジア地域から来る人々です。ソ連が崩壊した時に、ソ連のイスラムを守ってきたカザフスタンなどは、資源も多くて比較的豊かな生活をしています。私も行ったことがありますが、ロシアと変わらない、安定した状態なんです。ウズベキスタンはまあまあ。綿の輸出でもうけています。ウズベク人は働き者です。
しかし、アフガニスタンに近い地域はとんでもない生活をしている地域もあります。タジキスタンとか、トルクメニスタンとか、首都はまだ大丈夫ですが、地方は貧乏な生活をしている人が多い。それでロシアに逃げるのではなくて、勝手に行くんですね。不法入国者も後をたたない。それだけ現地の暮らしが厳しいということなんです。しかも家族が多いんです。ここに残ってロシア人になってもいいかもしれませんが、家族が待っています。みんなが行けるわけではないから。
顔はいろいろ、モンゴロイド系の人もいるし、イラン系もいるし、民族自体はとても多い。ウラジオストクにもたくさんいます。外でほうきを持って働いている人はほとんどロシア人の顔をしていない。建設労働者とかは、ほとんどそう。モスクワの一部のタクシー運転手はあまりロシア語をしゃべらない。しかもほとんどイスラム系の人。
今は入国者の割合がロシアの中で9%と、かなりの数ですが、ヨーロッパほどひどくありません。少なくともロシア人は長い間千年近く隣り合ってきて、どういう民族かだいたいわかる。だけど、イスラム原理主義の問題やテロリズムもありますし、移民は極めてむずかしい。簡単な方法では解決できません。熱くなっている炭のようです。炎はまだ出ていない状態。これからどうなるか、心配です。
さて、ロシア人はどういうところに住んでいるか。私の計算では、ソ連の遺産が利用されているのは、まだ7割以上あります。特に地方はそう。モスクワとサンクト・ペテルブルクのほうでは昔の家は取り壊されることは最近多いですが、新築の手抜き工事の問題が出てきます。
ソ連時代から代表的な家は、まずスターリン様式と呼ばれている団地。1930年代から作られています。中が煉瓦で漆喰を塗って家になる。とてもいい家。今でもこのマンションを買うのはとても高い。今はお湯を流すセントラルヒーティングですが、私の子ども時代にはお湯を沸かす大きなボイラーがあって、私は、そこは魔法使いが住んでいるタワーだと思って、中に住みたかった。神秘的に見えていました。天井は高くて、二重窓ですからあったかい。壁も厚い。セントラルヒーティングですから節約はできません。それは自治体にとって大きな重みです。日本みたいに一つひとつの部屋に暖房の方が節約できる。ただ、冬にはまずしっかり温めたら、消しても3時間ぐらいは問題ないです。100年近くたっていたりするけれども、何回も修理して、なかなかいい建物です。
次はフルシチョフ式。1955年あたりから始まったもの。できるだけ国民にちゃんとしたアパートを与えなくてはいけないということで、日本の2DKから3DKにあたるものなんですが、コンクリートもレンガ造りもあります。人気はレンガ造り。二重窓で壁も厚くて、スターリン式ほどではないが、いい家です。 日本ではあまり利用されていませんが、石英レンガという、結構エコなものです。石英と石灰と水しか使われていない。シチューみたいなものをスチームで温めて200℃になったら石のように固まっちゃう。非常に頑丈で寒さや温度に強い。唯一の弱点は水には弱いところなので、なるべく土から水分を吸わないように、下は普通のレンガで、上は石英レンガにします。ロシアでは今でも人気の素材です。
乗り物について、ロシアでは6割以上は外車です。韓国製・中国製・ヨーロッパのものもあります。日本車はだいたいトヨタなどヨーロッパの工場から入ります。最近、国内でも外国メーカーのものが作られて売れています。国産の一番大きなメーカーはヴォルガ。車としては国民の評価はまあまあ。国産のバンとしてラーダ。ロシアは左ハンドルです。ロシアは気候も厳しいし、道路も悪い。相当頑丈でなければ長持ちしません。だからランドクルーザー(トヨタ)が人気。
ロシアそのものを運ぶロバの役割をするのが、いわゆる一定方向タクシー。これはロシアで一番広く使われる交通手段なんです。バスの方針で走っている20人乗りぐらいのタクシーで、距離は関係なく、料金は10ルーブル前後、30円くらいです。運転手は入国者が多くて、ロシア語がそんなに通じない時もあります。ラジオからイスラム圏の音楽が流れて、道は教えてくださいと頼まれる。交通事故を起こすことは多い。大きなターミナルでは5分10分に一便が着きます。便利は便利です。運転手さんさえ気をつければ。
食べるものは、また最近変わってきました。ソ連の中では伝統的なロシア料理は死んでいたとよく言われます。革命が起きて国内戦争が始まると高級コックとか、調理師のエリートは亡命して、世界の高級ロシアレストランはニューヨークなどを中心に開かれるんです。ロシアは国内戦争の真っ最中ですから。
食べ物にはまず何が必要か、衛生です。だから誰を雇うか、お医者さんです。ソ連ではお医者さんがすべてを独占してきた。だから今でもロシアの衛生局は非常に取締りが厳しい。
外で食べるものとしたら、今はとてもいいロシア料理店もできて、どこでも食べられます。でも、町を歩く人が何を食べているかと言えば、ファストフード系なんですね。コーカサス系の料理が圧倒的に多い。あとは中央アジア。例えば日本人は中華料理が好きですね。同じようにロシアへのスパイスの入口はコーカサスと中央アジア。大昔からそのスパイスがロシア人好みです。ちょっとトルコ料理に似ているところがあって、ほとんどのカフカス人が作っている、シャウルマという、縦のシャシリク。イスラムが多いので豚肉はあまり使われていないけれども、牛肉そして鶏肉、羊、味付けも様々。野菜もたっぷり入れていて、外で食べるのは最高です。
配達料理としては、「オセチアのパイ」というのが人気。メキシコのケサディーヤに似ています。ほぼピザと一緒です。中にはチーズも肉も野菜も入っていて、ロシア人好み。ロシアには一時ピザハットが入っていましたが、今は去っています。オセチアのパイの方が好みになったからなんです。
ロシア料理というと大きなチェーン店「ヨールキ・パルキ」があります。似ているといえば、日本のびっくりドンキーみたいな。オードブルの台は荷車の形をしていて、その上にはいろんなロシア人好みの前菜、サラダとか塩漬けニシンとか、それだけでも腹いっぱい食べられます。少し薄味の方が好みです。1,000円くらいで、もちろん食べ放題。
また最近、ロシアの新発明ですが、「クローシカ・カルトーシカ」、“ちびじゃが”というファストフード店です。北海道人は絶対に気に入ると思います。ホイルで炊いた衣付きのジャガイモを半分に割って、まずバターとチーズを真っ白になるくらいいっぱい入れる。あとは20種類くらいのトッピングの中からなめこやサーモンなどを載せる。北海道で塩辛と食べるみたいなもので、きっと塩辛も好まれるでしょう。わりと安いもので、私もモスクワに行ったらこれで生きています。
ソ連式の料理もある程度残っています。ちゃんと肉だったら肉の味がほしい、余計なスパイスは要らない、地味な食べ物がほしいんだ、という人もいます。だいたい名前がなくて番号がついている国営の食堂も昔はあったんです。モスクワの赤の広場の前にある大きな中央デパートは、ヨーロッパで一番家賃の高いデパートですが、入ってみたらなんとソ連時代の57番食堂が本当にあの時代通りに残っていて、なかなかおいしかった。値段もリーズナブルでした。モスクワに行くチャンスがあれば、お勧めです。
ソ連料理とはシチュー系のものがあって、サラダがあって、スープは何種類かあります。だいたい薄味。とても普通の家庭料理に近いもの。
今でも世界の中で、ロシア料理というのは家庭料理の部類に入ります。外の店も多いけど、家で食べる人も多い。私も家が近かったら家に食事に行くでしょう。