極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

2008年の出来事

 今年も一年、この「極東の窓」をご愛読いただき、ありがとうございました。この一年綴った記事を読み返してみると、今年も多くの方々に支えられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 「はこだて外国人居留地マップ:ロシア編」作成までの思いを書いて下さった、はこだて外国人居留地研究会代表の岸甫一さんは引き続き活動を続けておられます。
 函館東高校(現市立函館高校)で開いていた「ロシア語クラブ」の様子を書いて下さった俵浩治さんは実は私の担任であり、世界史を教わっていた縁から執筆をお願いし、快く引き受けていただいたものです。
 このお二人のように、函館校が開校するずっと前から、この地でロシアへの思いを持ち、活動していた方々に寄稿していただいたことは大変ありがたいことでした。
  
 “グータラ猫”の長谷川里子さんは本当にグータラで、さっぱり更新してくれませんが、彼女は今、ウラジオストクでの日本語教師の任を終え、青森の実家で次のステップを目指して猛勉強中です。力を蓄え、一層立派な日本語教師として、活躍の場を世界に求めて羽ばたいてくれることでしょう。
 “元気娘”寺越弓恵さんも先日、大学に顔を出してくれました。現在は東京の船舶会社に勤務、ロシアとの取引も行い、ウラジオストクへの出張もあるとのこと。彼女も次の目標に向けて勉強を続けているようです。
 ペリメニ作りの記事を寄せて下さった小寺光美さんは来春から、ご主人(こちらも卒業生)のお仕事の関係でサンクトペテルブルグに滞在する予定だとか。
 こうした卒業生の姿を見るにつけ、本当に頼もしく思います。ここで学ぶ在校生たちも自分の力と可能性を信じて、いずれ先輩たちに続いてほしいと願います。
 また、函館在住のロシア人も増えつつあります。函館ハリストス正教会に115年ぶりのロシア人司祭として赴任されたドミトリーエフ・ニコライ神父は、すぐに函館校の家族の一員となりました。
 以前FMいるかの番組でロシアのことを語ってくれた遠峯エレーナさんご夫妻には待望の赤ちゃんが生まれました。日本人としても、ロシア人としても通じるようにと将真(ショーマ)ちゃんと名づけられたこの男の子の成長がとても楽しみです。
 
 ところで今年は来客、それも要人が多く訪れた年でもありました。象徴的なのが2月のサフォーノフ・オレグ ロシア大統領府極東連邦管区大統領全権代表、そして11月のラブロフ・セルゲイ ロシア連邦外務大臣の来校。函館入りこそ叶わなかったものの、メドベージェフ大統領が7月の北海道洞爺湖サミットで来道するという歴史的な出来事。確実にロシアと日本が近づいていることを感じます。
 要人と言えば、2000年5月に函館校を訪れたロシア正教の最高指導者、アレクシーⅡ世総主教が12月にお亡くなりになりました。
 この時のことは、先日工藤講師が書いてくれましたが、当時の学報ミリオン・ズビョースト第24号によると、「総主教は日本滞在中の5月17日、皇居・宮殿で天皇陛下と会見されました。席上、天皇陛下が『総主教を迎えて日ロの友好関係が一層発展することを喜ばしく思います』と述べたのに対して、総主教は美智子皇后の講演『橋をかける』を読み、『人々の心に橋を懸けるという点に感銘を受けた』と話し、さらに本校でロシア語を学ぶ学生たちと触れ合ったことを紹介し、『これが日ロ両国に橋をかけることになる』と強調してくださいました。」とあります。
 会見の中で函館校を話題にされたことは、当時産経新聞1面にも掲載され、その記事は来校時の写真とともに今も大学の廊下に飾ってあります。
 このとき、学生たちはアレクシーⅡ世総主教に、「プーチン大統領に函館来訪を働きかけていただきたい」、という内容のロシア語で書いた手紙を手渡していたのです。プーチン大統領というわけには行きませんでしたが、このような形でロシアの要人の来訪が実現しました。やはり思いがどこかでつながっているのでしょう。
 来る2009年、函館校は開校15周年を迎えます。また函館港が1859年に国際貿易港として開港してから150年に当たります。日本でいち早く世界に開かれた函館、ハイカラで先取の気質に富んだ当時の函館人。逆境のときではありますが、そのことを思い出すいい機会だと思いませんか。来年もにぎやかな年になりそうです。どうぞよろしくお付き合い下さい。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子