また、明日!
ロシア極東連邦総合大学函館校 校長 デルカーチ・フョードル
今回、「新・校長からのメッセージ」として書いてほしいと言われた時、正直に言うと、大変困惑していました。一か月以上考え続けて、何も思い付きませんでした。まあ、ロシア人は「Лучший источник вдохновения – это дедлайн=最大のインスピレーションはデッドラインだ」とよく言いますから、書くことを最後の最後まで延ばすことにしました。学生の皆さんは、学校の状況を私に言われなくても分かっていると思いますので、ここでは敢えて「コクサイコウリュウ」、「カケハシ」、「ジンザイイクセイ」などの様な形式的なセリフを避けたいと思います。
まずは、自分が校長の席に座って、強い違和感を覚えました。副校長の椅子に昔から深く根を張っていたからです。仕事は、これから少し増えるでしょうが、内容的には大きく変わらないでしょうし、個室に居座ることも退屈です。実は、イリイン校長もあの部屋があまり好きではなく、できるだけ先生たちと一緒に事務室で時間を過ごす方が多かったです。イリイン校長のその気持ちを私もとてもよく理解できます。仲間が近くにいると働く気力が湧きます。そして、学生たちが近くにいると生きる気力が湧きます。私一人だけではなく、先生方全員にとって、何よりも学生たちが最大の原動力であり、エネルギー源であることは間違いないでしょう。
函館校の学生たちを相手にして働くのは楽しいことです。先生の仕事自体が面白いからだけではなく、本校の学生はそれぞれ面白い人間と知っているからです。
皆、メインストリームと言えない珍しい専攻を選び、この小さい学校へ学びに来ました。更に、悲しいニュースも山ほどあったし、両国関係も退化しているにも関わらず、頑張って学び続けています。
昔、何年も前のソ連の頃、日本や日本語を学びに行く人は一種のオタクのように見られていました。ひょっとして、ロシアを学ぶ皆さんも、一人一人、同じような目で見られたことが一度でもあったかもしれません。そうです、ある意味では我らはみんなオタクだと言えますが、私はそれが嬉しく誇りにも思っています。一人の教員として、もう30年近く、学生とのアイコンタクトを保ち、学生の関心を感じることは何よりの宝物です。
自分にとって函館校の特別さとは何でしょうか?まずそれは、教員として長年にわたり自由に学習コースを作成し、教える可能性があるということです。実は現在、ロシアの教育制度は非常に官僚主義に嵌まって柔軟性が極めて低いのです。ソ連時代にもなかった官僚主義のせいで、教員は毎日まったく無意味な紙仕事をやらなければなりません。しかし、函館校はカリキュラムがウラジオストク本学にきちんと認可されてはいますが、クラスの詳細な内容については、一々上から押し付けられません。だからこそ、函館校では、ソ連的な伝統をある程度保持しながら、実際の経験を活かして、日本人だけに向けた専用教育プログラムと、この学校にしかない伝統的教育が開校して30年、今に続いているのです。現在、ロシア国内には、このようなものがないと思います。私は、何度も転職を考えましたが、考えるたびに、いつも「今、ロシアにも日本にもこれほど面白い仕事が見つからない」と解っていました。多分、函館校の教員はこれから、いつかどこか別の学校で働くことになれば、函館校独自の教え方をいずれ放棄しなければならなくなるでしょう、それは悲しいことです。したがって、自分はこれからどこに行っても、函館で過ごした歳月より幸せな時代はもう有り得ないと言えるでしょう。たとえ、大金持ちになったとしてもね(笑)。
さて、私の「これから」の話は、ここまでにしましょう。皆さんの「これから」の方がずっと興味関心があります。これから皆さんは、一人一人それぞれの道を歩むでしょう。ロシアをさらに学び、ロシア関連の仕事をする人もいれば、そうでない人もきっといるでしょう。しかし!この世は今、転換期に入って、もとの状態には戻らないでしょう。というよりも、戻らない方が良いのではないかと思います。次の世界が来るのです。日ロ関係も元の状態には戻れないと思います。また全部ほぼ「一から」復元しなければならなくなるでしょう。自分が間違ったら、卵を投げられても仕方がないでしょうが、こちらの予想では、日ロ関係がもし治り始めるとすれば、それは2年後か20年後かのことでしょう。それは何故か、そして良いか悪いか別にして…。2年後の皆さんは、ロシアとロシア語の知識がまだ新鮮で、20年後の皆さんは、それぞれ一人前の社会人ですね。つまり、どちらにしても日ロ関係の主役になり、新しい歴史を作るチャンスになると思います。頑張ってくださいね!
イリイン・セルゲイ校長死去
2024年7月3日、イリイン・セルゲイ校長が亡くなりました。67歳でした。1997年11月に来日、就任し、以来27年間、最後まで函館校の校長であり続けました。
ここ数年は体調がすぐれず、体力の衰えも感じてはおりましたが、通訳翻訳演習やビジネスロシア語といった、主に高学年の科目を担当し、亡くなる前々日まで授業を行っておりました。
ジョークが好きでお話し好きで、授業では機微に富んだ日本語とロシア語の表現について学生に教授し、ロシア語市民講座やベリョースカクラブなど、一般向けの公開講座を担当している時には人懐こい笑顔で、極東大学の象徴として、人々から慕われていました。元気なころには、早朝、仕事前に近所の谷地頭温泉に通うことを日課とし、お風呂仲間にも愛されました。
校長として教員たちをまとめ、函館校の存続を最後の最後まで模索していた姿が忘れられません。
7月8日、9日に函館ハリストス正教会で執り行われた学校葬には遠方からも多くの卒業生や関係者が集まり、その人望を伺わせました。函館校の学生たちもその突然の別れに驚き、涙しましたが、葬儀では全員が受付や会場整理などを手伝い、校長を送りました。通常、函館ハリストス正教会では日本語の聖歌を歌いますが、この日はイリイン校長のため特別に、聖歌隊によるロシア語の聖歌が聖堂に響きました。
イコノスタス(聖障)の前に安置された棺には、イリイン校長が卒業式でまとうマントと帽子が掛けられました。一人ひとりが棺に最後のお別れをした後、家族や卒業生たちが棺を担いで霊柩車に乗せられ、函館の地で火葬されました。
葬儀終了後、遺族が催した九日祭というロシア正教の法要では、家族と教職員が一堂に会し、遺骨の前でイリイン校長を偲びました。みんなが話す、それぞれのイリイン校長の思い出、人柄は共通して「とても優しい人だった」。思い出せば、楽しいエピソードばかりです。
函館校の教員はほとんどがイリイン校長のウラジオストク本学での教え子であったため、恩師として、上司として、ともに日本に来た仲間として、その思い出も数え切れません。
現在遺骨は生まれ故郷、ウラジオストクの墓地に埋葬され、静かに眠っています。
人事
イリイン・セルゲイ校長の死去に伴い、8月20日付でデルカーチ・フョードル副校長が学園理事会による決議を経て、新校長に就任しました。デルカーチ校長は1997年3月から函館校の講師として勤め、2010年10月からは副校長として授業のほか、教務の仕事や本学との交渉も担当しています。
また、鳥飼やよい准教授が、8月16日付で退職しました。家庭の事情による退職で、鹿児島県に帰郷されました。鳥飼先生は1994年の開校とほぼ同時に英語とロシア語の教員として、また合唱サークル・コール八幡坂の主宰として学生の指導にあたったほか、函館市役所や市内官公庁の通訳としても、その才能を発揮されていました。
退職時には、イリイン・セルゲイ校長とともに、永年勤続表彰が行われました。長きにわたり、函館でのお仕事お疲れさまでした。
学生からの投稿
最後のボルシチパーティー
ロシア地域学科4年 松井 りの
現在、4年生である私にとって、学生生活最後のボルシチパーティーは、とても印象深いイベントとなりました。
ボルシチパーティーは、アグリ八幡坂で収穫した野菜を使って、毎年行われてきました。私が1年生の時に始めたと記憶しています。その当時は、コロナ禍で行動制限がある中で、渡辺理事長が、学校の外で何かできることを考えてくれた結果だと思います。教室の外で、先輩たちと会って水やりをし、クラスメイトと畑の草刈りをし、野菜を収穫したことは、良い思い出です。
しかし今年度は、就活やアルバイト等でアグリ八幡坂には参加出来なかったことが少し心残りです。
今回のパーティーの準備で、私は野菜を切る作業を担当しました。玉ねぎやにんじん、ビーツ等を何人かで机を囲んでひたすら刻んでいました。
野菜を切る作業は思った以上に大変でした。普段一人暮らしで、この量の野菜を切ることはありません。学生数が少ないとはいえ、教職員含め20人前のたくさんの種類の野菜を同じ大きさに揃えるのはなかなか骨が折れるもので、時間がかかる上に集中力も必要でした。
けれども、一緒に作業していた後輩たちと話しながら手を動かす時間は楽しく、これまであまり話す機会がなかった後輩と交流を深める良い機会になりました。何気ない会話を通じて、彼らの考え方や大学生活の楽しみ方を聞くことができ、単純かつ膨大な作業でしたが、時間を忘れて楽しむことができました。
さて、日常の料理ではなかなか馴染みのないボルシチですが、ビーツの甘みと酸味、そしてロシア人の先生が加えた独特なスパイスの風味が絶妙に調和し、とても美味しかったです。
その食事の席では、学年の壁を越え、また教職員も間に入って、和気あいあいとした時間を過ごしました。皆で好きな味付けや付け合わせについてなど、各々の食の拘りについて議論できて楽しかったです。日本ではおなじみの味付けが、ロシアではあり得ないといった興味深い文化の差を改めて知ることができました。
残り少ない学生生活の中で、こんな素敵な経験ができたことはとても幸運だったと思います。ボルシチの味と共に、このパーティーで得た思い出を胸に残りの学生生活を楽しみつつ勉学に励もうと思います。
北大シンポジウムに参加して
ロシア地域学科1年 櫻井 寛人
9月7日(土)と9月8日(日)の2日間、1・2年生が北海道大学で開催された「北海道におけるロシア語教育:歴史と現状」に参加した。
1日目の内容は北海道のロシア語教育の歴史、新しい学習法、ロシア語圏との交流ついて、各校の先生方による研究発表と実践報告が行われ、ロシア語を勉強している一人として今日に至るまでの興味深い教育現場の歴史について知る事が出来た一方で、純粋な気持ちでロシア語を学んでいる学生達の表立った活動が制限されていたり、特に北海道でのロシア語教育現場においては学生数の減少に伴ってのロシア語科の廃止や、第二外国語から除外になったりするなど悲惨な話もあった。第二外国語としての韓国語、中国語では人数が確保できているが、同様に日本の隣国の言葉であるロシア語は窮地に立たされていることを改めて痛感した時間でもあった。
この日のプログラムが終わったあと、主催者である北海道大学の先生方が極東大の参加者をジンギスカンパーティーに招いてくださった。大学敷地内にある「カフェdeごはん」というお店の野外席で、すでに9月で暦では秋に入っていたが、今年最も夏を感じた時間となった。どうもこのジンギスカンパーティーは、北海道大学の名物のようで、図らずも「北大の夏」を味わえたことが嬉しい。
2日目には各大学の学生たちがグループに分かれて高校でのロシア語教育の必要性や現在のロシア語教育に足りないものなどについて話し合い、後には先生方によるワークショップが行われた。ここでは実際に学生達が参加する形がとられ、ロシア語のミームを作ってみたり、格変化を覚えるための歌を皆で歌ってみたりするなどした。また、他校の学生達と関わる時間もできたので話を聞いてみると、どの学校も学生が少ないのだが、意欲的に勉強している人が多いと感じた。
北海道でのロシア語教育の歴史は古くからあり、昔の人はどんなに荒れた天気でも学校へ行って意欲的に勉強を続けたという。なぜなら当時の日本ではロシア語が必要なものであったからだ。
ロシア語教育の歴史の話を伺ったとき「今後必ず日本にロシア語が必要になる時代が来る」と聞いた。この言葉を信じて、自分はもっと勉強を続けたいと強く思った。
なお、11月には函館市内で8高等教育機関による研究発表会「アカデミックリンク」が控えており、自分達のグループは北海道のロシア語教育をテーマにしている。そのため、今回のシンポジウムに参加できたことは今後の大きな助けになった。この経験を活かし、先輩方やクラスメイトとともに良い研究発表ができるよう頑張りたい。
学務課お知らせ
ウラジオストク留学実習
9月28日(土)より、ロシア地域学科3年生1名、2年生1名とロシア語科2年生4名の計6名が、ウラジオストク本学に留学中です。3年生のみ3ヵ月、2年生は全員1ヵ月の滞在で、羽田空港から北京経由でウラジオストクに入りました。
ここ2年はロシアによるウクライナ侵攻の影響を受け、中央アジア・キルギスで留学実習を行っていたため、ウラジオストク本学へは2年ぶりの留学となります。今回は本学との打合せ用務も兼ねて、デルカーチ校長が1ヵ月間同行します。
現在も日本外務省からロシアへの渡航中止勧告が発出されているため、関係省庁に必要な届出を提出し、安全には十分に注意を払いますが、学生たちにとって念願のウラジオストク留学が有意義なものとなるよう、学校としても最大限にサポートします。
また今年度は参加学生全員に、留学奨学金より羽田―ウラジオストク間の往復航空券代約15万円が支給され、学生の助けになりました。帰国後にまた、その様子を伝えてもらいます。
日程:2年生 9月28日(土)~10月26日(土)
3年生 9月28日(土)~12月21日(土)
冬季休業
今年度の冬季休業は、12月20日(金)から
1月6日(月)までです。
後期授業再開日は1月7日(火)です。
事務局テレワーク期間と年末年始休業
冬季休業中の12月20日(金)~1月6日(月)の期間の平日は、事務局のテレワーク期間とし、校舎を閉鎖します。この間、図書室は利用できません。証明書発行等急ぎの場合は、info@fesu.ac.jpに、まずはメールでご連絡ください。
なお、12月30日(月)~1月3日(金)については、年末年始休業となり、メール対応もできませんのでご了承ください。
JASSO奨学金~給付型奨学生の皆さんへ~
給付型奨学金を受給している学生は、4月と10月の定められた期間内にスカラネットPSで「在籍報告」をしなくてはなりません。「在籍報告」は引き続き学校に在籍していること及び通学形態の変更の有無等を確認する大切な手続きです。在籍報告の提出がない場合は、振込みが止まり、給付奨学生の資格を失うことになりますので、注意してください。
第2回10月の在籍報告期間は下記の通りです。
10月4日(金)~10月23日(水)
8:00~25:00 ※土日祝日も可
ご寄付のお願い
ロシア極東連邦総合大学函館校へのご支援を賜りたく、広く寄付を募っております。みなさまのご協力を心よりお願いいたします。
【寄付金の使途内容】
教育研究に要する経常的経費に充当します。
【募金金額(目安)】
個人 1口当たり 5,000円
法人 1口当たり 20,000円
【税制上の優遇措置】
当学校法人は、特定公益増進法人および税額控除対象法人に該当するため、税制上の優遇措置が講じ られています。
【払込方法】
事務局にご連絡いただければ、①こちらから集金に伺います(函館市内に限ります)。②事務局へご持参いただく。③現金書留にて送金いただく。④下記銀行へお振り込みいただく。
学校ホームページより「寄付申込書」をダウンロードするか、氏名・住所・電話番号をメールやFAXにてお知らせください。後日領収書等送付させていただきます。
北海道銀行 函館支店 普通 1438560
みちのく銀行 函館営業部 普通 5133441
(名 義) 学校法人 函館国際学園
※恐れ入りますが、振込手数料は寄付者にてご負担ください。詳細については、学校ホームページもご覧ください。
<ご連絡またはお問合せ先>
ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 TEL: 0138-26-6523
お知らせ
HAKODATEアカデミックリンク2024開催
函館市内にある8つの高等教育機関(大学・短大・高専)の学生が一堂に会し、学生・教員らが持つ「体験」「発想」「探求心」から生まれる様々な研究について、ポスター展示や実演によって発表し合う合同研究発表会「アカデミックリンク」が、11月10日(日)に、函館市青年センターにて実施されます。
本校からは、ウラジオストク留学実習に参加した2年生を中心に2チームが現在、出展準備中です。詳細については、本校ホームページで再度お知らせします。
第27回はこだてロシアまつり開催
今年度の「はこだてロシアまつり」は、来年2月11日(火・祝)に実施する予定です。当日のプログラムについては、詳細が決まり次第、ホームページでお知らせします。
オトナのマトリョーシカ絵付け体験教室
中高生以上の一般市民を対象とした「オトナのマトリョーシカ絵付け体験教室」を開催します。
当日は、ロシア人教員が鉛筆で下絵を描いた白木のマトリョーシカに、自分の好きな色を塗ったり模様を付けて完成させる作業で、マトリョーシカを始め必要な道具は本校で準備します。自分だけのマトリョーシカを仕上げていただく、楽しいイベントです。
詳しくはホームページにも掲載しております。
日時:12月7日(土) 9:00~12:00
場所:ロシア極東連邦総合大学函館校 2F ロシアセンター
費用:一人3,000円(当日いただきます)
定員:10名
申込:ロシア極東連邦総合大学函館校事務局までお電話でお申し込みください。
定員になり次第、締め切ります。
電話:0138-26-6523
(月~金 9:00~17:00)
2025年オリジナルカレンダー予約受付
毎年大好評のオリジナルカレンダー、2025年版を12月上旬に発売予定です。今年のウラジオストク留学実習で撮影した写真を中心に作成する予定です。最新のロシアの街並みや美しい自然をお楽しみいただけるほか、月や曜日、祝日はロシア語でも標記していますので、ロシア語学習にも役立ちます。
カレンダーは、本校事務局で1部500円で販売し、収益は学生自治会活動の補助に使わせていただきます。郵送ご希望の場合は1部610円(送料込み)で、郵便切手でのお支払いとなります。住所・氏名・電話番号を明記の上、610円分の切手を事務局宛てにお送りください。切手はなるべく10円切手1枚と100円切手×6枚でお願いします。複数部ご希望の場合は送料が変わりますので、その旨お問合せください。
短信
記念コンサート”「極東の窓」から”を開催しました
6月28日(金)、函館校開校30周年ならびに函館日ロ親善協会設立35周年を記念したクラシックコンサート“『極東の窓』からVol.5”を開催しました。会場の函館市公民館には約200名もの関係者や市民の皆様にご来場いただき、盛会裏に終了いたしました。
函館市在住のピアニスト・高実希子さんとスウェーデンのイェーテボリオペラ管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者・田代裕貴さんによる息の合った素晴らしい演奏に会場中が酔いしれました。
5年前にもお二人に“オールロシアプログラム”での演奏をしていただきましたが、今回はチャイコフスキーの「懐かしい土地の思い出 作品42」とベートーヴェン「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第9番 イ長調 作品47 ≪クロイツェル≫ 」の2曲をご披露いただきました。
ベートーヴェンのこの曲を聴いて、ロシアの文豪トルストイが『クロイツェル・ソナタ』という小説を生み出したという逸話があります。その鮮烈なソナタは30分を超える大作で、演奏者にとってもとても難しい挑戦だったそうですが、期待にたがわぬ熱演で、曲が終わると会場は拍手喝采に包まれました。
グランドフィナーレでは、函館校の合唱サークル・コール八幡坂が高さん、田代さんとともに、函館市民に親しまれている「はこだて賛歌」を、作詞・作曲のご遺族の了承をいただきロシア語訳したものを1~3番まで歌った後に、日本語でご来場のみなさまと1番を唱和しました。さらにアンコールでは、ロシア民謡「カチューシャ」を合唱してお開きとなりました。
今回のコンサートでは、学生と教職員がおそろいのTシャツを着て受付や会場整理などを行い、運営にも関わりました。最後に全員でステージに上がり、両手で30周年を表す“3ピース”で記念撮影しました。
5年前を1回目として、この“「極東の窓」から”シリーズを、実はコロナ禍でも、校内で学生や関係者に限定して続けていたため、今回が5回目となりました。来年も、良質な音楽を聴く機会として、大きなホールでなくとも校内で続けられたらいいなあ、と考えています。
函館港まつり・いか踊りに参加
8月1日~5日の日程で開催された、開港165周年記念・函館港まつりの期間中に行われた「ワッショイはこだて 千代台・五稜郭コース」に昨年に引き続き、菅原組グループにお誘いいただいて、グループの一員として学生と教職員の有志学生と教職員の有志が参加しました。
菅原組さんは、ロシア極東大留学生支援実行委員会のメンバーで、過去にホストファミリーを引き受けていただいたご縁もある会社です。
この日、菅原組グループでは約480人が集まり、お揃いのブルーのお祭りTシャツを着て、汗だくになりながら踊りました。3日前に事前練習した甲斐がありました。パレードが前進していくと、沿道にもたくさんの見物客がいるのが分かり、初めて参加した学生は「こんなに人が!!」と驚きつつも楽しんでいました。
菅原組の皆さん、貴重な機会にお声がけくださって、ありがとうございました。
カルチャーナイト実施しました
普段は外観でしか見ることができない教育・文化・民間施設が夜間開放されるイベント「はこだてカルチャーナイト2024」が9月20日(金)の夜に開催されました。今年は30の施設で約40の機関や企業・団体が出展しました。本校は、過去最高の221名が来校しました。
本校では主に二つのコーナーをつくりました。一つは、ロシア語の五十音対応表を見ながら自分の名前をキリル文字で書いて缶バッジを作るものです。自分で下書きをした後、ロシア人教員が点検し、丸い缶バッジ用の紙にロシア語で名前を書く他、今日の日付を書いたり、飾り付けをしたものを機械で一つずつ缶バッジにします。お子様だけでなく、ご年配の方も触れることのないキリル文字を真剣に書き、記念になったと喜んでいただけました。
もう一つのロシアの民族衣装を着るコーナーでは、お子さんのほか家族みんなで写真に写っていました。華やかなロシア民族衣装を纏っての記念撮影は、きっとよい思い出になったことでしょう。
多くの方のご来場、ありがとうございました。
函館日ロ親善協会からのお知らせ
〇6月28日(金)
協会設立35周年を記念し、極東大学函館校の開校30周年と併せてコンサート“「極東の窓」から”を共催しました。ご来場誠にありがとうございました。
係りより
2年ぶりに学生がウラジオストク本学に留学実習へ出発しました。視野を広げ、現地でしか得られない体験をしてきてほしいと思います。次号では、その留学実習報告を掲載する予定です。お楽しみに!(福尾)