「ミーハー」って何?
ロシア極東連邦総合大学函館校 准教授 イリイン・ロマン
外国語を学ぶ若い人は何よりもまず流行りの若者言葉を覚えたい。私も25年前、初めて日本に来た時に、日本人学生にスラングを教わった。その中では、「チョベリバ」と「チョベリグ」という言葉も覚えた。当時、流行語だったが、2年後また日本に来た時、「チョベリバ」と「チョベリグ」を使うと恥ずかしいと言われた。2000年以降、死語になったらしい。近頃のインターネット世界ではネットスラングの寿命はさらに短くなった気がする。昨年の秋、事務局の福尾さんに訊かれた。「ぴえん超えてぱおんの意味が分かる?」「さっぱり分からない」と私は答えた。家に戻って、高校生の娘に訊いたら、「わかる、わかる。とても悲しいことという意味だ。ただ、少し前に流行っていたが、もう古い」。私は首をかしげた。言葉は生き物のように生きていて、時代と共に変わるのだが、半年で古くなるとは!
若者言葉は早死にする傾向がある一方で、長生きするフレーズもある。私の娘が中学生になった頃から彼女とのロシア語の会話で「イケメン」がたびたび出てくる。ずっと前からよく聞こえてきた日本語の「イケメン」だ。いまどきの中高年の日本人もよく使っている言葉であるが、調べてみると、日本では2000年前後広く使われるようになった言葉だそう。若者言葉として一瞬で流行して、「イケメン」は2021年の今もよく使われるものである。では、なぜ私の子ども同士がロシア語で会話しているのにわざわざ日本語の「イケメン」を使うのであろうか。「イケメン」は「イケてるメンズ」という言葉の略語らしいが、「イケメン」に一番近いロシア語はкрасавчик(美男子)になる。私的には結構意味の近い言葉であると思うが、やはり子どもたちは「イケメン」はロシア語のどの言葉にも匹敵しないような特別な意味をもっているのだろう。
では、ロシア語のスラングはどうだろうか。英語の単語を短くし、末尾に「る」が付いた、動詞化したパターンが多い日本語だが、(ネグる、ミスる、メモるなど)、ロシア語の場合、語末に-ть を付ける。でも、今までロシア語にはこのような単語が非常に少なかった。だが、最近、増えている。例えば、хейтить(ヘイチチ)は英語の“to hate”から発達した言葉で、「ネット上で差別的な言葉を使う」、また、чилить(チーリチ)は英語の“chill out”から生まれ、「くつろぐ、のんびりする」という意味だ。шеймить(シェーイミチ)は英語の“shame”から出来て、意味は想像できるとおり、「辱める」。人の真似する奴については байтить(バイチチ)になった。英語のスラングで to bite one’s style 「真似る」から発達した。
ロシア語に入ってきた日本語の単語のうち、「くん」と「ちゃん」が目立つ。やはり、発達した源は日本のアニメや漫画が好きなロシア人からである。だが、今は日本のアニメや漫画に興味がない人でも使う言葉だ。日本では必ず名前などの後に付けることが一般的であるが、ロシアの若者はそのまま使うのだ。最初のうち、「彼氏」と「彼女」という意味になったが、現在のスラングではもっと広い意味で「男の子」と「女の子」になった。当然、男の子には「くん」を、女の子には「ちゃん」。
数年前から сорян (ソリャン)という単語はネットの書き込みだけではなく、普通の会話でも広く使われるようになった。英語の“sorry”からロシア語に入ってきて、軽い程度の謝罪を表す言葉だ。本当に謝らなければ場面ではロシア語の標準語извини(те)だが、сорянは日本語の「わりぃ」に相当するだろう。若い世代では当たり前になってしまったネットスラングだが、高年代には意味がさっぱり分からない人が多いと思う。ロシアの年配の人に「сорян とは何ですか」と訊いてみたら、「アルメニア人の苗字だろう」という答えが出ると思う。だが、若者言葉に拒否的な大人が多いとは言えない。むしろ新しい言葉の意味を知りたがる人が少なくないと思う。しかし、大人は会話で若者言葉を使うと(特にネットスラング)、若者が違和感を感じるだろう。
終わりに、私は学生のころに本か、テレビかで日本語の「ミーハー」という言葉に出会った。ロシア人にとって覚えやすい単語なので、すぐ覚えた。今回、若者言葉の話をここに書くので、「ミーハー」とはどういう意味かうちの子供に訊いた。「知らない。もしかして、ロシア人男性のミハイルの愛称?」と子どもは私を笑わせた。
人事
1997年から24年間にわたり、函館校で教鞭を取られたパドスーシヌィ・ワレリー教授が3月31日で退職されました。英語とロシア語を担当し、いつも穏やかな微笑みと素敵な声で、インテリジェンスあふれる授業は人気がありました。
パドスーシヌィ教授の後任として、お二人の非常勤講師が加わります。英語はウィリアムズ・マイケル先生、ロシア語はイリイナ・ソフィア先生が担当します。
また、空席だった学務課長には教務・学生係の福尾瞳さんが昇格します。
パドスーシヌィ先生、長い間お疲れさまでした。そして新しいみなさま、これからよろしくお願いします。
24年間ありがとうございました。
教授 パドスーシヌィ・ワレリー
すべて始まりがあれば終わりがあります。
24年前、短期間の予定で私はこの学校に赴任してきました。ここでの生活が自分の人生において胸躍るひと時となることを思い描いて。
私にとって、それはまぎれもなく胸躍る旅の始まりとなりました。けれど予想に反して、決して短い期間ではありませんでした。 しかしながら、すべての旅と同じく、この旅ももうすぐ終わろうとしています。感謝の気持ちを込めて、ここで過ごした年月を振り返っています。
私の記憶の中には、今も多くの素晴らしい若者たちの姿があります。教壇に立つ私の授業に聴き入る学生たちの姿をいつまでも忘れることはないでしょう。自分の仕事は教えることそのものにあるのではなく、他の人が学ぶのを助けることにある、と私は常々考えていました。でもそれは、私から学生への一方通行ではなく双方向にあり、学生たちからもいつも価値ある新しいことを学んだのでした。 そんな学生の皆さんに心から感謝しています。
親愛なる同僚の先生方やスタッフの皆さんには、友情と連帯に心からお礼申し上げます。 みんなで楽しく笑いあい、喜びを分かちあい、そしてぶつかり合ったことさえも忘れないでしょう。 皆さんからの思いやりや温かい言葉にお礼申し上げるとともに、共に過ごせたことをたいへん嬉しく思います。
そして最後にもうひとつ。
私たちは皆それぞれオンリーワン。 私たち一人一人が唯一無二なのです。 他人との比較ではなく、より良いかそうでないかは自分自身の問題だと思うのです。
より良い自分を見つけるための胸躍る旅の途中に私はいます。その旅の仲間として私の人生の大切な節目に皆さんが一緒にいてくださったことに心から感謝します。
ここで過ごした日々は心深く刻まれています。
24年間ありがとうございました。
卒業生からの寄稿
ロシア漬けの4年間を振り返って
ロシア地域学科 相川 将太
振り返ってみると、正直4年間の大学生活は本当に長くもあり、短くもある、そんな時間でした。入学したばかりの頃は、全くロシアに関する知識がなく、正直やっていけるだろうかと不安がありました。またロシア語は本当に複雑な言語で戸惑いましたが、函館校の先生方に熱心に指導していただいたおかげで理解するのが楽しくなり、文法、語彙、会話、聴解力が向上することができたのは大きな成果です。3年次のウラジオストク留学期間中に、国家試験であるロシア語能力検定試験に合格できた時は本当にこの大学に入学してよかったと実感しました。
函館校の最大の思い出といえば、先述のウラジオストク本学への留学を思い出します。授業では世界各国から集う留学生と共にロシア語を学び、ロシア語で交流を深めたことが思い出です。授業はほぼ毎日宿題があり、小テストもたまにありました。学習内容においては函館校でついていけていれば、問題無いレベルでしたが、現地で過ごした三か月は自分のロシア語力を高めることができました。初めての寮生活や現地到着直後の諸手続き、不慣れな文化・習慣に不安もありましたが、ロシア語で意思疎通を図り、自分で問題を解決できた時はロシア語をしっかりと学習してきたんだと強く実感することができました。
またJT海外インターンシップに参加し、モスクワ・サンクトペテルブルクの二都市を訪問した時はロシアという国の広さを実感しました。特に印象残っていることは、函館校に入って一年生の頃から教科書でモスクワの地下鉄の駅の名前や、通りの名前を学習してきていたため、実際にその場所を目にし、その場所に立てたことで嬉しい気持ちになったことです。美術館や博物館、地下鉄、街並みどれを見てもロシアは芸術を感じる点があって、美術に関心がない私でも、ロシアには魅力を感じざるを得なかったほど記憶が鮮明に残っています。
ロシア語を4年間学習して、4年生はたったの4人で卒業することになりましたが、この4人だからこそ本当に密度の濃い授業ができたと思っています。同学年の皆は行動力、発言力、知識もありました、だからこそ先生方も沢山のことを教えてくださろうと力を尽くしてくれたと思っています。その分、授業や課題が大変すぎることもありましたが、今となってはそれですら良い思い出かなと思っています。ロシア語の学習は正直厳しく、何度も投げ出したくなりました。でも4年間やりとげ、この大学を卒業できることは誇りです。春からは新社会人として胸を張って頑張りたいと思います。今までありがとうございました。楽しかったです、До свидания!
「自由」を学んだ4年間
ロシア地域学科 平原 響
私は高校3年間で「忍耐」を学び、大学の4年間では「自由」を学んだと言って良い。大学では本当に多くのことに挑戦した。授業でロシア語の学習に励むかたわらで、ある時は歌を歌い、学生記者として函館市内を駆け回り、役者になり月一で演劇に出演し、落語家になってロシアで公演を開いたり、またある時は釣り人になって…あげればキリがない。こうした活動にはただ闇雲に首を突っ込んでいたわけではなく、全て自分の考えを持って参加していた。だから必ずそれぞれの活動で得るものがあり、失敗することもあったけれど、その度に反省をして次に活かす力がついた。
また、4年間でたくさんの場所を訪れ、見聞を広めることもできた。4度のロシア訪問、マレー半島の縦断、クルマと電車を使って北海道を2周、そして極め付けはクルマで三重の実家から下道だけで函館に戻る、という苦行としか思えないような旅もした。自分で計画を立てて行動し、時には時間を気にせずあてのない移動もした。「日本とロシア」だけにとらわれがちなこの大学でも、何にも縛られることのない広い視野で物事を見る力を養うことができたのは自身の大きな成長点である。
こう見ると、楽しく愉快な事ばかりであるように見えるが、壁にぶつかり迷うこともあった。毎年の論文作成、進路決定までの道のりなど、大変だと感じた時期も多くあった。特に4年間学んだロシア語は難しく、習得出来たとは言えそうもない。授業が早すぎてついて行けずに泣き出したり、会話の内容が理解できずに授業の途中で匙を投げ、先生を困らせたこともあった。だがつい最近になって、授業で分からないことがあると「悔しい」と再び思えるようになった。今も悔しい気持ちを持てているということは、まだまだこれからも向上の余地があるかもしれない。ロシア語はこれからも続けていくつもりである。
ここまで長々と書いてきたが、私が学んだ「自由」は何かというと、悩んだり迷ったり、時に苦しい出来事に取り組み続けて、その束の間にする遊びや旅を通じて感じられるのが最大で最高の「自由」であるということだ。だからこそ私は、この先も悩み、迷い、時に苦しく感じる出来事に取り組み続ける。
最後になるが、実家から離れた函館で学生生活を送ることを許してくれた両親、そして大学の友人たちと函館で繋がることのできた全ての方々、先生方や事務の方々に感謝し、大学生活を終えることとする。
4年間を振り返って
ロシア地域学科 竹内 のぞみ
かつて、日々ロシア語学習に追われる自分を「滑車をひたすら回しつづけるハムスター」と比喩した学生がいた。私の4年間の大学生活の例えとして、彼の言葉を拝借したい。
4年前の春、函館校の学習カリキュラムの過酷さを露程も知らずに私は函館校という滑車に乗り込んだ。次から次へと繰り出される課題の提出期限に追われ、ロシア語を消化・吸収する毎日が始まった。入学以前は一人で気ままに勉強し、のらりくらりとした生活を送っていた私にとって、函館での生活は様々な犠牲・自制を要するものであった。しかし辛くはなかった。
函館に来るまで羞恥心などから極力人との関わりを避けていた私は函館で、先生がいて、クラスメイトがいることのありがたさを身に染みて感じた。学校では、自室にこもって一人で教科書と対峙していたのでは得ることのできない情報を手に入れることができる。私にとっては、先生がふと口にするロシア語の一言さえも得難い貴重な情報だった。それらをメモして帰宅後に自分でも唱えてみると、そのロシア語のフレーズが自分の口の中でも同じように響き、どこかくすぐったいような気持ちになった。先生の声を何度も耳の中で反芻し、同じように発音できるようになるまで繰り返し練習した。このようにしてロシア語が少しずつ自分の中に積もっていくのは純粋に嬉しく、ロシア語のためならいくらでも時間をかけたいと思えた。
この4年間、エカテリンブルグ国際青年キャンプ、サンクトペテルブルク・モスクワへのJTインターンシップ、プーシキン大学とウラジオストク本学への留学実習、北方四島交流など書ききれないほど沢山の機会に恵まれたが、それらと同じくらい函館校で受けた毎日の授業が私の生活に彩りを与えてくれていた。
人間関係にも恵まれた。こうありたいと憧れに思える豪放磊落な先生、頼りになる先輩後輩、共に頑張りたいと思えるクラスメイトがいた。毎日の課題と授業の予習復習に加えて様々な行事に忙殺され、滑車の中を走る体力が尽き、慣性の法則と遠心力だけで勢いを失いながら虚しく回る滑車にただ身を委ねることしかできない時もあったが、それでも滑車が完全に止まってしまう前に新たに走り出すことができたのは、そういう人たちがいたおかげである。
走り続けられたとは言え、滑車の位置は変わらない。それにもかかわらず滑車を走る私の目に映る景色が4年前とは違って見えるのは、ロシアの言語や文化の学習を通じて様々な物の見方を学んだからだろう。
「Век живи, век учись!(生涯勉強)」と言うように、函館校を卒業し社会人になっても、私たちは色々なことを学び続けなければいけない。しかし教えてくれる人がいて、共に学ぶ仲間がいて、時間の制約なく勉強に打ち込める日々は、もうこないかもしれない。ひょっとすると人生で最後だったかもしれないその日々を、函館校で過ごすことができて本当によかった。
4年間様々な面から支えてくれた両親、多方面にわたる知識で絶えず私たちにときめきを与え続けてくださった先生方、何かと気が滅入りがちな私たちに常に気をかけてくださった事務の先生方、そして自由奔放な私を受け入れつづけてくれた友人たちに改めて礼を言いたい。
卒業にあたって
ロシア地域学科 和田 将英
ロシア極東連邦総合大学函館校での4年間は僕にとって驚きと新鮮さの連続でした。記憶を振り返ると、まだこの大学に入学したてで、ロシア語の「ロ」の字も理解していなかった1年生時、当時は覚えるのに苦労したキリル文字をタチヤーナ先生に1文字ずつ丁寧に教えていただいた授業風景が蘇ります。英語のアルファベットを反転させたかのような文字や英語と同じ形なのに読み方が違う文字などに僕や同じ1年生の仲間たちは苦労していました。ロシア語の中に「Р(エル)」という文字があります。形は英語のPに似ていますが、実際は英語でいうRにあたる文字です。このような文字がロシア語にはいくつかあり、よく読み方によく混乱していました。それが4年間どっぷりロシア語に浸かった結果、今では逆に英語のPを見たときに逆に「Р(エル)」と発音してしまいそうになります。それぐらい僕の中でロシア語の占める割合は大きくなりました。
2年生時にはロシア語が世界最高難易度たる所以である格変化の学習が本格的に始まり、何度も心が折れそうになりました。それでも挫けず学習を続けてきたから今のこの時があるのだと思います。3年生時のウラジオストク留学時には現地の「生きたロシア語」に触れることができ、さらに高度な言語体験をすることができました。
ロシア語以外でも、この4年間で僕はたくさんのロシア人の方々と知り合ったり友人となったりすることができました。極東大の先生方をはじめ、色丹島やモスクワ、ウラジオストクで出会ったロシア人の方々はとてもユニークで、僕たち日本人とは大きく違う価値観やメンタルを持っていて、街中ですれ違う一般の方ですら僕の人生観に影響を与えてくれました。彼らとの関りは全く飽きることのない新鮮な時間でした。
この学校で過ごした4年間は今後の人生の中でも色あせることのない経験となるでしょう。その時間で身に刻んだロシア語、ロシア人との交流、ロシアという国の空気を今後の人生で活かしていきたいです。最後に、ロシア人の先生方に4年間呼んで頂いた「Юрий(ユーリー)」というロシア名はこれからも大事にしていこうかと思います。
2年間の学生生活を終えて
ロシア語科 川村 美保子
私はロシア文学が好きで、社会人から転身して学生となりました。入学当初の目標は「もっとロシアのことを好きになりたい」、「ロシア人が言うプーシキンの詩の美しさを理解したい」の二つだったのですが、概ね達成できたのではないかと思います。
授業を通じて様々なロシアの文化を学びました。絵画や歌、スラブ神話や歴史、文学、風習、衣食住、映画など、私にとっては堪らないほど楽しい時間でした。その中で、入学以前に点として知っていた知識が線として繋がることが何回もあり心が震えました。特にトルストイの『イワンの馬鹿』のエピソードが印象に残っています。19世紀末にはまだ実用化していなかったはずの戦闘機(飛行機)самолётという言葉がなぜ存在し、トルストイが書くことができたのか。ずっと疑問だったのですが、それはсамолёт という単語が“自ら飛ぶ”という語幹で成り立つ言葉であること、また「空飛ぶ絨毯」という言葉がロシア語ではковёр-самолёт であり、飛行する物体の概念が昔から存在していたから、ということを知り納得しました。その他にも、この学校へと飛び込んでみなければ学べない事がたくさんありました。おそらく日本国内で1番私の知りたい知識が学べる場所であり、充実した日々の2年間となりました。
ロシア語の文法は難しく、まだ私には初級程度の知識しかありません。しかし簡単な日常会話なら話せるようになれました。独学では絶対に無理でした。ネイティブの先生から毎日ロシア語を聞き、会話する機会が授業内外で用意されていたおかげです。またクラスメイトにはいつも助けられました。ウラジオストクの留学ができなかったことだけが心残りですが、いずれ必ずロシアへ行きたいと思います。そしてこれからもっとロシア文学を読み、この2年で学んだことからもさらに知識の線を伸ばして自分の人生を豊かにしていきたいと思います。
ロシア語のある世界
ロシア語科 小栗 大和
人一人がその一生で担える専門分野には限りがあります。生業にするともなれば、ただ一つの道を究め正しく職人となる選択を、世間は理想的な姿と捉える節があります。青少年は進路選択を迫られると期待に応えるべく分かりやすい理想の職業を示すや否や、それを選ぶ正当性をなけなしの人生経験から裏付けたがりがちです。私は例にもれずそうした、というよりはそうしたかった人間でした。そしてその兼ての夢は、ロシア語を究めて翻訳家などを営む道ではなく、コンピューターグラフィックスの道でした。ロシア語を学ぶべくこの学校へ入ったのは、それまでの経緯とは関係が無さ過ぎて傍から見れば多少では済まない暴挙だったでしょう。事実私がロシア語を学び始める道理は、一芸術作品に感化されただけという些細なものでした。特に語学に優れた才能があった訳ではありません。それでも踏み切ったのは、人生に変化を求めてのことです。自分が歩んで然るべき道ばかりを歩み、一つの道を究めんとすることを言い訳に世界への視野を狭める自分自身に私は辟易していたのでした。つまらない人間になりたくなかったのです。自分にふさわしくないけれど純粋な好奇心がもてる、そんな物事を学ぶことでむしろ私が歩んで然るべき道を自分自身で分からなくして枷を外してやる、教養をつけ人生を潤す下手の横好き活動の始まりがこの2年でした。
結果はどうでしょう。無事にどころかそれ以上に満足のいく形で一つの節目を迎えました。無論精一杯私なりに意欲を保ち続けられたのは、支え満たし続けてくれた学校の稀有な環境ありきのことです。それを鑑みても人の原動力は不思議なもので、思い返すとこれ以上ない程に自然体で過ごした日々でした。
元よりこれといった明確な職業に役立てるために学び始めた訳ではない私はロシア語と共にする今後の展望に計画性が無いのが実情で、業や術として実益をもたらそうと逸るのはいささか時期尚早な身です。しかしそういったままで愛する母校から旅立つのは何も途方に暮れる為ではなく、歩むべき道を歩まずかつての様に再びまた一つ己の枷を外し新しい世界に踏み入る為です。私がどこへ挑もうと二度と一人になることはないのでしょう。ロシア語が、私の人生を縛るものではなく、共に寄り添うものとして傍に、温かい記憶と共にあります。真に自由な学びを私に教えてくれたその存在は、これからも私に自由な世界を見せてくれると信じています。
学生・科目等履修生からの寄稿
卒業後1年を経て
科目等履修生 阿部 眞澄
私は定年退職後の2018年に来函し当校ロシア語科に入学、昨年卒業しました。その際しばらくこの地に留まろうと決めました。当校には卒業後も利用できるプログラムや公開講座等が用意されており、慣れた環境下でもう少し勉強を続けたいと思ったからです。
2020年度は科目等履修生となり、2年生の科目を再履修しました。同じテキストを異なる先生から教えて頂くという貴重な体験は新鮮でしたし、理解が深まったように思います。
夜間の市民講座も受講、こちらは上級コースで私には少し背伸び感がありました。でも和やかな雰囲気の中、拙いながらロシア語での会話練習もできて、楽しく学べました。
時には学校行事にも参加させて頂き、再度学生時代の緊張感を味わうことができました。
ベリョースカクラブでは、先生方による様々なテーマの講演を興味深く拝聴しました。
コロナ禍という想定外の事態の最中、恐らく東京の諸教育機関より早い段階で対面授業に戻して頂けたことも有難く、函館に残っていて良かったと思えた点のひとつです。
ロシアと縁が深い函館にはロシア語がしっくり馴染むように感じます。その上、ロシアの雰囲気が色濃く漂う当校でロシア語を学ぶことが特別な意味を有するようにも思え、とても充実し幸せな1年でした。
しかし大半の荷物を東京に置いたままの生活が次第に不便になり、開催不透明ながらオリンピックボランティアの活動予定もあって、今回ひとまず引揚げることにしました。
私のロシア語能力は未だ初歩レベルです。人生での残された時間を鑑み、生活および学習拠点、自分に適したロシア語学習の進め方、これからの時代に於ける外国語習得の意義等々じっくり考えたいと思っています。
とやかく言う前に単語を覚えろ、と何処かから叱責する声も聞こえて来そうですが。
はこだてロシアまつり
ロシア地域学科1年 鈴木 貴大
今年度のはこだてロシアまつりはコロナ禍の中、開催されました。私はその中でマースレニッツァの寸劇に参加しました。そもそもマースレニツァとは冬の神であるモレーナという巨大な藁人形を燃やし、春を祝うロシアの伝統的なお祭りです。一年生は全員劇に参加することが決まっていたので、私はモレーナの手下(小鬼)の役を演じました。
本番の一週間前から藁を編み始め、大きなモレーナの藁人形を完成させました。この作業は藁をひもで結ぶ時に強い力が必要なので、デルカーチ先生の提案で手にガムテープをまいて作業するなど工夫して行いました。モレーナが完成したあとは寸劇の練習です。手下達の立ち位置やセリフをみんなで決めたり、会場に響き渡るような大きな声を出せるように放課後に何日も練習をしました。また、誰がどのお面を被って手下を演じるのかを決めました。このお面は過去にこの寸劇を行ってきた先輩たちが作ったものです。お面の中には鼻水をたらしたものや「凍るくん」など冬を象徴したお面のほか、熊などの動物のお面があります。誰がどのお面をかぶるのか話し合い、役についてクラスメートと考えました。また練習の合間、先生やクラスメート達と雪合戦をして、まるで演じる冬の小鬼のように春を迎える前に冬を楽しみました。
さて、ついに本番を迎えました。今年度はコロナ禍でイベントなどがほとんどなかったために、たとえお面を被っていたとしても、大勢の前に出ることに私はとても緊張していました。岡島くんやデルカーチ先生の「やるぞ!」という前向きな姿勢を見て、私も頑張ろうと身が引き締まる思いでした。寸劇が始まり、モレーナからの指示で冬の宣言を岡島くんが大きな威厳ある声で読み上げ、それに続く形で私たち手下三人が会場を盛り上げました。緊張していたはずですが、いつもより声が出ているように感じました。練習を超える完成度だったと思います。会場に足を運んでくれたお客さんとともに私自身も寸劇を楽しみました。
来年はコロナ禍が収束し、今年度できなかった寸劇以外のキオスクでの雑貨販売やカフェでボルシチなどの提供をやってみたいです。
学務課お知らせ
校舎の利用時間
本校の校舎利用時間は平日8:30~17:00です。原則として平日以外は休校のため校舎内立ち入りはできません。利用時間外に校舎を利用したいときは、あらかじめ事務局に申し出てください。
校内掲示板(学生連絡)について
ほぼ毎日、学生への連絡事項を校内掲示板に貼りだします。掲示板は、学生係、教務係、進路・就職、図書室、自治会・サークル活動、事務局の6種類ありますのでそれぞれ確認してください。掲示物を見落としたことにより生じる不都合・不利益について、学校は責任を負いかねます。
出席率について
期末試験を受けるには各授業原則80%以上の出席率が必要であり、出席率が低い学生には受験資格が与えられません。
留年を防止するため、特に出席率が低い学生の保護者の方には文書で通知しています。
欠席について(7日未満の欠席)
やむをえず授業を欠席するときは事務局で所定の用紙をもらい、必要事項を記入して、欠席する授業を担当する教員に届け出てください。欠席する日があらかじめわかっていれば前日までに、当日急に欠席した場合は、翌登校日に届け出てください。
欠席した場合、放課後の補習時間を利用するなどして早期に授業の遅れを取り戻すことが必要です。欠席が多くなるとそれだけ回復困難になり、授業についていけなくなりますので、普段から体調や生活リズムを整えて、安易に欠席することのないようにしてください。
なお、7日以上の長期欠席、公欠は、事務局学務課へ届け出てください。
補習について
水曜日を除く平日の放課後は毎日ロシアセンターで補習を行います。補習担当教員の当番表は教務係掲示板に掲示しています。
成績通知について
本校では保証人との連携により、学生へのより適切な修学指導を行うことを目的として、学生の成績を保証人(学生の親権者等)の方々へ通知しています。
通知は、毎年4月頃に行う予定です。特段の理由により、保護者への成績通知を希望しない場合は事務局へ申し出てください。
また、学生の皆さんには学業成績簿とは別に成績通知を配付します。前期の成績は、後期授業開始時の9月に配付します。また、後期の成績は翌年度の4月に配付を予定しています。
2~4年生は前年度の成績について事務局で配付しますので、下記期間内に受け取りにきてください。
4月9日(金)~4月16日(金)
なお、期間を過ぎましたら個人情報に関わるので廃棄します。再発行はしません。
パスポートの取得について
コロナ禍において、留学実習等のロシアへの渡航が難しい中ではありますが、機会を逃さないためにも、まだパスポートを取得していない学生は、早めの申請・取得をしましょう。また現在パスポートを所持している場合でも、有効期限がロシア出国期限から6ヵ月以上残っていること、および見開きで2ページ以上の余白が必要です。自身でよく確認の上、早めに更新手続きを行うか、心配な学生は事務局に相談してください。
JALウラジオストク支店 特別授業のお知らせ
成田-ウラジオ直行便が就航している日本航空(JAL)のウラジオストク支店とオンラインで結び、特別授業を開催します。JALと極東大学は2021年3月に産学連携協定を締結しました。今回の授業は、日ロの航空事情やロシアで働くスタッフの経験談、ウラジオストクの様子など、もりだくさんな内容です。ぜひ出席してください。
テーマ:ロシアで働く~JALウラジオストク支
店の活動とその背景~」(仮)
講 師:日本航空ウラジオストク支店のみなさま
日 時:5月17日(月)14:40~16:10
場 所:3F 講堂
対 象:全学年
論文ガイダンス・学年レポート
3年生(学年論文)と4年生(卒業論文)を対象とする「論文作成」の授業は、前期から開始となります。シラバスに基づき、資料の探し方や論文の書き方の指導、論文発表(プレゼンテーション)の練習、論文作成(執筆)などを行います。
1、2年生(ロシア語科・ロシア地域学科)を対象とする学年レポートについては、後期から「論文作成」の授業が始まります。ただし、前期においてもテーマの決定など、論文ガイダンスを行います。開催日時は、別途掲示にてお知らせします。
図書室より
図書は大切な財産です。マナーを守って使用してください。図書室を利用できるのは、本校教職員および学生、聴講生のほか、本校教職員の紹介がある方です。
開館時間は平日の午前9時から午後4時30分、貸出は同時に5冊が上限です。
一般図書の貸出日数は15日間です。日数、手続きは書物により異なります。貸出・返却は必ず事務局職員を通じて手続きをとってください。貸出が長期に渡る場合は所定の手続きが必要です。
JASSO奨学金
本校入学以前に日本学生支援機構奨学金を貸与されていた新入生および前年度で貸与を終了した2~4年生は奨学金返還期限の猶予を申請できます。希望者は4月15日(木)までにインターネットのスカラネットパーソナルから在学届を提出してください。在学届の提出方法は貸与終了時に交付された「返還のてびき」に記載しています。分からない場合は事務局学務課へ来てください。
進学届の提出について(採用候補者)
大学等奨学生採用候補者は決定通知【進学先提出用】を4月8日(木)までに事務局へ提出してください。入学時特別増額貸与奨学金に係る書類提出の指定があれば一緒に提出してください。書類に不備がなければ学校の識別番号(ユーザIDとパスワード)を交付しますので進学届を4月15日(木)までにインターネットで提出してください。
初回振込日は5月14日(金)の予定です。
在学採用募集説明会(給付・貸与希望者)
4月12日(月)14:40から7番教室で奨学金申込の説明と申請書類を配付します。希望する学生は必ず出席してください。この日どうしても出席できない場合は、事前に事務局に申し出てください。
なお、募集する奨学金は給付奨学金と貸与奨学金の2種類があります。給付奨学金は令和2年度から始まった新たな制度で、世帯の所得に基づく区分に応じて、学校の設置者(国公立・私立)及び通学形態(自宅通学・自宅外通学)などにより定まる月額が毎月振り込まれます。貸与奨学金は、学生本人が借りる制度(貸与型)です。卒業後は必ず返還をしなくてはなりません。未成年の学生は必ず保証人の方と相談してから、申し込みをしてください。
就職支援について
就職支援体制について
本間秀行キャリア相談員による個別相談を予約制で実施しています。全学年を対象として、就職全般の悩みやエントリーシートの書き方、面接指導を行います。相談を希望する学生は事務局に申し込んで、気軽に利用してください。
また7月頃には本間相談員を講師とした「就職ガイダンス」を予定しています。放課後に行いますので、学年を問わず、就職希望者は全員参加してください。
その他、年度内にはジョブカフェ主催のイベントも計画しているほか、企業説明会の案内や求人票はキャリアサポートセンター前の掲示板に随時貼りだしますので、定期的に確認してください。
JT奨学金海外インターンシップ
JT奨学金による海外インターンシップ(サンクトペテルブルク・モスクワ)は、昨年度は新型コロナウイルスのため、実施できませんでした。今年度もまだ海外への渡航が制限されている状況から実施は不透明ですが、動きがあればあらためてお知らせします。
TOEIC対策特別講座
TOEICは英語によるコミュニケーション能力を幅広く評価する世界共通のテストで、企業等では採用・昇進のための必須要件となっています。函館では今年も5月と9月に公開テストが行われますが、本校では前期に学内模試を含む特別講座を開催します。自己の英語能力を把握しさらに向上を図るために是非受講しましょう。開講日程は「学生係掲示板」にてお知らせします。
ТРКИ講座
ТРКИ(テルキ・外国人のためのロシア語検定試験)は語彙・文法、読解、作文、会話、リスニングの5つのパートからなる外国人ためのロシア語能力検定試験です。
試験は入門、基礎、1級~4級(数字が大きい方が難度が上)のレベル別となっており、ウラジオストク留学中にロシア語科2年生は1級を、ロシア地域学科3年生は2級の合格を目指します。
当講座では、学内模試を行うほか、各パートに合格するために必要な実践的な知識を学習します。開講日程は「学生係掲示板」にてお知らせします。
ビジネスセミナーについて
今年も貿易実務講師 渡辺善行氏による『ビジネスセミナー』を引き続き実施します。一般常識として必要な、時事問題や社会制度について広く勉強し、年2~3回を予定しています。
詳しい日程およびテーマは決まり次第、掲示してお知らせします。全学生の出席が必須です。
オープンキャンパス
今年度の函館校のオープンキャンパスは下記の日程で2回行います。
日時:第1回 6月12日(土)午後2時~午後4時30分
第2回 9月26日(日)午前9時30分~午後12時
1年生は模擬授業に出席します。また、学生自治会役員からは学生の視点から学校生活の紹介を行います。
オープンキャンパスは自治会行事でもあります。自治会役員と1年生は全員出席しましょう。
そのほか、Zoomを利用したオンライン個別相談会は受験希望者に対し、随時実施します。
短信
「ロシア地域学科4年生座談会
~ウラジオストク留学実習について~」を実施
1月19日(火)、「ロシア地域学科4年生座談会~ウラジオストク留学実習について~」を行いました。
例年9月に本学のあるウラジオストクにロシア語科2年生は1カ月、ロシア地域学科3年生は3カ月、留学実習に行きますが、今年度は新型コロナウイルス感染症のため、渡航ができず現時点では延期となっています。
そのため、学内の留学経験者はロシア地域学科4年の学生のみのため、彼らが卒業する前にウラジオストク留学実習を大きなテーマにして、実習前(出発前)に行った準備、留学中の手続きや生活のあれこれなど、多岐にわたり、在校生の1~3年生に向けて情報提供をしました。
4年生たちからは「どんなことがあっても、間違ってもいいからロシア語をとにかく話すことで、助けてくれる人はいます。そんなに心配しないで楽しんでください。」と激励して座談会は終了しました。
日本銀行函館支店による特別授業
2月16日(火)の4限目、日本銀行函館支店長 加藤健吾氏を講師にお招きし、全学生および科目等履修生を対象とした特別授業を行いました。
今回の授業のテーマは「経済って何?金融って何?」でした。グラフを示し、具体例を挙げた明快なご説明のおかげで、経済を専門としない函館校の学生にとっても、金融リテラシーについてよく理解することができました。
学生からの感想でも、「大学生活は自分に投資をするための期間とわかった」や「具体的なデータによりリスクとリターンの管理の重要性が理解できた」など、社会の先行きに不安を持つ若い世代にとって、知識を得ることで不安を取り除くことができるというメッセージにもなりました。
お知らせ
2021年度 ロシア語市民講座授業生募集
~ロシア人の先生にロシア語を習ってみませんか?~
本校のロシア語市民講座は、受講生の学習期間やレベルにより入門、初級、中級、上級とコースを分けています。まったく初めてロシア語を学ぶ方のための入門コースの募集は、1年のうちで5月の開講時のみとなっておりますので、興味のある方は是非この機会にお問い合わせください。
初回は、5月10日(月)です。毎週月曜日開講で、月曜が祝日の場合は、祝日の翌日に開講します。詳細については、ホームページhttps://www.fesu.ac.jp/new
s/1402-4.phpをご覧ください。申し込みの締め切りは4月26日(月)です。
公開文化講座 はこだてベリョースカクラブ受講生募集
本校のロシア人教授陣を中心に、交替で毎回違った角度から日本語でロシアについての話題を提供し、ロシアについて理解を深めていただくための公開文化講座です。
年7回開催し、初回は5月17日(月)15:00~16:00です。詳細についてはホームページhttps://www.fesu.ac.jp/news/1402-3.phpをご覧ください。申し込みの締め切りは5月6日(木)です。
函館日ロ親善協会からのお知らせ
1~3月の主な活動実績
新型コロナウイルス拡大の影響もあり、今期は特筆する活動ができませんでした。来年度は総会で決算報告等行いたいと思います。
係りより
新年度がスタートし、新たな仲間を迎えました。
まだまだ世界的にも不安に感じることが多い世の中ですが、学生の皆さんが安心して、勉学に集中し、学生生活が送れるよう引き続きサポートします。一緒に楽しく明るい1年にしましょう!(福尾)