No.10 1997.01"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

なつかしきロシア貿易の日々

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 細野 祥子

朝6時半、けたたましい電話の音で眠い目をこすりながら受話器をとると、「お申し込みのロシアにつながりました。」と言うオペレーターの声。(あぁ、昨日予約してたんだった)と思い出し、いっぺんに眠気が吹き飛びます。
 “Алло.Порт Восточный(もしもし、ボストーチニー港ですか)?”
 “Да…(はい…)”
 “Вас беспокоит…(すみませんが…)”
極東のボストーチニー港はもう8時半。輸入のために船をこの港に向ける時は朝一番に港に電話をかけ、積荷の集荷状況や船積状況をチェックするのが日課となります。日本時間で9時を過ぎると、もう電話は混線状態でこの港には全然かからなくなってしまうのです。
家でひと仕事終え、出勤すると夜のうちにモスクワ等から送られてきた大量のTELEXやFAXが待ちうけています。それらにざっと目を通し、ロシア語のものは急いで翻訳して回覧します。
朝の会議で、電話で得た情報を報告し、各船の動静、FAXやTELEXの送信内容について確認がなされます。会議が終わるとすぐにFAXやTELEXの回答をロシア語に訳して送らなければなりません。もたもたしていると極東地方では勤務時間が終わってしまいます。一つの船で品物を動かすのに交渉、契約、送金、船積、通関、検分、クレームとひとつ終わればまたひとつと仕事がやってきます。忙しいときには1ヵ月に10船を同時に動かすので頭はパニック状態になります。
そんな中でロシア貿易ならではのエピソードもいろいろあります。一番強烈だったのは北朝鮮の港からロシア船で日本に荷物を運んだときでしょうか。電話連絡の出来ない北朝鮮の港からやっと出航したと思った船が、次の日また北朝鮮に戻ってしまったのです。船が1日遅れると莫大な費用がかかります。納期も差し迫っていたので皆のいらいらは極限状態に達しました。あとで事の次第を調査するとロシア人船員が酔っぱらった勢いで金日成主席の銅像を壊したまま出航したので北朝鮮の船に追いかけられ連行されていたことがわかり、びっくりしてしまいました。
午後3時、極東の1日が終わるころ、ウラジオストク事務所から電話がかかってきます。
「Здравствуйте.Хосоно‐сан(こんにちは、細野さん」!今日の商談で医療機器輸出の話がまとまりました。明日の10時に契約調印しますので明日までに契約書を作ってFAXして下さい。」とエネルギッシュに仕事をこなす現地職員のI氏は極東大学東洋学部の出身です。I氏が朝一番でFAXを見られるように、早速契約書のタイプにとりかかります。メーカーに在庫の確保を依頼し、コンテナ船のスケジュールも確認します。
夜も7時を過ぎ、さあそろそろ帰り仕度を始めようかと思うころ「ピーッ、ダッダッダッダ…」とFAXの音がし、(また帰り損ねたかな?)というイヤな予感が的中します。昼間打っておいたTELEXやFAXの回答がモスクワの事務所や取引先から送信されてきたのです。ロシア語でびっしり書かれたレターも混じっています。日中は電話や来客などで翻訳に集中できないので今日中にやっておいたほうが良さそうです。
「あぁ大学の時もっと勉強しておくんだった。」と嘆いても後悔先に立たず、今ではロシア語を学ぶ暇さえありません。出来ない分だけ残業時間が長くなります。大学では要領よく点を稼いできたつもりでも結局実力が伴っていなければ、その分あとで自分にはね返ってきて結局苦労することを痛感します。就職してから人一倍頑張らなければ、ロシア駐在派遣はもちろん海外出張さえ出してもらえないでしょう。今となってはロシア語を習いにいく暇さえない忙しさを呪いつつも、いつか先輩達のようにロシアに飛び立ちたいと夢見て今日もウラジオ時間で始まり、モスクワ時間で終わる長い1日が過ぎてゆくのでした。