函館市と姉妹都市提携のウラジオストックへ「飛鳥」でひとり旅
ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 太田 良子
ドラマティックな出発。飛鳥クルーズ最初のパーティーがはじまる。出港時刻が近づくにつれ、プロムナードデッキでは飛鳥専属のバンド演奏がはじまり制服制帽姿の男女の乗組員によるロシア民謡のダンスで一段とムードが高まり、見送りの方々への紙テープが投げられ、そして優雅なロングドレスの女性(外国人)から船客へカクテルのサービス。いよいよ出港です。
銅鑼の音が高々と鳴り響き、色とりどりのテープがからみ合い、そのはためきが次第に大きく揺れ、船は岸壁を離れ、快い微風が頬を通りすぎてゆく。
シャンペングラスを片手に、8月17日快晴の中、ウラジオストク4泊5日のクルーズに向けて函館港をあとにした(初めての船旅)。
ロシアの現況、政治・経済、そして歴史、文化等についても全く皆無に等しい自己の知能指数、その勉強不足に反省するばかりです。もともと旅行好きな私ですが、でも「ウラジオストク」への予定は候補の中に入っておりませんでした。そんな私にためらいもなく決意させたきっかけは二つあるかと思う。
1. ロシア極東大学に勤務させていただいていること。
2. 昨年開催の第1回ロシア語市民講座を受講できたこと。
上記のような経過と環境を通じて、自然にロシアへの関心が高まり、どうしてもこの機会に体験しなければ“もう絶対行くことはないだろう”との結論が最大の要因かと思う。
折も折、今年は当大学の初めての留学の年度でもあり、それと時を同じくする時期に、という理由づけも大変意義あるものとし、私にとっては「95夏・ウラジオストク」と題して思い出のアルバムの1ページに最大のイベントとして大きくクローズアップされることになりそうです。
ウラジオストクの印象や感想について考えてみるとき、すでに私よりもロシア通の方々ばかり、まして長期留学の経験を持つ学生の多い中私のような浅学、文才ともに乏しいものがなにも的確に表現する題材もみつからず新鮮さの失われた、古新聞みたいに色あせたものに過ぎないだけなので極めて平凡で、ありきたりな田舎者の一旅行者から見たウラジオストク滞在一日の印象を述べるにとどめたいと思います。
8月19日朝9時入国、海また海の連続から、40時間ぶりで陸のしかも外国の景色だ。
“ВЛАДИВОСТОК(ウラジオストク)”と大きな字で書かれた港ターミナルの建物が目前に。とうとうウラジオストクへ到着だ。
夢のようだ。そして来てよかったと。接岸とともに、そして時間が経つにつれ、豪華客船「飛鳥」を見物する人々で岸壁はいっぱいになり、楽器を持った白い制服の音楽隊が次々と集合して来る。岸壁の人たちの中に見覚えの方々が。
あれっ、違うかな。それもそのはず、よくよくみれば口のまわりにひげがある。留学中のSさん、Yさん達のお出迎えをいただき外国の地でひとり旅の私にはことのほかほっとする、心なごむひとときでした。
港ターミナルの前では準備の出来た音楽隊のバンド演奏がはじまり、それに合わせてロシアの民族衣装を身につけた美しい女性たちの踊りも加わり感動的な歓迎セレモニーが行われました。
入国審査後、その日の予定であるウラジオストク一日観光とロシア料理のオプショナルツアーに参加、いよいよ第一歩の足跡をそこに印した。出迎えの方々にご挨拶もそこそこに、夜にお会いすることを約束して急いでバスに乗り込む。その日は30度くらいもありそうな暑い日でした。
駅前広場を最初の見学場所にスタート、旗とラッパを持った巨大な兵士の像が立っていた。「ソビエト権力闘志の広場」と呼ばれているそうです。まずは最初からその巨大さに驚いてしまいました。≪鷹の巣展望台≫市内や金角湾の一望がすばらしい景観の展望台、ウェディングドレスの新婚カップル、想い出の場所なのでしょうか?3組に出会いました。≪潜水艦C56博物館≫の見学、主な観光ポイントを強行軍のスケジュールで市内巡り、車内は暑くなるばかり、勿論冷房設備はありません。昼食は市内から空港へ向かう途中30分くらいのところにあるレストランで、和名「森の屋敷」と、その名が語るように色鮮やかな緑に囲まれ山小屋風の静かなたたずまい、木のぬくもりが伝わってくるような無飾りな丸太の椅子、天井からはランプが数カ所ぶら下がり、壁には動物のタペストリー、入り口ではかわいい剥製のシカがほほえみかけ、食事がはじまる頃、民族衣装の女性たちのにぎやかな歌と踊りで私たちを歓迎して下さいました。
メニューは肉のオードブル(シカとクマ)、シチューときのこのクリーム煮、自家製のパン等のロシア料理です。盛り付け・器・分量・テーブルのセッティングなどを拝見したいと思っておりましたので、大変興味を覚えました。
缶ビールは冷えていたようですが、ジュース(桃らしい)は冷たくなかったせいか味が淡白なようで少し物足りない感じ、全て初めてのものばかり。これもロシアの味なのだと。郷に入れば郷に従えだと自分自身に対する意識改革を心がける。
人口70万人、どこも人でいっぱい、巨大な建造物が林立し、古いアパート群も多く目につき大切に維持されている様子が表現されていた。激しい交通量、港の活気、ロシア太平洋艦隊の基地で、貨物の輸出入が近年飛躍的に伸びている等、産業に造船・漁業・林業の業績も大きく教育機関である大学・専門学校も多く、ウラジオストクの概要の一端を知る機会を得たことに感謝したい。
短い時間でのバスの中から見る町並み、木々の緑が豊富、電車バスの往来も激しく、そして中に日本からの中古車、コマーシャルや会社名もそのままに活躍、その健在ぶりに思わず「ガンバッテ」と声援を送りたくなる心境でした。
町並みに調和するかの様に、若い女性のファッショナブルな装い、美しいプロポーション、洗練されたハイセンスの人々の多いことが印象的でした。小さな子供さん、特に女の子はお人形さんのようにかわいらしくドレスアップ、頭には大きなリボンを飾り、特別な場所にでもお出かけするようなおしゃれさんに随分出会ったけれどそれも日常的で母親の感覚、そしてセンスの表現のような気がした。
そうそう、電車の運転手さん、女性の多いこと。もちろん私服でした。なんとスレーブレスも見かけましたけど、たくましさの反面女性的な美の追求を常に、自由に、個性的に装いの出来ることにも羨ましさを感じた。
オプショナルを終えて自由行動の短時間、Sさんたちのご案内で、デパートや公園の散策、そして楽しい夕食をしながら現況等聞かせていただきました。留学の方々、ウラジオストクにもう以前から長く生活していたように言語は勿論、街なかの立地等、詳細で何も不自由さがなく、むしろ快適に留学生活をエンジョイし、その貴重な体験の収穫を充分に感じさせてくれ、若い方々の物事に対するスピーディーな順応ぶりには驚くばかりでした。
私の乗った観光バスのガイド(アンナさん)は極東大学で日本語を学んだそうですが、決して上手ではなかったけど一生懸命努力されていることが伝わり、そのたどたどしい日本語に好感さえ感じてしまいました。
函館校の方々もロシアからのお客様にすばらしい函館の印象になるような、日ロ交流、そして極東大学函館校の誇りを持って、その実力を最大限に発揮されることを期待いたします。
短いウラジオストク一日滞在も終わりに近づきました。次なる機会に種々思いを残し、8月19日24時、ウラジオストクとお別れの時となりました。その日と翌日で時計を1時間ずつ遅らせる。港ターミナルには朝の入港より、入れ替わり立ち替わりでしょうか……見物、見送りの人々で絶えることがなく、デッキにもお別れを告げる船客が続々と集まってくる。
24時ジャスト、飛鳥はいよいよ函館に向けて出港。“ВЛАДИВОСТОК”、赤く書かれた、港ターミナルのその字が少しずつ小さくなりはじめます。陸、海と互いに手を振り、遅い時間にもかかわらず私たちを見送って下さったことに感謝申し上げたい。
私の近くにいた若い男の人が“ダ・スヴィダーニャ、ウラジオストク”、私もその声の中のひとりでした。そして友好的かつ有意義な充実したロシアの一日でした。