函館生まれのロシア人
ロシア極東連邦総合大学函館校 教授 パドスーシヌィ・ワレリー
日本とロシアの歴史的な関係において、函館は特別な土地だといえる。日本最初のロシア領事館がここに置かれ、最初のロシア正教会が建てられ、ロシアの大学の分校が開設された。そして、日本で初めてロシア人が生を受けたのも、まさにここ函館においてなのである。それが、ジャーナリスト、作家、詩人として活躍し、日本研究家であり、『ウラジオストク市歴史概説』の著者でもあるニコライ・マトヴェーエフである。
彼は、1865年11月10日函館で生まれる。彼の父親ピョートル・マトヴェーエフは、ロシア領事館の医師であった。ニコライが幼い頃、日本人の乳母が彼を連れて家からいなくなってしまったことがあった。乳母は、知り合いのところを回って、日本で初めて生まれたこのロシアの子どもを見せて歩いたという。
マトヴェーエフは、ウラジオストクで学ぶ。港湾関係の学校を卒業し、港湾修理工場で働き始める。そこで学んだ以外、彼の博識はすべて独学によって得たものである。青年労働者は詩を書き、やがて『ウラジオストク』紙のジャーナリストとなるのである。
1901年、ニコライ・マトヴェーエフの初めての詩集が刊行される。詩集はたいへん好評を博し、読者が買い求め、完売となった。3年後に出版された彼の散文を収めた本も成功をおさめる。
1906年、ウラジオストク時代のマトヴェーエフは、ロシアの人々と中国、朝鮮、日本という隣国の人々との交流の一助となることを願って、『極東の自然と人々』という雑誌を発刊する。1910年に彼が刊行したウラジオストク市の歴史についての初めての本は、現在もなお出版され、読まれ続けている。
ニコライ・マトヴェーエフは、生まれ故郷である日本を頻繁に訪れた。彼の親しい友人がそのことについて、「ある秋の日、朝日新聞の編集部へ私を訪ねて来た。私は、菊の展示会に彼を招待した。展示会では、それぞれの菊の名前に興味を示した。彼は漢字をよく知っていて、難しい菊の名前の
深い意味を理解していた」と回想している。
ロシアで内戦が起こっていた1919年5月、ニコライ・マトヴェーエフは日本に永住し、ジャーナリストとしての仕事を続ける。大阪の『ロシア極東』誌の代表であり、アメリカの新聞や雑誌の記事を書き、児童書の出版をしていた。
マトヴェーエフは、日本における亡命ロシア人団体の活動に参加していた。この団体は、ソ連から亡命してきた人々を救済し、日本と中国におけるロシア人学校のための資金を集め、子どもたちの祝い事や若者のためのサークルを組織するなどの活動を行っていた。1936年には、友人たちと神戸にロシア合唱団を設立した。
ニコライ・マトヴェーエフ、1941年2月8日神戸にて死去。長い間病の床にあって働くことのできなかった彼をその死の間際まで支えていたのは、日本人の友人たちであった。彼らは治療費を工面しただけではなく、マトヴェーエフ家の家族の援助も行っていたのである。
マトヴェーエフの墓前には、「親愛なる友よ、安らかに眠りたまえ」とロシア語で刻まれた記念碑が建てられている。マトヴェーエフの古い友人でかつての在ウラジオストク日本国総領事が、その建設に奔走したのである。
留学実習
ウラジオストク留学実習
10月2日(火)、ロシア語科2年生と ロシア地域学科3年生の7名が留学実習のため成田空港からウラジオストクへ出発しました。学生たちはロシアの生活を肌で感じながら1~4ヶ月の間、本学付属の外国人のためのロシア語学校で勉強をします。大きな成果をもって戻ってこられることを期待しています。
学務課お知らせ
АБВГ-Day
11月7日(水)13:00から、本校付属ロシアセンターにて開催します。内容は下記の2部門の予定です。
前半の学生発表部門では、函館校生と、ウラジオストクから留学中のロシア人学生が、歌唱、暗唱、一人芝居、クイズ、紙芝居等、各自好みのスタイルで日頃の言語学習の成果を発表し、上位入賞を狙います。
後半のロシア語ゲーム部門では、本校の先生が趣向を凝らして作った言語ゲームを学生がチーム対抗戦で成績を競います。
前半、後半部門とも、入賞者には賞状と賞品が手渡されます。 АБВГ-Dayは学外の方も見学できます。準備の都合上、見学を希望される方は事前に事務局(TEL 0138-26-6523)までお申し込みくださるようお願いします。
冬季休業
今年度の冬季休業は、12月17日(月)から1月14日(月)成人の日までです。
期間中、平日は事務局での各種手続き、図書室の利用は可能です。
12月29日(土)~1月4日(金)は、年末年始休業のため校舎を閉鎖します。
来年の授業開始日は、1月15日(火)です。
各種証明書の発行について
成績証明書などの証明書類とJR学割証は、申込のあった日の翌日の発行となります。
就職活動・帰省のため証明書が必要な学生は、あらかじめ日数に余裕を持って申し込んでください。
お知らせ
ロシア人留学生が来函します
今年も、ロシア極東大学留学生支援実行委員会の招きにより、ウラジオストク本学で日本語と日本について学んでいる学生が函館校に留学します。
留学生は、ホストファミリー、函館校生との生活を通して、生きた日本語や実際に日本にこなければわからない日本の文化・習慣を直接肌で感じ取ります。
函館校の学生は留学生と同じ校舎で過ごし、学年ごとの合同授業では一緒に授業を行います。また、留学生は行事にも参加します。留学生との交流の場面は数多くあります。学生は積極的に話しかけ、仲良くしてください。
◎期間:10月23日(火)~11月15日(木)
◎留学生のお名前(全員 女性/4年生)
パニブラーシナ・マリヤ
シヴェツォーワ・アリョーナ
シドレンコ・ソフィヤ
ヴドヴェンコ・ダリヤ
△昨年の留学生(書道授業の様子)
学生からの投稿
北方四島交流事業報告
㈳北方領土復帰期成同盟北方四島交流北海道推進委員会主催により9月7日~10日まで行われた今年度第5回交流訪問事業で国後島を訪問した学生の報告を掲載します。
「国後島訪問の感想」 ロシア地域学科3年 工藤 美咲
ロシア語の看板、飛び交うロシア語、日本固有の領土のはずである国後島は、まるでロシアのようでした。
国後島に到着して初めに行なわれたのは、「フレップ ソリ」というロシア式の歓迎でした。しかし私は歓迎ではなく「ここはロシアです」と遠まわしに主張しているように感じました。
島内はアスファルトで舗装されている道路が少なく、ほとんどが砂利道で、埃っぽいため、時々散水車が走っていました。
現在、国後島では古い住居を取り壊し、新しく建設している最中です。島内は古い住宅ばかりで、なんと20年以上建て替えられていなかったそうです。保育園や教会、さらに神学校も建設していました。
最近では、ロシア本土から国後島に移住する人が増え始めているとも聞きました。浄水場や空港の改築、そして新たに体育館の建設予定まであるそうです。このように建設ラッシュや移住者の増加などを目の当たりにすると、領土返還の道はどんどん遠のいているように思いました。
函館日ロ親善協会からのお知らせ
7~9月までの主な活動実績
〇7月6日(金)
在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所長送別会
2007年に函館に赴任されたブロワレツ・アンドレイ在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所所長が5年の任期を終え函館事務所所長を離任されることとなり、当協会倉崎会長を発起人として有志による送別会が開かれました。協会会員含め約40名の方にご出席いただきました。
ブロワレツ氏は函館離任後、ロシア外務省のウラジオストク代表部に戻られました。今後のご活躍をお祈りします。
○ 8月2日(金)
ユジノサハリンスク市歓迎夕食会
8月1日の函館市市制施行90周年記念式典参加のため来函したユジノサハリンスク市公式訪問団の方々をお招きし、歓迎夕食会を開催いたしました。会には、ロプキン市長、ドミトリエフ市議会議長をはじめとする公式訪問団4名のほか、在札幌ロシア連邦総領事館のアルトゥーホフ領事、ブロワレツ所長の後任として函館事務所に赴任されたウスチーノフ所長のお二人にもご出席いただき、親睦を深めました。
○ 9月14日(金)
ロシア正教会最高指導者来函
ロシア正教会のキリル総主教が9月14日から18日までの日程で来日し、初日14日には函館市を訪れました。当協会倉崎会長は、正教会関係者やロシア極東大函館校の皆様と共に函館ハリストス正教会で総主教御一行をお出迎えいたしました。
○ 9月22日(土)・23日(日)
はこだてグルメサーカス出店
9月22日と23日の2日間にわたって開催された「はこだてグルメサーカス」の「開港都市と姉妹都市のひろば」に出店し、ロシア極東大函館校の職員・学生の皆様にもご協力いただいてピロシキとボルシチのセットを販売いたしました。
22日・23日両日とも好天に恵まれ、大変多くの方が会場を訪れました。当協会で用意したピロシキ・ボルシチセットもすべて昼前には完売してしまいました。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
≪係りより≫
今年は秋が遅くて、いつまでも暑く、湿気の多い夏が続きました。最近、ようやく涼しくなりましたね。
今回の巻頭言は日本で初めて生まれたロシア人といわれている、ニコライ・マトヴェーエフについての紹介です。日本で生まれ、日本を愛し、日本人の友人たちに支えられて、日本で没したニコライ・マトヴェーエフ、どうぞお楽しみください。ミリオン・ズビョースト第73号をお送りします。(長谷川)