No.90 2017.01"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

子ども時代から知っているお正月料理

ロシア極東連邦総合大学函館校 副校長 デルカーチ・フョードル

ロシア人のメンタリティーは「中道を知らない」とよく言われる。それは本当かどうか分からないが、ロシア式の新年の祝い方を見れば、正にその通りだと言える。外国人の印象も聞くと、ロシアン・スタイルのホームパーティーに出される料理の数は「一週間にも食べきれない」と言われる。それも否定できないね。お客さんに不自由を感じさせないように「テーブルが壊れるくらい」の余分なごちそうを出すという伝統があるからだ。
お正月のごちそうは一週間分ではないが、三日分は作る。だって、親戚もたくさん集まるし、友達がいきなり来ることもお正月の常識だから。しかも、ロシア式の「おせち料理」は食材の種類は多くないが、だいたいカロリーの高いものを使うのだ。もちろん酒も飲む。新年の祝いが終わると皆が、「せっかくの一年のダイエットは、この三日間で無駄になったな」、と訴えるが、あまり後悔するようには見えない。さらに、お正月の夜に寝れば「罰が当たる」、と言われているから寝不足もある。
というわけで、ロシア人式の新年の祝いというのは、なかなか疲れるものなのだ。「あの休み疲れを取るには、また休暇が必要だな」、と呟くロシア人が多い。それも仕方がない。ロシアの新年祭は、誰も耐えられない嵐のようなものだ。「新年を楽しく迎えたら一年が楽しく過ごせる」、とロシア人が言うように、誰でもダイエットや自己規律を緩めて、好きな人と好きなことをしたいわけだ。
さて、ロシアのお正月のメニューはいったいどのようなものか?ソ連という国がなくなって既に26年が過ぎたというのに、ソ連的な食文化は今でも生きていると言える。モスクワなどの大都会の人は、必ずしもソ連の伝統に従うわけではないが、お正月は幾つかの食材や料理が連想されることは間違いないだろう。種類は多くない。なぜならば、ソ連人の生活の大きな特徴は物不足だったからだ。いや、ソ連人は決して飢えてはいなかった。当時市販されていた食材や食べ物の種類が少なかったのだ。その限られた食材以外のものを「買う」のではなく「достать」、つまり「ゲットする」ことが問題だったのだ。
例えば、闇市場で買うか、あるいは特別調達制度地域(モスクワなど)へわざわざ買い物に行かなければならなかった。大都会に住んでいる親戚に頼んで郵便で送ってもらうとか。また、突然ある商店で珍しい食材が一時的に売り出されると、それを直ぐに「поймать」、つまり「キャッチ」しなければならなかった。
美味しい海産物のようなもの(スモークサーモン、イクラ・キャビア類、高い缶詰など)は「贅沢品」とされ、手に入ればお正月のためにわざわざ保管していた。
日本人は驚くかもしれないが、ロシアでもお正月の大事なイメージ食品はミカンだ。ソ連時代、私の故郷シベリアでは、柑橘類は比較的に珍しいものであった。小学校時代の「ヨールカ祭」を思い出すと、一人ひとり新年のプレゼントとして「Дед Мороз(ロシア式のサンタ)」からお菓子の入った袋をもらっていた。中にキャンディーやクッキー、そして一番待ち望んでいた「宝物」、すなわち、ミカンが一個必ず入っていた。長い長い冬の中に感じた夏の香り。
ソ連の「ミカンの里」は、グルジア共和国だった。主な産地は黒海に面するアブハジア自治区で、ちょうど12月あたりが収穫の時期だった。今はもうソ連がないし、グルジアも独立国家(ジョージア)になって、アブハジアだってグルジアから独立してしまったのに、あのミカンは相変わらずロシアのお正月の食卓に現れる。
ところでお正月料理といえば、3~4日分を作るので、それは主として冷蔵庫に入れて保管できる冷たい料理のことだ。
その一、「Селёдка под шубой(毛皮のコートをまとったニシン)」。まさに、ソ連食文化の天才的発明だと言える。市販される数少ない食材からお祝いの料理を作ってみよう。一層一層重ねるケーキのような作り方だ。まず容器の底に塩漬けニシンと玉ねぎをみじん切りにしておく。その上にマッシュポテト、次にみじん切りのゆでニンジン。またマッシュポテト。そしてゆでたビーツをみじん切りにしてマヨネーズと和え、それを最上段に塗り付ける(マヨネーズは、あらかじめスーパーで「キャッチ」しておかなければならない)。そして出来上がり!美味しくて、満腹感は抜群。お酒のつまみにも最適。特に二日目に美味しいね。
その二、「ヴィネグレット(Винегрет)」。ジャガイモ、ビーツ、ニンジンを茹でる。冷めたところで細かい角切りにする。次に玉ねぎとザワークラウト(キャベツの漬物)を細かく刻み、缶詰グリーンピース、サラダオイルを加え全部をかき混ぜる。塩・胡椒はご自分の感覚でどうぞ。大変な人気で、ロシア人なら皆が好きだろう。僕以外はね。なぜなら僕の本当の好物は、次の料理だから。
「起きなさい、まだオリヴィエもカニ(どちらもサラダ)も残っている。食べないと!」
「いやだ、死なせて!」
ちょっと皮肉だが、新年パーティーを生き抜いてきたロシア人の気持ちがよく伝わってくる。
明けましておめでとうございます。皆さまに良いお年を!

学務課お知らせ

卒業試験日程
1.ロシア地域学科4年生は、下記の日程で国家試験を行います。
国家試験    2月27日(月)
卒業論文審査会 2月28日(火)
2.ロシア語科2年生は、下記の期間内で卒業試験を行います。
2月27日(月)~3月3日(金)
3.ザチョットは、以下の日程で行います。


後期試験日程
1.ザチョット
  2月20日(月)~2月24日(金)
2.エグザメン
  2月27日(月)~3月 4日(金)
3.再試期間
  3月 6日(月)~3月10日(金)
 卒業年次以外の学生にのみ、この期間に再試験を行うことがあります。

出席率不足の学生は
本校は出席率80%以上が期末試験の受験資格となっています。出席率が低かった学生は受験資格を得るため担当教員の指導を受けてください。

日本学生支援機構奨学金~継続願・適格認定説明会~
1月17日(火)14:40より、7番教室にて卒業年次以外の奨学生全員を対象に説明会を行います。
都合により参加できない学生は、説明会開始前までに事務局学務課に申し出てください。
この説明会に参加せず、継続願を提出しない学生は、新年度4月からの奨学金は貸与されません。

石館とみ奨学金審査会
3月9日(木)石館奨学金選考審査会を行います。この日の審査の対象となる学生は、3月6日(月)の教授会において奨学生候補生に選ばれ選考審査会へ推薦された学生です。候補生となった学生には、3月6日(月)夕方、本人へ通知しますので、学校が指定した日時に登校し、選考審査会と準備について、事務局で説明を受けてください。この説明会と選考審査会には学生本人が出席しなければなりません。


パスポートの取得について
今年、留学実習に参加する、あるいはJT奨学金短期インターンシップ等を希望し、ロシアへの渡航が予想される学生で、現在パスポートをもっていない人は、3月~4月の春休み中には必ず申請してパスポートを取得しておいてください。なお、ロシアへの渡航には、パスポートの有効期限は、申請するビザの出国期限より6ヶ月以上必要です。渡航前に有効期限をしっかりとチェックし、必要な場合は更新しておきましょう。

お知らせ

第19回はこだてロシアまつり

2月11日(土・祝)11時~15時に開催します。まつりのテーマは「ウラジオストクの冬の春」です。
まつりは、極東大函館校オリジナル版のマースレニッツァから始まります。寸劇や学生が歌う歌で賑やかに盛りあがり、寒く暗い冬に別れを告げる儀式として、冬の象徴であるモレーナ(体長2メートルのわら人形)に火を放ちます。
屋内会場では、恒例のロシアのかわいい雑貨販売、民族衣装試着体験、はじめてのロシア語教室や、チェス体験、学生コーラスグループ「コール八幡坂」によるステージショーや学生発表、そして今年は山口ミルコ氏による講演会も予定されています。詳細は下記をご覧ください。
そのほか好評のロシアカフェでは、マースレニッツァには欠かせないロシア風クレープ「ブリヌィ」などをお出しする予定です(※チケット販売は11時30分より)。
ぜひ、みなさんお揃いでお越しください。
なお、当日は駐車場が使用できませんので、公共交通(市電・バス)をご利用ください。

山口ミルコ氏講演会
「がん闘病→がん克服→再出発ロシアへの旅」

日時:2月11日(土・祝)14:00~15:00
会場:3階 講堂(入場無料・申込不要)

*角川書店、幻冬舎で編集者として活躍した山口さんの講演会です。当日は書籍の販売と講演会終了後にサイン会を実施します。

卒業証書授与式等案内

平成28年度第22回卒業証書授与式は、次の通り挙行します。

○卒業証書授与式
日時:3月11日(土)午前10時
場所:本校3階講堂

○卒業式リハーサル
卒業式前日の10日(金)10時より講堂で行います。卒業予定者と送辞担当者は必ず出席してください。

○自治会主催 卒業生を送る会
11日(土)卒業式後、引き続き講堂で開催します。

○同窓会パーティー
11日(土)18:00より市内ホテルにて開催します。
※卒業式、自治会送別会、同窓会パーティーは、学生全員参加となっています。
各行事についての詳細は、掲示してお知らせしますので各々確認してください。

短信

第9回АБВГ-Day

11月9日(水)ロシア語学習促進と発表の場としての言語まつりАБВГ‐Day(アー・ベー・ヴェー・ゲー・デー)が開催され、函館校の学生のほかに留学中のロシア人学生4名が参加しました。
個人発表部門では、学生たちが日ごろ学習している言語(日本人学生はロシア語、ロシア人学生は日本語)で3分~5分ほど発表を行いました。形式は自由です。各々趣向を凝らした発表で、学習の成果を競いました。
チーム対抗部門では4つの混合チームに分かれてゲーム形式で言語知識を競い合いました。
終了後は、審査結果発表と表彰式がおこなわれ、「個人発表部門」上位入賞者、「チーム対抗部門」優勝チームには、それぞれ賞状と賞品が贈られました。
個人発表の部で1位に輝いたロシア地域学科1年の工藤さんで、ロシア領事賞も同時に受賞しました。
結果は以下のとおりです。

第1位 ロシア地域学科1年  工藤さん
暗唱 プーシキン作「冬の朝」

第2位 ロシア語科2年    宮川さん
発表「星の王子様の背景と読解」

第3位 ロシア地域学科2年  齋藤さん
発表「キセーリの作り方」

芸術賞 ロシア地域学科4年  三好さん
歌唱「Гимн демократической молодёжи(青年民主の歌)」

2017オリジナルカレンダー販売中

本校では、このたび初めて、オリジナルカレンダーを作成しました。
極東大学本学があるウラジオストク、歴史ある街並みが美しい古都サンクトペテルブルク、活気あふれる首都モスクワの三都市を、職員が撮影した写真で紹介しています。
月や曜日にはロシア語も配し、さらにロシアの祝祭日も加えてありますので、ロシア語学習にも役立ちます。

このカレンダーは来る2月11日(土・祝)開催の「第19回はこだてロシアまつり」にて、1部500円で販売するほか、それ以前でもご希望の方には本校事務局で販売しておりますのでどうぞご利用ください。販売収益は「第19回はこだてロシアまつり実行委員会」に繰り入れ、学生の活動に役立てます。
詳細はホームページ http://www.fesu.ac.jp/をご覧ください。

販売価格      1部 500円
郵送ご希望の場合  1部 600円
(送料込み)

日本ロシア文学会全国大会に参加して
本校教授 スレイメノヴァ・アイーダ

10月22日・23日に行われた第66回日本ロシア文学会の全国大会に出席しました。全国からロシア文学の研究者が集まり、現代ロシア文学・ロシア語に関する情報を交換した場所は、札幌市にある北海道大学のキャンパスでした。秋のポプラ並木、急いでいる学生と教員、涼しい風がこの学会の風景になっていましたが、会場では非常に熱い論議がありました。
最近のロシア文学研究者は、文学のテキストそのものの研究や、教材として使われている作品の検討だけではなく、文学と絵画、文学と映画・漫画・アニメ、文学とインターネット・SNSなどを含めた研究を行っています。この学会でも発表のテーマは文学テキストから映画・アニメまでとしており、時代的には、ロシアの古代から現代文学が対象でした。どのパネルディスカッションあるいは個人の発表に参加するのか選ぶことは、かなり難しかったと言うべきです。そして、このような大きな学会では4会場もあり、同時に行われていた発表には出席できませんでしたが、いくつかの面白くて新しい情報について紹介させていただきたいと思います。
私は、「実用ロシア語会話」の授業や「通訳翻訳の演習」の授業を函館校で教えるために、言語学・ロシア語の教え方に関係している発表を選んで聞きました。例えば、筑波大学の加藤百合とアビカヤ・オレーシャによる «Ошибки японцев в речи на русском языке» (「ロシア語の文章語における日本人学習者の誤り」)、「ロシア語における関係節の統語構造:束縛現象からの考察」(東京外国語大学 宮内拓也)、「ロシア語統語研究のためのイントネーションの上昇・下降のモデル化」(東京大学大学院人文社会系研究科 世利彰規)、「ロシア語の性に関するいわゆる意味的一致における素性のあり方をめぐって」(東京外国語大学大学院 光井明日香)などの発表には、様々な情報が授業でも役に立つと感じました。もちろん、ロシア語統語研究などのことまでは、すぐには手を伸ばすことはできませんが、配布資料の中には、函館校の学生の学年論文や卒業論文にも使えると考えています。
「ロシア文学史」の授業を教えるために、「『エヴゲーニ・オネギン』における «Судьба» 及びその類義語の日本語訳について」(福安佳子)、「露日語の訳出行為におけるシフトの分析 ―Павел Санаев著 «Похороните меня за плинтусом» の翻訳実績報告)」などの発表や現代文学に関するパネルで配られた全ての資料を授業で役立てたいと思っていますが、資料の中には(特に「運命」、「生命」に関する資料)、通訳・翻訳の授業でも役に立つと思っています。
年明けの授業で教えたいと考えている課題に関連するのは、例えば、「F.M.ドストエフスキー『罪と罰』のエピローグにおける語り手の問題」(田中沙季)、「「大審問官」と『カラマーゾフの兄弟』における構成と構成要素」(樋口稲子)、「ドストエフスキーの作品における若いニヒリストたちの精神的導き手について」(斎須直人)、「ミメーシスとブーニンの作品(1910年代)における物語の作法」(田子貞子)などの発表を聴きました。すべての発表が興味深く、函館校の学生も教員も、授業の題材だけではなく、次年度の学年論文用の資料としても使えるのではないかと思っています。
19世紀文学(特に、ドストエフスキーの作品)を中心とした発表のテーマから、日本文学の研究者がどのようにロシア文学を見ているかも理解できました。
現代文学の新しい考え方についても、この学会での発表や専門家との意見交換の場で知ることができました。例えば、北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターの望月哲夫教授の司会で行われたパネル(「触る、見る、聞く:新文学への新アプローチ(マカーニン、プオーゴフ、アレクシヴィッチの作品を例に)(«Трогать, видеть, слушать,: новые подходы к новой литературе (на примере Маканина, Пригова, Алексиевич»)では、現代ロシア文学研究者にとり、重要な意見とコメントを聴くことができました。
現代作家は読者の反応を考えながら作品を作り上げ、日本で人気の高いドストエフスキーなどは、作家は既に亡くなっているものの作品は今なお生きており、研究者は作家のテキスト(文章)から解釈するだけでなく、マンガやアニメなど様々な媒体に描かれた作品からも解釈し、研究を続けています。
ちなみにロシアでは、文学研究者は文学作品のテキストのみを研究対象としているため、私が与謝野晶子の『みだれ髪』のマンガを題材として解釈し、研究発表した時は、「それは正しい研究方法ではない」、と批難的な意見を述べる研究者もいました。
私見ですが、ロシア文学は文学と言いながらも、日本ではもはや文学の域を出た存在となっているのではないかと思います。
(敬称略)

学生からの寄稿
ウラジオストク留学報告

ロシア語科2年 小川 怜

一カ月ってこんなに短かったか、と思うぐらい留学は楽しくあっという間でした。同時に「1日1日、時間を大切にしなければ」、とも思いました。楽しいからこそ1日が終わるのは一瞬ですし、必死にやるからこそ夜が来るのはすぐでした。時間は有限という意味を痛いほど感じました。
きちんと生活できるのか、勉強はついていけるのか、そもそも私のロシア語力で大丈夫か、などと留学前は不安なことばかりでした。タチヤーナ先生が、「怖がる必要はない。楽しい。みんなまた行きたと言う」と、よく授業中話していたため、留学を楽しみにしていました。しかし、いざ出発前の荷造りを始ると、ようやく私の中にウラジオストクに行くことが現実味を帯びて不安な気持ちが出てきました。それは日に日に増しました。
ところが、実際行ってみると、不安に感じていたことが馬鹿げて思えるほどでした。ロシア語学校の先生は、外国人を相手にするプロですから、こちらの言うことを聞き取り、言いたいことを伝える術を知っているため、拙いながらもそれを実行する。そんな感じで案外と生活はできました。
語彙力の無さや勉強不足を感じる場面も沢山ありました。それでも対応してくれたロシア人が優しく、たまたま近くにいた人や一緒にいた人が助けてくれたおかげで、大きなトラブルもありませんでした。運がよかっただけと言われればそれまででしょうが、一カ月という短い期間でも、困っていた私に沢山の方が声をかけてくれたことは、日本ではあまり感じることがなかっただけに、とても新鮮で有難く、非常に強く印象に残っています。
満員バスで倒れそうになった時、何度も身体を支えてもらうなどしました。また、バスで隣に座っていたおばあちゃんから話しかけられたり、道を尋ねられたりと、個人的に貴重な体験もできました。
休日は先輩や現地で知り合った方と買い物に行ったり、お祭りに連れて行ってもらうなどしました。時々、夕方からビールを飲んだり、お酒の強い人から甘いウォッカを飲ませてもらうこともありました。
特に楽しかった事は、昨年ウラジオストク本学から函館校に留学にやって来たグーリャと放課後に水族館に行ったことです。どうしても行きたくてお願いし、一緒に行くことができました。大きくて、スケールが日本のものとは全く違いました。ここにはプーチン大統領と安倍首相が来たのだ、と思いながら見て回りました。
帰国するのが名残惜しく感じるぐらいウラジオストクは楽しく、魅力的でした。勉強だけでなく、色々と大変なこともありましたが、それでも楽しいという気持ちが勝るほど有意義な時間を過ごせました。

ロシア地域学科3年 金子 智昭

三カ月に及んだウラジオストクでの留学も12月に終わり、無事帰国をいたしました。三カ月というのは実際短いようでいて、案外色々な事が出来たようにも思います。授業に関して言えば自分がいたクラスは比較的上級に位置し、周りの韓国人達は自分などよりよっぽどロシア語が出来ますので、最初は大変でしたが、それでも最後まで授業について行けるよう自分なりに努力をしたつもりです。
また、同世代のロシア人達と交流する機会をもてたこともこの留学の大きな成果だと言えるでしょう。おかげでロシア語を下手ながらも話す根気が身に付きました。更には日本においては会う機会が余り無いと思われる人々、例えばトゥバ人などがそれにあたり、私は彼らとはそれなりに交流をしていたのでした。
自分は趣味の関係上あまり若い人が行かないような場所へもあちこち出入りしていましたが、中でもニコライ二世凱旋門の傍にある骨董屋へは足しげく通い、店主には顔を覚えられ、また週末の午前中にはДворец культуры железнодорожников(鉄道員の文化宮殿)の蚤の市にも行き、現地の売り手達と良好な関係を築く事にも成功しました。この蚤の市に於いて私はある男からアルミ製の古いシガレットケースを譲り受けました。男によればこれはシベリア抑留時代にある日本人の捕虜が手作りした物だとの事。よく見ると漢字で「塚原」と名前があります。詳細は現在調査中です。
この市場ではロシアの近代史を象徴するかの如き物も沢山見かけました。その内幾つかは自分でも買いましたが、例えば1915年のロシア「切手紙幣」や臨時政府発行の「ケーレンカ」、「ドゥムカ」、極東共和国で流通したアメリカ製紙幣など実物に多く触れる事で帝政末期、革命期、内戦期への私の興味は当地にて増幅され、日々良い刺激を受け続けていました。あらためて私に親切にしてくれた当地の人々に感謝すると共に出来るだけ留学中に掴んだ感覚を忘れず、日本での生活にも生かしてゆきたいと思っています。

ロシア地域学科3年 髙橋 由

私は3カ月間、ウラジオストクでの留学実習に参加しました。そこでの生活が始まったばかりの頃は、手続きが思うように進まなかったり、周りの環境に馴染むことができるのか少々不安でしたが、なんとか適応して過ごすことができました。
ウラジオストクの中を散策してみると、市民がどのような生活を送っているのかが垣間見えました。よく満員になるバス、道端で時々見かける楽器を演奏する人々、破損した車でどこかへ向かう人々、ちょっとした物を売っている小さな店のキオスクなど・・・。日本からはそう離れていない都市ですが、やはり文化の違いを感じました。
本学での大学生活は、とても新鮮味がありました。授業で、周囲に座っているのは中国人や韓国人で意思疎通が困難な時もありましたが、彼らとも打ち解けることができました。先生方はほとんどロシア語(英語を交えることもある)で授業を進めていき、スピードも少し早い印象でした。先生方には優しく丁寧に指導してくださり、感謝しかありません。ロシア語能力が上達したと思います。
ロシアの食べ物は、とても美味しくて自分に合いました。特に、肉類や乳製品はおすすめです。また、お菓子やケーキも甘みが強かったですが、とても気に入りました。食料品の値段は安く、多めに買ってしまうこともありました。日本食も食べる機会があり、実際の日本食との差異を感じながら楽しめました。先生には、博物館や劇場などへ他の生徒も一緒に連れて行っていただき、よい思い出となりました。
寮生活は少し慣れが必要でした。洗濯機が無いので手洗いする必要があり、手荒れも起きました。トイレも時々壊れたり、災害は起きていないのに緊急放送が不定期に流れることもありました。挙げるとキリがないのですが、良い経験になったと思います。
今回、留学に参加してみて、かなり充実した生活を送れたなと思います。得た経験や学びを活かして、今後の勉学に励んでいきたいです。

ロシア地域学科3年 山本 実里奈

留学は、本当に短くて、あっという間に終わりました。ロシアに着いたその日から、「聞いてたことと話が違うやん!」と思うことが続きました。寮は想像していたのとは違い、ロシア語も全然スラスラ出て来なくて、こんなことではきちんと三カ月もここで生活できるのか、と不安に思っていました。
私はみんなよりもボーっとしている上、ロシア語の会話に自分から入っていくことができず、授業ではロシア語を使うものの、そのほかの時間はロシア人の会話を聴くだけで終わってしまったというような日もありました。自分の意見を伝えることは難しかったです。しかし、ときどき私に興味を持って話かけてくれる人もいて、その時には、やった!と思いながら会話しました。
ロシア語学校の先生方は説明が上手で、授業の内容もわかりやすかったです。自分もこんなふうに説明できるようになりたいと思いました。宿題は終わらないくらい多い時もありました。終わらないこともたまにありました。同じグループの学生達はみんな真面目で、宿題をきちんとやってくるので、自分もちゃんとやろう、という気になりました。
今振り返ってみると、本当に大変だったのは最初だけだったような気がします。段々と寮の生活や宿題の多さに慣れ、友達も少しずつ増えてきて、はじめのうちは、「長い」、「早く終わってほしい」、と思っていた1日が、時間が経つに連れて、「短い」、「もっと長くてもいいのに」、と思うようになりました。
風邪気味で身体が辛い時もありましたが、体調を大きく崩すことも無く、楽しく過ごすことができました。ロシアで過ごした三カ月は本当に有意義なものであったと実感しています。最後に、寮でネズミを見たことは、一生忘れないと思います。

ロシア地域学科3年 権田 和希

私は今回の留学に際して、これまで函館校で培ったロシア語力がどれだけ通用するか、また、現地の生活にどれだけ適応できるかを知るいい機会とすることができたと思います。
ウラジオストク空港到着から、入寮・入校手続き、日常の雑務等、予期せぬ問題続きでした。具体的に言うと、空港でルースキー島へ行くのとは全く方向が別のタクシーによる客引きがあり、予想していたより高めの料金を支払ってしまったこと。予定されていたよりも劣悪な寮で、事前に知らされていた備品のほとんどが不備だったこと。入校手続きで書類の発行に長い時間を要したこと。そして、日用品や携帯電話用のSIMカードを購入などの雑務です。
初日からしばらくは苦しみの連鎖が続き、ウラジオストクでの生活に於いても、あらゆる問題が起きましたが、無事、現地の生活に慣れる事ができました。
空港に到着したばかりの時は、文法通りに話しているにも関わらず通じなかったのですが、ロシア語のクラス分けで集められた優秀な生徒との対話、そして教授によるレベルの高い授業のお陰で、帰国間際には、ロシア人相手に挨拶のみならず、書類や買い物の手続き、ちょっとした冗談や小話までできる状態にまで底上げすることができるようになりました。
それだけでなく、授業におけるクラスメイトや教授、同じ寮の学生、日本センターが主催する会話クラブでの現地邦人や日本語学習者、市内で知り合ったロシア人との幅広い人間関係が構築できました。また、極東ロシアにおける生活の知恵、ルール、市場などを日常肌で感じる上で日ロ双方の長所短所を常日頃から比較し、今後双方の国を行き来する上での良い判断材料とすることができました。
ウラジオストクでの長期滞在では、単なるロシア語学習や旅行では得られない経験を得ることができます。これは訪問者自身の知見や興味にもよりますが、かの国の歴史や文化、現在の姿、我国を含めた周辺国との関係を博物館や町並、人々や物産からすぐに認識できると思います。
また、授業に留まらず、学内で開催される文化祭や演劇、スポーツ大会等、大学が主催する行事に参加し、他国の学生と親交を深める事も、「ロシアから見た世界」を理解することにつながるのではないかと思います。一個人としても、市内で開催された沿海地方の他大学との外国人留学生による競技に於いて、競泳の個人と団体の部で優勝するなど、良い成績を残すことができました。一緒に参加した他の学生との絆を深める事もできました。
留学先が極東ロシアという地政学的な理由もあり、現地の方々と両国の言語、生活、文化の違いや歴史認識、政治などあらゆる話題について会話する機会が非常に多いと思います。その度に私は、ロシアと日本は欧米やアジア等他の国々と比べると、やはり国交が浅く、ロシア側ばかりが我国の事を多少理解しているといういびつな状態ではあると感じます。従って、留学前に語学も含め、日ロ関係やロシアの歴史、文化について予習した上で、現地の訪問、現地人との交流を行った方が相互理解に於ける効果を十二分に引き出せると思います。
来年以降、留学される方々にとっても、それら準備をぜひ工夫していただいて、ロシアへの訪問がより楽しいものになるよう応援したいと思います。

ロシア地域学科3年 長瀬 光輝

今回の留学実習は、私の人生でかけがえのないものになったと思います。正直なことを言うと、あと一年くらい留学していたかったです。
留学に行く前はとても不安で、三カ月間もロシアで生活できるだろうか、授業はどうだろうか、など消極的な考えでいました。しかし、ロシアで生活していく中で、その不安はだんだんと薄れていきました。
確かに最初の方は、手続きや事前情報との大きな食い違いに困惑し、早く日本に帰国したい気持ちでいっぱいでした。しかし最後の方になると、ロシアでの生活に順応してきて、毎日が楽しくて、もっとここに居たいと思うにようになっていました。帰国当日は、本当に名残惜しく、寂しい気持ちでいました。ロシアでできた友達との別れはとても辛かったです。クラスメイトや、寮で知り合った人々は皆良い人で、一緒に生活できて本当に良かったと思います。
このロシアの生活であえて悪い部分を挙げるなら、寮に洗濯機がなかったところです。手洗いなど今までしたことがなく、本当に大変でした。そして洗濯機のありがたさを身に染みて感じました。洗濯に関してだけが不満でした。
ロシアの良いところは、バスやタクシーがとても安いことです。しかし、バスはいつでも人が多くて、座れることのほうが少なかったです。タクシーはバスよりも高いですが、快適で日本のタクシーに比べると、かなり安いため、私は街に出るときは基本的にはタクシーを利用していました。
この留学で私は自分の欠点に気がつきました。私は友達や知り合いと一緒にいると頼ってしまう傾向があるので、一人で行動したほうが能力向上のためには良いと気づきました。
私はこの留学でたくさんのことを学びました。そして、ロシア語やロシアについての意欲が高まったように思います。また個人的に留学、または旅行などでロシアを訪れたいと思っています。

函館日ロ親善協会からのお知らせ
10~12月の主な活動実績

○ 10月27日(木) ロシア極東大学留学生歓迎会
○ 11月17日(木) ロシア極東大学留学生修了式・送別会

ロシア極東大学留学生支援実行委員会の招きにより、函館で日本語・日本文化の研修を受けていた留学生4名の歓迎会・送別会が開催されました。歓迎会には多数の親善協会会員にもご出席いただきました。

○12月8日(木)函館日ロ親善協会 講演会&クリスマスパーティー

出席:在函ロシア人・ウクライナ人とご家族15名、ご来賓・会員他13名(計28名)
会場:ホテル函館ロイヤル
今年も在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所からソコロフ所長夫妻など在函ロシア・ウクライナの皆様をお招きし、総勢28名の和やかな会となりました。
パーティーに先立ち、ソコロフ所長を講師に迎え「日ロ交流の現状と課題」と題してご講演いただきました。
パーティーでは、恒例のビンゴ・ゲームなども催され、会場は大いに盛り上がりました。

※2月11日(土・祝)にロシア極東大のロシアまつりが開催されます。山口ミルコ氏講演会(当協会共催)も予定されておりますので是非ご参加ください。

≪係りより≫

本学への留学体験は、学生の視野を広げ、様々な面での成長の機会となりました。また、今年はロシア革命から100年。「ソ連」という時代を振り返る機会が増える1年となりそうです。(倉田)