日本そしてロシア
ロシア極東国立総合大学函館校 事務局次長 種田 貴司
ここ数年、小生、腑に落ちぬ事がある。
金融界では護送船団方式が否定され、建設業では談合が批判され、様々な業界で業界の秩序を守ることが否定され、新規参入可能な自由競争社会こそが、これからの日本の繁栄を継続するために必要不可欠であり、そのためには多少の痛みは止むを得ないという、今日世間では、当然のことのように考えられているらしいことがである。
もちろん、護送船団方式も、談合も肯定する気は毛頭ないのではあるが、自由競争社会こそが正義であるとも思えない。
競争を促すために国の規制緩和が進み、国民の生命を脅かしかねない事柄についての規制は残しつつも、企業、団体、個人の活動を制限する規制はできる限り撤廃し、自由な活動を容認し、かつその行動への責任は各々が持つ方向に進んでいるようである。
では、こういった方向性は、どういった人達が何を目的に方針を定めていっているのだろうか。
私には、この競争社会に勝ち残れそうな人達が、自己のあるいは自社のさらには自国の利益が拡大する方向に仕向けているような気がしてならない。
そして、この競争の行く末は、グローバルスタンダードという名の価値観を単一化した独占社会ではなかろうか。多様な価値観の存在を認め合うことでお互いを認め合う友好的な関係を否定する経済分野における単一の価値=グローバルスタンダードへ走り出しているように感じられる。グローバルスタンダードと個性的な地域社会は共存できるものなのだろうか。
活力ある社会を築くために競争が必要であることを私は肯定する。
しかし、そのためにはそのシステムや商品を学ぶための指針と知識を学ぶための期間が十分に必要ではないか。これが十分に行われているとは思えない。
さて、ロシアである。70年にわたる国家計画経済の体制から突然、競争の社会に投げ出された国民の混乱は当然である。
ロシアには市場経済を学ぶための長期間の猶予が与えられるべきではないか。
といったところで、本日の朝刊にパノフ大使の論説が掲載された。
「日本はあらゆる部門で改革に手をつけようとしている。改革には二通りのやり方がある。一つには高い費用をかけ、日本の伝統的な価値観や社会秩序を犠牲にすることをいとわず、経済・社会システムの改造を断行し、国際社会のリーダーとなる方法。もう一つは、国際経済の動きを注意深く観察し、少しずつ目的に向かっていく。そして、国際経済の最も良い点を学び、日本の伝統と調和するように取り組んでいく方法。日本は後者の道を選んだのではないだろうか。後者の改革の道も決して簡単なものではない。」
私は日本の改革が早急過ぎないかと危惧しているが、パノフ大使から見れば、というよりロシアで行われている、あるいは起こっている改革からみれば漸進的な改革と見なされるということだろうか。
といったことを学生の皆さん、議論してみませんか。