No.9 1996.10"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

旧ソ連訪問感想記~家族の絆を垣間見て~

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 石川 美香子

今夏、モスクワ、サンクトペテルブルク、キエフと旧ソ連三大都市を訪問しました。駆け足の渡航でしたが、毎日が新しい発見の連続で興味の尽きないものとなりました。渡航中には様々な市民を目にしました。そうした中で感じたことは、ロシア政局の混乱やインフレ・生活難も事実ですが、一方では新しい社会の中に希望を見い出し、懸命に生きていこうとする「新市民」が生まれつつあるのも事実だということです。市民の生活や価値観は日々変わりつつあるようでした。旧ソ連は、今もなお混沌と可能性に満ちた魅力ある位置を世界の中で維持し続けていました。
“Пойдём(行こう)!!”と言いながら、ウクライナ首都キエフ市街をくまなく案内してくれたのは、本校バランスカヤ先生の妹のリェーシャさんでした。「ロシア諸都市の母」と呼ばれるキエフには、歴史的建造物、博物館、美術館などが点在していました。街にはキエフ・ルーシの創建者ウラジーミルの丘があり、そこからは旧市街が一望できます。中心を走るウラジーミル通りには、988年夏、ウラジーミル大公が洗礼を受け、ギリシャ正教を受け入れたことから建築が始まったソフィア寺院や黄金の門などが立ち並んでいました。この通りをドニエプル川に向かって歩いていくと、河辺に広がる公園内にはペチェールスカヤ大修道院があり、その荘厳な作りを見て、モスクワ郊外セルギエフ・パッサードが北の総本山なら、ここが南の総本山であることが頷けました。
観光名所だけでなく、デパートや商店街にも足を運びました。日本とそう変わりない値段の品々が並ぶデパートでリェーシャさんは、「ここは博物館のようなものよ」と笑いながら語っていました。各通りではたくさんの車が往来し、モータリゼーション活発な現地の様子が伺えました。自家用車については購入費はもちろん、維持費、ガソリン代も馬鹿にならないとのこと。リェーシャさんのお父さんは、盗難防止のため、自宅から徒歩で片道20分のところにある駐車場を借りているのが現状です。
真夏の炎天下のキエフ散策中、リェーシャさんは何度も“Ты устала(疲れた)?”と気をつかってくれたのが大変うれしかったです。家庭の味も堪能しました。散策後のカンポット(木の実のジュース)の美味しかったこと、ペリメニの壺焼き、ピロシキ、野菜の肉詰、真っ赤に熟したトマトなど、日本では味わうことのできない手料理の味は今でも忘れることができません。「この野菜と果物はダーチャで取れたものなのよ」と説明してくれたリェーシャさんのお母さんの姿に、「ロシアの母」としての素朴さ、優しさ、そして力強さを感じました。「ウクライナの黒パンはロシアのものとは一味違いますよ。たくさん召し上がれ!」とリェーシャさんのお父さん、確かにご自慢の黒パンだけあって、本当に美味しかった。食後の楽しい団欒の一時、旧ソ連のこと、日本のことなどを語り合いました。その際「ウクライナの治安は悪化しています。孫のイワンには日本の学校で勉強を続けてほしい」とポツリと呟いたお母さん、日本に住んでいる娘の家族のことを案じていました。一方、孫のイワン君はアルバイトをしてリェーシャさんに洋服をプレゼントしてくれたそうで、彼女は大変喜んでいました。遠く離れたウクライナと日本を結ぶ家族の絆を垣間見たような気がします。
キエフを発つ夜、家族全員で駅のホームまで見送りに来てくれました。お母さんは手作りのピロシキをお土産に持たせてくれました。お父さんは「キエフの街の木です」と言って赤い実のついたナナカマドをさりげなく差し出してくれました(なんと心憎い演出!)。キエフ滞在の3日間は私にとって心の和む一時でした。ウクライナでの温かい家庭の味、家族の絆―旧ソ連が持つ魅力にすっかりとりつかれてしまいました。先日写真に添えて書いた私の拙いロシア語の手紙がリェーシャさんの家に届きました。バランスカヤ先生によると、皆さん大変喜んで下さったとのことでした。“ВСТРЕЧА(出会い)”によって新たな絆が生まれつつあります。