No.20 1999.07"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

私のピオネール時代

ロシア極東国立総合大学函館校 助教授 イリイナ・タチヤーナ

たぶん皆さんは、10年前私たちロシア人が全く別の国「ソ連」に住んでいたことをご存じないでしょう。
今、多くの人が以前の生活を非難していますが、その生活にはおもしろいことや役に立つことがたくさんありました。
学校に入学すると子供達は「オクチャブリャート」になり、その後ピオネール団(共産主義少年団:アメリカで言うボーイスカウトのようなもの)に入りました。勉強をあまりしない人やボランティア活動に参加しない人はピオネールには入れませんでした。私のボランティア活動は、政治ニュースをクラスのみんなに知らせることでした。私は外国や私たちの国で起こった出来事を話して聞かせました。
ピオネール団は役に立つ活動をしなければなりませんでした。私たちは街路樹を植えたり、金属片(金属製の古い製品)を集めたり、コルホーズで働く人々の収穫を手伝ったりしました。
でも、特に楽しかったのは夏でした。ロシアでは夏休みは6月・7月・8月と3カ月間続きます。この時期、大部分の子供達はピオネールの宿泊施設に行きます。ピオネールの宿泊施設は郊外の、絵のように美しい場所にあり、その多くは海辺でした。宿泊施設を利用するには両親の持っている無料券を使うか、形ばかりの金額を支払うだけでした。私は2度は太平洋岸で、1度は黒海沿岸で過ごしました。
ピオネール団はそれぞれに自分たちの建物で生活していて、そこには宿泊棟の他に食堂、映画館、サークル活動のための棟、医務室がありました。朝はピオネールのラッパの音で目覚め、そのあと海辺で音楽に合わせて体操をしました。暇な時間などほとんどありません。一日に2回は海で泳ぎ、スポーツの試合やピオネールのお祭り、芸術サークルのコンサート、隣町への見学旅行、テントを持って泊まりがけの森へのピクニックなどが度々催されたものです。
24日間は瞬く間に過ぎ、家へ帰る前夜にはキャンプファイヤーがありました。あらかじめ森で枯れ枝を集めておいて、夜暗くなってから火をつけました。ギターに合わせてピオネールの歌をうたったり、灰の中で焼いたじゃがいもを喜んで食べたりしました。
ピオネールの宿泊施設で夏を過ごす機会を今の子供達が失ってしまったのはとても残念なことです。そういう施設はもうほとんど残っていませんし、利用券もとても高価なものになってしまいました。