記憶の箱に『ロシア』はあった
ロシア極東連邦総合大学函館校 学務課長 福尾 瞳
「ロシアについて何か知っていることはありますか?」勤める前の面接で当時校長だったイリイン・セルゲイ先生が私にそう質問した。その時になんと答えたかというと、初めてミリオン・ズビョーストの巻頭言を書く時にも書いたような気がするが、「高校までの社会の授業で習うような一般的なことしか知りません」と答えた。しかし、実はあの質問をされた瞬間、私の記憶の奥底に眠っていた音楽が頭の中をうるさいくらいに流れた。それは、日本でも2000年代に流行った「t.A.T.u」の『All The Things She Said』である。某音楽番組でボイコット騒動を起こしたことが皆さんの記憶にはあるかもしれない。発売当時にラジオで耳にし、なんだか気になって歌手のことを調べた。スマートフォンなんて無いし、デスクトップのPCで一文字ずつ入力して調べた。
彼らは、少し年上のロシアの女の子だった。外国人と言えば、金髪の青い目という印象と全然違う、黒髪の女の子と赤毛の女の子だった。でもどちらも美人で同世代とは思えない大人っぽさにドキッとした。そして私のロシア人について初めて学んだこと。「『ロシア人』って色々な民族から成り立っているんだ~」子どもの認識なんてそんなもんである。
私の朧気な『ロシア』の記憶は実はもう一つある。いつぞやの家族旅行の最中の話である。関西の叔母の家にいつかの長期休みに遊びに行った。叔父の車で滋賀の琵琶湖をドライブしたり、叔母と京都の寺社仏閣巡りをしたり、神戸の街を散策したりした。遠い記憶で、散策については記憶が飛び飛びなのだが、確かに覚えていることは、神戸の石畳道の可愛らしい外国の雑貨屋に行ったこと。『いりえのほとり』さんである。マトリョーシカが沢山並んでいた。色とりどりの柄の女の子、形、大きさがあり、弟と二人で口をぽかーんと開けて見ていた。母に「絶対触っちゃ駄目だからね!」と言われたのを強く覚えている。そこには、マトリョーシカ以外の見たことのない民芸品がいくつもあり、また民族衣装が可愛かったのも覚えている。きっと私たち家族は、お店としてはとっても邪魔くさいウィンドウショッピングだけをして帰った。
しかし、私の心にも母の心にもマトリョーシカは残った。その後のある年の冬に札幌を訪れた際、マトリョーシカがいっぱい並んでいる出店を見つけた。何かのイベントが大通りでやっていたのである。そこで出会った赤い小さなマトリョーシカを我が家にお迎えすることになった。赤い小さなマトリョーシカは居間にあるピアノの上に飾られた。睫毛の長い赤い女の子のマトリョーシカは、我が家のマドンナとなった。
だが人間と言うのは欲が出るものだ。今度はもっと大きいマトリョーシカちゃんを…。そんなことを思っていたけれどなかなか出会わずに数年が経ち、私は関西の大学に進学していた。偶然にも仲良くなった友人が神戸出身だったこともあり、友人に案内してもらって『いりえのほとり』さんを再訪した。しかし、その時は定休日だった。無念。その時は「まぁ、また次があるさ」とも思ったが、私の小さな『ロシア』への関心はここで一時途切れる。
次に『ロシア』を意識したのは、この函館校である。しかし今までとは少し違う。当時勤めていた学校の同僚数名と仕事のついでにドライブし、この八幡坂を通った。車の中から看板を見て、同乗していた同僚が「この前、この学校の先生が学校パンフレット持ってきてくれたよ。大きなロシア人の先生と日本人の先生と二人で来てさ、なんだか盛り上がっちゃった。面白そうな学校だよね。」なんて話した。これが私が函館校に勤める1年前の話。この時は、まさか勤めることになるなんてまだ思っていなかった。「へぇ、ロシア人の先生かぁ。」なんて返事したと思う。同僚の言った言葉とその時の風景は覚えているけれど、それ以上は覚えていない。なんて都合のいい記憶!けれどなぜか、そこだけやけに鮮明に覚えているのだ。不思議。
さて、すっかり忘れていたこれらの記憶は、『t.A.T.u』をきっかけに少しずつ思い出した。勤めてすぐのロシアまつりで『いりえのほとり』さんと函館校の長いお付き合いを知り、記憶と結びついたときには、心の中で「神戸のあのお店かー!」と叫んだ。函館校に勤めて丸10年、毎日の生活の中で私の中には随分と『ロシア』が増えた。
初めてインターネットで調べたロシア人というもの以上に、ロシア人の先生方は陽気でおしゃれで、出会ったロシア人学生たちは真面目でユニークで、皆可愛らしかった。ロシアの文化について、物知りになったわけではないが、「これはロシアだものね」と思えることが増えた。毎週聞こえるコール八幡坂の歌声でロシア語の歌を数曲口ずさめるようになった。先生方のロシアジョーク(アネクドート)は笑いどころを少し理解はした。ロシア・ウラジオストクには2度訪れることができた。街並みの美しさに感動し、そして食べ物がおいしいことが分かった。極端な濃い味付けではなく、温かみのある素朴な味わいばかりだった。ロシア語は毎週ロシア語市民講座に通ったはずなのにさっぱりだけれど、三人の先生からロシア語を学び、学生の気持ちが少し分かった(これは大変だ)。そして、気づけば家にあるマトリョーシカは5つ以上ある。フクロウやデッドマロースなどの変わり種もある。
ロシアは、美女と女の子型のマトリョーシカだけではない。私がこれまでに触れたものは、まだまだほんの一部。『ロシア』という大きな国全てを理解することは難しいけれど、私が知った一部の『ロシア』は、とても美しくて楽しくて温かいものだった。
今、イリイン・セルゲイ先生に「ロシアについて何か知っていることはありますか?」とあの質問をされたら、私はなんと答えるだろうか。どうにも一言では答えられそうにもない。
人事
事務局の福尾 瞳 学務課長が3月31日付で退職しました。2014年の着任以来11年にわたり、前職の高校教員の経験を活かして学生の良き相談相手となり、また成績管理や授業が円滑に進むよう教務担当として教員をサポートしてくれました。このほか、学報ミリオン・ズビョーストの編集やホームページの管理、チラシの作製など、多岐にわたる業務をこなし、学校の広報にも尽力されました。
今後は函館市内の別の学校に転職されます。ますますのご活躍をお祈りします。
卒業生からの寄稿
ロシア地域学科 松井 りの
ロシア極東連邦総合大学函館校での四年間は、学びと挑戦に満ちた時間でした。ロシア語という言語を学ぶことは決して簡単ではありませんでしたが、その過程はとても楽しいものでした。最初はロシア語の発音や文法に苦戦し、授業についていくのに精一杯でした。しかし、学ぶにつれて少しずつ言葉の構造が理解できるようになり、ロシア語で会話ができる喜びを感じるようになりました。日々の勉強を積み重ねることで、次第に自分の成長を実感できるようになり、ロシア語を学ぶ楽しさをより深く味わうことができました。特に、ロシア語の映画を沢山見られた事はとても楽しかったです。
また、私は文学が好きで、この四年間でより深くロシアの文学作品に触れることができたのも大きな収穫でした。授業で扱った作品を通じて、ロシアの歴史や文化、思想について考える機会が増え、より一層ロシアという国への興味が深まりました。卒業論文では、自分の好きなテーマについて研究し、掘り下げることができたことがとても嬉しかったです。指導教官の先生にお勧めされた書籍や論文を読みながら、新たな視点を得ることができたのは貴重な経験でした。
北海道での生活や一人暮らしも、私にとって初めての経験でした。冬の寒さは想像以上で、最初の年は雪道を歩くのも一苦労でした。厳しい寒さと信じられないぐらいの降雪量でしたが、振り返ってみるといい経験です。
そして、今年の「はこだてロシアまつり」は、特に印象に残っています。例年以上に多くの来場者が訪れ、会場は大変な賑わいでした。私はカフェ班として参加しましたが、多くの人が美味しいと満足してくださった事が嬉しかったです。忙しかったですが、その分やりがいも大きく、多くの人と交流しながらイベントを成功させることができたことは、素晴らしい思い出となりました。仲間と協力しながら一つのことを成し遂げる楽しさを改めて実感し、大学生活の締めくくりとして、とても充実した時間を過ごすことができました。
この四年間を振り返ると、楽しいことも大変なこともありましたが、すべてが貴重な経験となりました。極東連邦総合大学函館校で過ごした学びや経験、時間を胸に、これからも学び続け、自分自身を成長させていきたいと思います。
四年間を無事に過ごせたのも様々な方の助力あってこそです。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!

ロシア地域学科 中村 百李
ロシア語や文化を学びたいという気持ちで、ロシア語を全く知らないまま入学を決めた。入学前は外国人と接する機会に恵まれなかったため、ロシア人の先生から直接教えていただける事はとても新鮮に感じたし、キリル文字の読み方・書き方から学び始めたため、入学当初は4年間の大学生活に期待を抱いていた。そして入学後にロシア名を付けてもらったことで気が引き締まる思いだった。
会話や文法で言語を学び、地理や文化、歴史に触れていて、毎日どこかで「ロシア」を感じていた。私は歴史を学ぶことに興味があり、特に「日ロ関係史」に心惹かれ、授業外でも趣味程度ではあるが情報収集をしたり、本を読んだりするようになった。卒業後はその蓄えた日ロ交流の歴史の知識を伝え、未来へ繋いでいく役割を果たすため、さらに知識を蓄えて努力を重ねていきたい。
そして、「ロシアまつり」などの行事で学生間の交流も深まったと感じた。今年のロシアまつりでは例年以上の来場者数で、キオスク班を担当していたが、休む暇もないくらいロシア関連のグッズを買っていく人たちがいて大盛況だった。その準備過程で、他学年の学生と共通の話題で話が弾んだことや、接客中に学生同士で協力して時短で済むようにでき、少しでも役に立つことがあったことを嬉しく思う。まつりだけでなく、自治会により開催されたボルシチパーティーやケーキ作りに参加できたことも良い思い出となった。
だが、学生生活で悔しい、苦しい思いもある。私は人前に立ち発表するということが苦手だ。4年間のうち、人前に立つことは数回あったが、どれも上手くいったとは思えない。逆に今後はその内気で恥ずかしがり屋な性格を武器にして、強くなっていけたらと思う。
そして何より留学のチャンスを失ってしまったのが一番悔しいことだ。どうしてもっと早く行こうと決断しなかったのかと、凄く悔やんでいる。これからロシア語を話す機会は少なくなっていくかもしれないが、身についている技術を活かす方法を模索しようと思う。
人生の中で他の人が触れないような言語を学ぶ機会があったことや、文化や歴史に触れて、その知識を活かすことができる場へ進んでいける事に大変感謝している。これから大変な事が待っているかもしれないが、まっすぐ前を向いて進んでいきたい。

ロシア地域学科 西田 崇人
4年間はあっという間に過ぎて、入学した時のことを昨日のことのように覚えています。最初の半年間は自転車で往復50キロの距離を通学していました。今思えば体の丈夫さに驚きを隠せません。1年生の時は、朝9時から夕方4時までの授業がとてもとても辛く、あまりの辛さに6月頃になると何を思ったか、拓けた大野平野の田んぼから函館山を臨んで、1時間ぼーーっと風景を見たこともありました。
授業で1番印象に残っているのは、タチヤーナ先生の授業の暗唱です。ビクビクしながら暗唱して、ホッとしたのも束の間、すぐに次の暗唱の課題がでるんです。当時は毎回時間に追われて嫌でしたが、友達と暗唱の練習をした時間はかけがえのない青春だったなと今では思います。私は、だらだらした性格だったため、よく課題を溜め込んでいました。特にアイーダ先生と鳥飼先生の課題は溜め込み過ぎてテスト前になるとその都度絶望していました。そんな時に同級生のヒューバー君や佐藤君、中村さんや松井さんなどに助けられてなんとか進級できました。倉田先生曰く、「こんなに諫言してくれる人達はいないよ」とのことで、皆さんその節は本当にありがとうございました。
留学先は、ロシアとウクライナの戦争の影響もあり、中央アジアのキルギスでした。有り余る時間を使って現地でできたキルギス人の友達や一緒に留学に行った金城さんたちと、多くの観光地や市場を会話しながら歩いたのは思い出に残っています。また、タケン先生やアジャール先生の授業はロシア極東大の授業形態と似ており、あまり気負わず受けることができました。
こんな調子で4年間やってこれたのは同級生のおかげであり、頭があがりません。先輩方も面白い人たちが沢山いて、バイトを紹介してもらったり、一緒にスキーに行ったり、大学生活を楽しめました。普通の大学とは、中身が全く違うけれど、この大学に入学してよかったなと思いました。あと一言、ロマン先生やソフィア先生には煙草を辞めるべきと言われ続けながらも、やめれなかったのは後悔しています。

勝負はこれから
ロシア語科 本間 大祐
ロシア語科は2年制なので、卒業後は自前で分厚い参考書を広げて、知識の穴を埋めなければならない。しかしながら、最後の試験の後、図書館に行って未習の文法を探して読むと、入学前よりずっと内容を理解しやすくなっている。入学前に見ていた薄い参考書を開くと、もう母国語のように見えた。できることが明らかに増えている。
今までの2年間は、忙しかった、という印象しかない。しかし、充実していた。
在学1年目は、ほぼロシア語との格闘で費やされた。ロシア語の勉強は、大半が単語の暗記であるのに加えて、文章構成には複雑な語形変化と語順が求められる。そして、私はそのどちらともが苦手である。そのために暗記、実践両面で多くの時間を要した。特に忙しかったのは、文法の授業である。連日のように重要文法が移り変わり、デルカーチ先生は、毎回のようにテストを出された。私はよく十字街の交流センターで閉館まで勉強していた。1年目後期のエグザメンの際には、アプリの単語帳を2,000枚作成してギリギリまで確認していたのを覚えている。
2年目になって忙しかったことと言えば、ウラジオストク留学と、帰国後のロシアまつりを挙げたい。留学時は、その機会の希少さと現地情報の少なさから、体験を記述して残す必要があると考えていた。現地での課題をこなしながら、同時に時間が許す限り詳細に出来事を日記に残していたのである。元はロシア語で日記を書いていたのだが、帰国後、日本語に訳すと4万5千文字を超えていた。
しかしながら、その後のロシアまつりの準備は、留学中より遥かに忙しかった。まつりの展示と発表を任されていた上に、各授業の課題、留学時の日記の日本語訳、ザチョット試験の準備や体育での疲労が重なっていたからである。1月中は、常に過労状態だったが、今ではいい思い出だ。
卒業してもロシア語の勉強が終わったわけではない。勝負はこれからである。私たちは、道具を得たに過ぎないからだ。私は、これを社会のために活かしたいと思う。そして、そのための手段をくださった全ての方々と学校に感謝を述べたい。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

この2年で得られたもの
ロシア語科 早川 穂乃花
「卒業できてよかった」まずこの学報を書くにあたって一番最初に思い浮かんだ一言がこれでした。もともと4年間学ぶつもりで入学したこの大学ですが、転科して2年で卒業することになり、嵐のような学校生活だったと、振り返った今もそう感じています。去年の6月初めに行われた学校運営についての集会は、今でも鮮明に思い出せるくらい自分の中で衝撃でした。今でこそ「継続」という方向で落ち着きましたが、決まるまでの期間はとても長いように感じました。集会後の私は日常が崩れていくような感覚で、しばらくどうするか決断できずにいました。結局、私は他大学への編入学という形で、ここでの学生生活を2年で卒業することにしました。正直この決断が今後の自分の人生にとって良いものなのかどうなのかはまだわかりません。編入学試験に合格できたのも自分の実力ではなく、本校の教育レベルの高さが故だと思っていますし、そもそも試験を受けることができたのも事務局の皆さんの助けであったり、様々な方の支援があったからこそです。私一人では到底合格することはできませんでした。本当に感謝しかないです。
函館での生活を振り返ると、学業とアルバイトくらいしか話せることがありません。ずっとがむしゃらに走り続けてきた2年間でした。お陰で強くなれたと思う反面、もう少し函館を楽しんでおけばよかったなあと後悔もしています。自分のインスタグラムには行きたいカフェの投稿が十数件ほど保存されていますが、結局実際に行けたのは片手で収まる程度でした。それだけ自分には余裕がなくて、正直言うと毎日辞めたいと思うくらい辛かったです。ですが、そんな私を支えてくれたのが、同級生や先輩後輩、教授陣、事務の方々やアルバイト先の人たちです。特に極東大の皆さんには人として大事なことをたくさん教えてもらえました。特に人間関係に関しては、人という字は支え合ってできている、と言われているように、沢山の人たちに支えてもらって卒業まで持ってこれました。私一人だけではきっと一年の途中でくじけていたと思います。少ないからこそお互いに支え合って学業に励むことができるのが極東大のいいところだと、自信を持って言えます。
これからも人との関わりを大切にしていきたいし、今度は自分が支える側になれるよう今後は邁進していきます。ありがとうございました。

一生の学び舎
ロシア語科 岩岡 正悟
「ロシア極東連邦総合大学函館校 ロシア地域学科」なんて長い名前だろうといつも思っていた。4月からは別の大学に編入するので、学生証は返却しなくてはならず、しばらくぶりに学生証を見つめて懐かしい気持ちに浸っていた。長い校名を見た時に突然あることを思い出した。実は入学が決まった頃は、家族に東大に入学したとふざけて冗談を言っていたのだ。この欄をお借りして、この発言に至るまでの経緯を振り返らせて頂きたい。
自分は大学まで内部進学できる一貫校の小学校に入学した。小学校受験はなかなかに大変だった。今思えば幼いながらに、なかなかよく頑張ったと思うが、自分の努力以上に親の努力も大変なものであった。海外へ留学に行ったり、企業と連携したりと、色々な機会が用意され、チャンスのある所であったのだが、自分は努力してチャンスを掴んだ同級生を見て、自分も学校に所属さえしていれば将来なんとかなるだろうと思ってしまったのだ。今からすればとんだ思い違いであるが、中学、高校に進学したあとも、大学もきっと内部進学できるだろうと高を括っていたのだ。しかし、なんと自分は不登校になり、高校3年生で留年した挙句出席日数が足りず、結局退学か転校かを選ばざるを得なくなったのだ。この計画変更は余裕こきまくっていた自分にとっては大変な衝撃であった。その後、高校は通信制の先生のおかげで卒業できたが、自分だけ友達と同じ高校を卒業できず、それが理由で少々やさぐれ、不貞腐れていたのだった。高校を卒業するまでの経緯は不本意なものだったし、ロシア極東大に入学するのもだいぶギリギリにドタバタの末に決まった。そうした状況で自分から先の東大発言が出たのだった。
そんなふうにふざけていた自分だが、2年間学び、卒業を間近に控えた今となっては、ここを去るのがとても寂しい。高校を辞めざるを得なかったのは不本意だったが、もしそのおかげでロシア極東大に出会えたのならある意味やめてよかったと思えるぐらいにこの学校の存在は大きかった。先生方の授業は本当に楽しかったし、貴重だった。
ロマン先生の会話の授業では学生が必ず毎回何かしらロシア語で5分か10分の発表する。自分は毎回オチのない話をして、次回はもう少し面白く話せないものかと思っていたが、最後の原稿もオチもなく、ダラダラと書きたいことだけを書くようになってしまった。しかし今回は仕方もあるまい。あまりにも書きたい内容が多いし、今までの人生で一番充実していたロシア極東大での生活を短くまとめるのは難しすぎる。
У меня всё! Спасибо! Глеб

留学実習報告
転機
ロシア地域学科4年 依田 純佳
10月26日、デルカーチ校長先生と2年生全員が帰国し、今まで以上に不安を抱えて挑む1人きりの留学実習期間が始まった。自分で望んだ3ヶ月留学ではあるが、頼れる人がいない中でこれからの2ヶ月間をやっていけるか、最初は心細くて仕方がなかった。しかし、毎日の生活はそんな心配なんて忘れてしまう程に充実したものであった。
留学当初、毎日の授業が嫌で仕方がなかった。実力の無い私は、毎日の授業で言葉が出てこなかった。伝えたい事を満足に言葉にできないもどかしさ。ただ単語を覚えるだけではいけないのだと思い知った。また、与えられた沢山の宿題をこなさなければならず、心が折れそうだった。しかし、様々な人と関わっていくうちに、話したい事柄が増えていった。他者の話を聞くだけで満足していた毎日の授業が、楽しみになっていった。それだけでは無く、授業ではロシアについては勿論、様々な国から訪れた留学生の話を聞く事も多く、自身の見聞を広げる機会となった。
日常生活では、3ヶ月という短い期間ではあったが、日本とロシアの文化の違いを垣間見る事ができた。友人の寮を訪れている時、各部屋に卵があるか尋ねて回っている学生を見た。また、隣人に缶と缶切りを渡し、開けてほしいと頼む人もいた。私にとってこれはとても大きなカルチャーショックの1つであった。だが、これはロシアの日常であり、人柄なんだと身をもって知った。大学の敷地内にある店では、厳つい警備員の男性が無人レジで手間取っている客を手伝っていた。人々はお互いを信頼し、そしてお互いの生活を支えているのだと強く感じた。
3ヶ月という決して長くはない期間で、私はこれ以上ない程に濃密な時間を過ごすことができた。外国が初めての私にとって、ウラジオストクでの日々は真新しく、驚きの連続だった。1人だけの留学実習期間では大変な事もあったが、得られたものも大きかった。今回の経験を糧に、これからも研鑽し、ロシア語の学びの歩を進めていきたいと改めて思った。

ロシアまつり報告
マースレニッツァを終えて
ロシア地域学科2年 櫻井 寛人
先日、自分にとって人生初の「はこだてロシアまつり」が行われた。自分の担当は缶バッチ製作に加え、オープニングの太陽役もする事となった。太陽役としてモレーナのエプロンに描かれてある「冬」の横に「糸」とスプレーで書き加えて「終」とする役割があった。
事前に「冬」の横に描かれてある雪の結晶に沿って「糸」と書くようにと教えられたのだが、自分はこれを糸を「描く」のだと誤解していた。
本番では糸を描いてしまい、横のデルカーチ先生に「何これ?」と言われてしまった。そこで糸という字を書くのだと理解して重ね書きしたのだった。そしていよいよモレーナを燃やす時間が来たのだが火がうまく付かず、なかなか燃やすことが出来ない。時間が過ぎていく中、自分はその時のデルカーチ先生の言葉に大感動したのだった。「太陽くんがちゃんと糸って書かなかったから全然燃えてくれないよ!」と。
こう言ってしまうのは決して良いことではないかもしれないが、モレーナがうまく燃えなかったことに先生のアシストが加わったお陰で「糸と書く」のを「糸を描く」と誤解したのは完全な無駄事にはならなかったと安堵した。
オープニングが終わり、缶バッチ製作の担当にあたるとお客さんからキリル文字のことや缶バッチに描く絵のこと、ロシアのこと、チェブラーシカのことなど多くの質問をいただいたり、まつり終盤の席が空いてる時にはお客さんと一緒にお話が出来て楽しい時間が過ぎた。
学生には見慣れたキリル文字だが、「エキゾチックでかわいい文字」や「一見すると英語に似てるけど書くのが難しい」といった感想を聞くことができた。特にДはどうやって書くのかという質問を多く受け、その度にДの簡単な書き方をお教えしていた。後日、廊下に張り出されたロシアまつりのアンケート内容を読んでいると「文字の簡単な書き方を教えてくれて嬉しかった」という感想文があり、こちらも嬉しい気持ちになった。
ロシアセンターになだれ込んでくる人々を見ると、これだけの人数を捌けるのかと最初は小さく不安に駆られたが、お客さんとのやり取りやバッチ作りに没頭していると時間は本当に早く過ぎてしまった。
数日前から準備に取り掛かることで校内の様子が変わり果て、当日は普段寂れている校内が人々で賑わい、自身の仕事に没頭していると高校の学校祭の事を思い出す。高校に比べると規模は小さくなるが、充実感と楽しさが十分感じられた1日になったと思っている。
そして、最も印象に残ったのが打ち上げで食べたブリヌイだった。前日の調理時にも失敗したまだ温かいブリヌイを分けてもらい、その美味しさに感動したのだが、時間が経って冷めてもとても美味しかったのだ。生地の作り方を教わる機会があるなら是非教わって自分でも1から作れるようになりたいと思っている。
来年度から学生数が激減して寂しくなるであろうが、今回のロシアまつりはそんな先のことを忘れさせてくれるくらい賑やかに開催され、楽しい時間をくれた。


学務課お知らせ
校舎の利用時間
本校の校舎利用時間は平日8:30~17:00です。原則として平日以外は休校のため校舎内立ち入りはできません。利用時間外に校舎を利用したいときは、あらかじめ事務局に申し出てください。
校内掲示板(学生連絡)について
学生への連絡事項を校内掲示板に貼りだします。掲示板は、学生係、教務係、進路・就職、図書室、自治会・サークル活動、事務局の6種類ありますので、それぞれ見落としのないように確認してください。
出席率について
期末試験を受けるには各授業原則80%以上の出席率が必要です。
留年を防止するため、特に出席率が低い学生およびその保護者の方には文書で通知しています。
欠席について(7日未満の欠席)
授業を欠席する場合、就活・帰省等が理由で事前にわかっている時には、事務局で所定の用紙に必要事項を記入し、前日までに届け出てください。急な体調不良などでやむを得ず欠席する場合は、事務局まで電話やメールで連絡をお願いします。事務局はそのことを遅滞なく担当教員に伝えます。
欠席した場合は、放課後の補習時間を利用するなどして早期に授業の遅れを取り戻すことが必要です。
なお、7日以上欠席する場合は、事務局にて長期欠席の手続きをして下さい。
補習について
水曜日を除く平日の放課後は毎日ロシアセンターで補習を行います。補習担当教員の当番表は教務係掲示板に掲示しています。
成績通知について
本校では保証人との連携により、学生へのより適切な修学指導を行うことを目的として、学生の成績を保証人(学生の親権者等)の方々へ通知しています。
通知は、毎年4月頃に行う予定です。特段の理由により、保護者への成績通知を希望しない場合は事務局へ申し出てください。
また、学生の皆さんには成績通知書を配付します。前期の成績は、後期授業開始時の9月に配付します。また、後期の成績は翌年度の4月に配付を予定しています。
2~4年生は前年度の成績について事務局で配付しますので、下記期間内に受け取りにきてください。
4月7日(月)昼休み ~4月10日(木)
なお、期間を過ぎましたら個人情報に関わるので廃棄します。再発行はしません。
ご寄付のお願い
ロシア極東連邦総合大学函館校へのご支援を賜りたく、広く寄付を募っております。みなさまのご協力を心よりお願いいたします。
【寄付金の使途内容】
令和9年3月予定の閉校に伴う修学・雇用対策に資する目的の費用に充当します。
【募金金額(目安)】
個人 1口当たり 5,000円
法人 1口当たり 20,000円
【税制上の優遇措置】
当学校法人は、特定公益増進法人および税額控除対象法人に該当するため、税制上の優遇措置が講じられています。
【払込方法】
事務局にご連絡いただければ、①こちらから集金に伺います(函館市内に限ります)。②事務局へご持参いただく。③現金書留にて送金いただく。④下記銀行へお振り込みいただく。
学校ホームページより「寄付申込書」をダウンロードするか、氏名・住所・電話番号をメールやFAXにてお知らせください。後日領収書等送付させていただきます。
北海道銀行 函館支店 普通 1438560
青森みちのく銀行 函館営業部 普通 5133441
(名 義) 学校法人 函館国際学園
※恐れ入りますが、振込手数料は寄付者にてご負担ください。詳細については、こちらもご覧ください。
<ご連絡またはお問合せ先>
ロシア極東連邦総合大学函館校
事務局 TEL: 0138-26-6523
JASSO奨学金
在学採用募集(給付・貸与希望者)
希望者に奨学金申込の説明と申請書類を配付します。
なお、募集する奨学金は給付奨学金と貸与奨学金の2種類があります。給付奨学金は、原則、返還の必要が無い奨学金です。「高等教育の修学支援制度」のひとつで、授業料の減免もあわせて申し込むことができます。選考基準は、学力および家計の両方の基準を満たしていることが条件です。この家計基準により、採用後は世帯の所得に基づく区分に応じて、学校の設置者(国公立・私立)及び通学形態(自宅通学・自宅外通学)などと合わせ、定まった月額が毎月振り込まれます。そのほか多子世帯支援が始まりました。多子世帯支援の要件は「生計維持者の扶養する「子ども」の人数が3人以上であること」及び「申請者自身が生計維持者に扶養されていること」の2点です。兄弟が3人以上いる方は対象となる可能性がありますので、一度事務局へ相談に来てください。
貸与奨学金は、学生本人が借りる制度です。第一種奨学金(無利子)と第二種奨学金(有利子)の2種類があります。卒業後は必ず返還をしなくてはなりません。返還時の負担などを十分考慮し、必ず保護者の方と相談してから学資として必要となる適切な金額を申し込んでください。
給付奨学生 在籍報告(2~4年生)
給付金奨学生は、「在籍報告」により在籍状況や生計維持者について、インターネット(スカラネットパーソナル)を通じて届け出る必要があります。休学中や支援対象外により支給が止まっている方も対象です。未提出のまま提出(入力)期間が過ぎると、給付奨学金の支給が止まります。届出事項に虚偽があった場合は、支給された奨学金の100分の140を一括で返金しなければならないこともあります。下記の期間内に必ず提出してください。
提出期間:4月14日(月)~23日(水)25:00まで
※ 土日祝日も提出(入力)できます。
※ 提出期間が短くなっておりますのでご注意ください。
石館とみ奨学金
「石館とみ奨学金」は、人物・学業ともに優れ、かつ将来、社会奉仕の精神に基づく社会貢献を期待できる学生に対し奨学金を授与することにより、優秀なる人材の育成と教育効果の向上に資することを目的とし、本校での学資として給付される奨学金です。
6月23日(月)に開催予定の説明会で、制度概要と応募方法について説明しますので、奨学金を希望する学生は必ず参加してください。なお、この説明会については別途掲示板にてお知らせします。
申し込み締め切りや選考会は下記日程で行います。
申込締切日 7月 8日(火)
一次選考審査会 7月 9日(水)
二次選考審査会 7月15日(火)
説明会と二次選考審査会には学生本人が出席しなければなりません。
採用は2名を上限とし、2名採用の場合は1名につき17万5千円を、1名採用の場合は35万円が支給されます。
就職支援について
留学奨学金海外インターンシップ
留学奨学金による海外インターンシップ(サンクトペテルブルク・モスクワ)は、現時点で今年度実施する予定はありません。今後動きがあればあらためてお知らせします。
ТРКИ受験対策講座
ТРКИ(テルキ)は語彙・文法、読解、作文、会話、リスニングの5つのパートからなる外国人ためのロシア語能力検定試験です。
試験は入門、基礎、1級~4級(数字が大きい方が難度が上)のレベル別となっており、函館校では在学中に2年生は1級を、3年生は2級の合格を目標としています。
当講座では、学内模試を行うほか、各パートに合格するために必要な実践的な知識を学習します。開講は前期期間中の月曜日の4時間目に不定期に実施する予定です。日程の詳細は今後、学内掲示板にてお知らせします。
お知らせ
2025年度 ロシア語市民講座受講生募集
本校のロシア語市民講座は、受講生の学習期間やレベルにより入門、初級、中級、上級とコースを分けています。まったく初めてロシア語を学ぶ方のための入門コースの募集は、1年のうちで5月の開講時のみとなっておりますので、興味のある方は是非この機会にお問い合わせください。初回は、5月12日(月)、毎週月曜日開講(祝日の場合は翌火曜日)です。
申込締切4月30日(水)、詳細はこちらをご確認ください。

2025年度 公開文化講座 はこだてベリョースカクラブ 受講生募集
本校のロシア人教授陣を中心に、毎回違った角度からロシアについての話題を日本語で提供し、理解を深めていただくための公開文化講座です。
今年度は、下記日程とテーマで実施予定です。年6回開催し、各回15:00~16:00の60分です。
年会費3,000円(本校学生は無料)、最終回にはロシアンティーとピロシキで茶話会を行います。
申込締切は5月2日(金)です。詳細についてはこちらをご覧ください。
第1回 5月19日(月) 「ロシア民間航空機の製造の現状」デルカーチ F.
第2回 6月16日(月) 「今日のウラジオストク」 イリイナ T.
第3回 7月14日(月) 「ロシア旅行~アルタイ山脈~」 スレイメノヴァ A.
第4回 9月22日(月) 「ロシアのタトゥー文化」 イリイナ S.
第5回10月20日(月) 「ロシアの廃墟について」 イリイン R.
第6回12月15日(月)
「幕末から明治初年の函館における医療面でのロシアとの結びつき」倉田 有佳

<予告>ホームコンサート「極東の窓」から Vol.6
昨年、開校30周年を記念し開催、好評を博したコンサートと同じ出演者によるミニ演奏会です。
曲目等詳細は、後日当校ホームページに掲載しますので、そちらをご確認ください。
夏の夕暮れ、アットホームな雰囲気の中で素敵な音楽を、堪能しませんか?
日時:7月11日(金)18:00~19:00
場所:本校3F講堂
出演:ピアノ 高実希子 ヴァイオリン 田代裕貴
曲目:未定
料金:出演者に向けて一口1,000円以上の寄付を
お願いします。ソフドリンク付き。(本校学生は無料)
定員:先着60名
* 事務局までお電話またはメールでお申し込みください。
電話 0138-26-6523(月~金 9:00~17:00)
メール info@fesu.ac.jp
* 当校の駐車場には限りがありますので、公共交通または近隣有料駐車場のご利用をお願いします。

函館日ロ親善協会からのお知らせ
1~3月の主な活動実績
〇 第27回はこだてロシアまつりに後援しました。そのほか、主だった活動は現状できておりません。今年度も会費は徴収いたしません。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
<係りより>
新年度が始まりました。「初心忘るべからず」。在校生の皆さん、入学した時はどんな気持ちでしたか。どんな目標を立てていましたか。今一度振り返り、新鮮な気持ちや志を思い出しましょう。そして、新しい目標をミックスしながら、心新たに自分のペースで一歩を踏み出してください。応援しています。ありがとうございました。(福尾)
学校法人 函館国際学園からのお知らせ
令和7年度からの学生募集停止に伴い、ロシア極東連邦総合大学函館校は令和9年3月を目途に閉校することとなりました。
このことに関して、過去27年間にわたり運営補助金をお願いしてきた函館市にはさらに閉校までの運営資金の補助についてご配慮をいただくこととなりました。
理事長 渡辺 善行
